レキトビラ「岩崎城から小牧・長久手の戦いを知る」その1
Youtubeで配信されている「歴史探訪レキトビラ」をみた内容をまとめて皆様に紹介していきます。
今回は、2024年10月31日にアップされた
「岩崎城のエキスパートが明かす小牧・長久手の戦いの秘密」です。
・レキトビラとはなに?
・岩崎城の紹介
「歴史探訪レキトビラ」とは、
岩崎城とは!
岩崎城は、愛知県日進市にある戦国時代の城址で、当地の歴史を伝える貴重な遺産です。
本丸跡には六世紀の古墳遺構が残り、古くから重要視されてきました。
尾張国の東端に位置するこの城は、織田信秀が築き、荒川頼宗が守備しました。享禄2年(1529年)、松平清康による攻撃で一時陥落しましたが、後に丹羽氏清が修繕し、60年にわたり居城とされました。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、丹羽氏が徳川方として奮戦し、岩崎城は戦略拠点として重要な役割を果たしました。
その後、丹羽氏が一万石の大名に昇格して拠点を移したため、岩崎城は廃城となりました。昭和62年(1987)に建築され、城址公園として整備されています。
土塁や空堀が良好に残る岩崎城は、中世城郭の特徴を伝え、地域の歴史と日本史の重要な一幕を今に伝える貴重な文化財です。
天守は、遺構保護にも配慮されている
現在の天守は、丹羽氏が支配していた天守では、ありません。
地元民の寄付によって建築された城です。
日進市民のシンボルとなっています。
注目してほしいのが!
天守の位置です。実は、本丸の跡地を外して建てられています。
本丸の跡地に建てしまうと、遺跡の破壊につながります。
だから、遺跡を守るために外れた場所に建てられているのが素晴らしいのです!!
次回!
次回は「レキトビラ「岩崎城から小牧・長久手の戦いを知る」その2として引き続き紹介します。
内容は、
・隅櫓跡
・土橋と空堀
・三河中入り作戦 です。
お楽しみに!