人魚歳時記 長月前半(9月1日~15日)
1日
歩くと片足がカリンコリン鳴る。いつの間にかスニーカーの靴底がひび割れて、そこから入り込んだ小砂利がたてていた音だ。涼しい早朝に、愛犬と毎日歩いた夏の記念の音にした。
2日
造園屋の庭木畑(と言うのか?)。整然と庭木が並んで植わっている。人工の林。枝葉が陽を遮り鬱蒼と、ひんやりと、している。残暑の中、木があれば涼が集まってくることを知る。
3日
夏の思い出――お盆の朝、誰もいない静かな朝。駅にも人は見あたらず。だからなんとなく、いつしか息をひそめて歩いていたら、いきなり、空に突き刺さるように踏切の音があたりに響き渡った。
4日
今年の夏は、一度もヤモリを見ていないと言っていたら、室内の、積み上げた本の隙間から、小さなそれが現れた。逃げ足の早いこと。ようやく捕まえ、生ぬるい夜の中へと放すも、今度は私から離れず、腕を登ってきたりするので、振り払って外へ還した。
5日
夕方、庭の睡蓮鉢に餌を落としていると、水草の間に白っぽいものが浮かんでいるのに気づく。一匹死んだかと思ってよく見れば、百日紅の花だ。今日は風が強かった。
6日
こちらの気配に飛び立ったアオサギのいた用水路土手に黒蝶がひらひら舞い続けている。
7日
「磨くから、おいで」と言っても来ない。気がついた時には犬用歯ブラシと歯磨き粉を握ったまま、お腹を下に寝ていた。夜中だ。どうしたと思う程寒いので、窓を閉めると、リンリンいう虫の声もせき止められて遠くになった。愛犬は傍らで寝息をたて、九月の夜を満喫していた。
8日
紅茶ほうじ茶、茶色のお茶が美味しい。汗をかいていない。台風が来ている。風雨に濡れて揺れる外の様子は、終演した夏の装置が片付けられていくみたいだ。人は誰も出ていない。風が口笛みたいな音を鳴らす。私は湯気のたつ茶色いお茶を注ぐ。
9日
シンシンと霧雨が降っている。凄い湿気だ。雨が止んだら、夏が来ると錯覚してしまうよ。
10日
キラキラ光るテープをつけて、繋がれて、田んぼの上を舞い続ける鷲。といっても凧である。こういうカイトタイプの案山子もあるのだな。近くで見れば、酷暑を過ごした体はボロボロにくたびれて、羽の裂け目から、頭を垂れる黄金色の稲が見えたりする。
11日
造園屋の鬱蒼とした庭から、姿を見せぬキツツキが木を突く音だけが盛大に響く静かな朝。
12日
栗のイガが色づきだして、道に幾つも落ちていました。
13日
夕方。空はまだ青い。そこに浮かぶ鱗雲を横切って、鳩より大きな鳥が数羽、北に向かって飛んでいく。、
14日
仔猫の肉球は、掌の上のアオガエルのごとし。ピトッと湿り、柔らかくて、ちょっと冷たい。
15日
.メダカの睡蓮鉢に棲みついた蛙が水から出て、鉢の縁で微動せず陽に当たっている。ここがよほど暮らしやすいのか、驚くほど肥えていて、児雷也を乗せたくなるほどなのである。