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人魚歳時記 神無月前半(10月1日~15日)

1日
蚊に刺されて未明に目が覚める。そのまま起きだし、お茶を入れる。お腹が空いたがご飯を炊くような時間でもないので、いただきもののスアマを食べ、本を読む。窓を開けると、遠くの家にも一つだけ橙色の灯りが灯っていた。雨が降っている。その中で負けじと虫が鳴いている。十月幕開けの朝。

2日
先ほどから愛犬が草むらに頭を突っ込んで何やら探っている。夢中で地面の匂いを嗅ぎながら、奥へと私を引っ張る。「もう帰ろう」とこちらは動かないでいる。犬と私と繋ぐリードは、ぴんと張ったまま。その真ん中にあたりに、赤とんぼがとまった。

3日
いつもガソリンを入れるスタンドの前を通りかかると、救急車が停まっている。老夫婦とパートのお婆さんの三人で切り盛りしているスタンドなので、(あれ、三人の誰かが、まさか)と思ったが、よく見れば給油に立ち寄っているだけだ。救急車も車だと妙に納得する。とはいえ昨夜から今朝は急激に冷え込んだ。これから屋外の仕事がきつい季節になっていくな。

4日
裏の農家Tさんの庭から、ゴォーという音が聞こえる。脱穀機が回っているのだ。この家は苺農家なので、お米は売り物ではなく一年分の自家用米だ。収穫したものを全て今の時期に玄米にしておく。この音は三日ほど続く。あちらこちらで柿が温かに色づきだすのも、この頃だ。

「あ」

5日
暗い朝、靄の中を歩く。頭を垂れる稲穂の先に水滴が膨らんでいる。あぜ道に、色褪せた彼岸花が数本、痩せてきた茎を傾がせて咲いている。昨日の雨でできた水たまりを、白鷺が嘴ですくっている。遠くの道を、朝練に向かう中学生の自転車が行く。

6日
雑木林の中の一本の大木に、朱色の実の烏瓜と紫の朝顔、ふたつが蔓を絡ませて、互いに季節を分け合っている秋。

7日
秋になり、陽の作る陰影が濃くなった。春に買った西洋オダマキの苗を地植えにした。ダンギクを植え替え、鉢を大きくした。園芸にいそしむ間、そばで数羽のヒヨドリが鳴き続け、勢いよく飛び回っている。秋は夏よりずっとにぎやかだ。

8日
草分けて歩くと、私に膝と愛犬のしっぽに、秋の種がびっしりと。散歩のお土産。

9日
朝。冷たい朝。窓をあけて寝床の片づけ。掛け蒲団をめくって湯たんぽを取り出す。それはまだ温かい。巾着型のカバーから出したものの、これほど温かい湯を捨てるのに戸惑い、胸に湯たんぽを抱えながら、窓の外、早くも熟れて落ちた柿が雨に打たれているのを眺める。

10日
稲刈りして、稲の根元が転々と残る白茶けた田んぼで、お灸をすえるように、籾殻を小山にして燃やしている。白い煙がゆっくり登っていき、遠くからでもよく見える。近くに行くと、小山の上で炎がチラチラ音もなく揺れていた。

11日
夜中に頭を齧られる。掛け蒲団を持ち上げると、その隙間からヌルッと滑り込み、私の左腕と脇腹の三角地帯に、くるりと丸めた身を沈め、軟らかい二の腕に顎を乗せてくる。起こされついでにあちこちを撫でてやると、ゴロゴロいう喉の音が布団の中から漏れてきた。もう夜は冬よと、毎年猫が教えてくれる。

12日
茹で栗を食べる。温かいココアを飲む。物足りなくてお煎餅を齧る。ほうじ茶が欲しくなり、ついでにチョコレートに手が伸びる。お八つが美味しい。指先のささくれに気づき、ハンドクリームを塗る。ヒヨドリの声に窓を開くと、田圃の野焼きの煙が高い空に昇っている秋の日。

秋から初冬の色は綺麗

13日
あぁいい香り、と、初めて思ったのは、いつもの辻で友達と別れて、家が近づいて来た時。何十年が経とうとも、金木犀の香りをかぐと、ランドセルの中で縦笛がカタカタして、近づいて来た運動会のことを考えてワクワクしていたあの時の私に、今の私は連れ戻される。

14日
縁と義理があって出席した四十九日の納骨。老女の骨壺を収める様子を眺めていると、線香が回ってくる。菊の花を手渡される。葬式饅頭が足りずに喪主が慌てる。皆はこれから寿司屋に会食に行くので妙に調子づいている。秋菊の花が墓石を背に線香の煙に霞んでいく。

15日
響いていた草刈り機のモーター音が止まる。刈った草の青臭さが満ちている。静かな中に、やがて煙が白く細く糸を引いて、煙草も香りだす。農夫の休憩時間だ。


「うん」

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