なぜ大学は女性枠を必死に作るのか?
京都大学の理工学部に女性枠が創設されることになり、SNSは大荒れとなった。
大学の女性枠の問題点については各所で指摘されているのでここでは取り上げないが、筆者が気になったのは、なぜ大学はそうまでして女性枠を作りたがるのか?という事だ。
女性活躍やジェンダー平等は国全体で推し進められている取り組みではあるし企業でも女性の登用は行われている。しかし大学のそれは明らかに一線を画している、というか女性の優遇をすることに必死になっているようにも見えるのだ。
・考察
で、筆者なりに理由を色々と考えてみた。
女性枠を支持し推進している人達の主張として、
というものを多く見かける。いわゆるフェミニストだけでなく大学の関係者であっても素朴にこの言説を支持している。
〈支持する関係者の一例〉
実際には抑圧を受けているのは男性側なのでこの考えは的外れであり、ただのイデオロギーでしかない。
しかしこの主張、見方を変えると女性枠を作ることが
「我々は女性を抑圧していません!なんなら歓迎しています!女性の皆さんどんどん来てください!」
と世間に向けたPRになると彼らは思っている訳である。この考え方は端的に言うと
「女性の方が利用しやすいよう施設をリニューアルしました、女性の方向けの新しいサービスをご用意しました」
といった企業の女性向けのマーケティングとほぼ同じ発想なのである。
つまり女性をお客様として出迎え、おもてなしをする、そういう考えで女性枠を作っている面が大きいと考えられるのだ。目的としてはやはり世間に向けたイメージアップや女性比率を増やすことによる助成金の確保が大きいだろう。(当然大学の中に思想の強い関係者がいて影響を及ぼしている部分も大きいと考えられる)
女性向けのサービスとして大学の取り組みを見ると、女性枠に加えて食事支援や女性専用の休憩スペースの整備といった優遇と言っても過言ではない施策を打つのも合点がいく。あれも大学側にとっては「女性客」を囲い込みもてなすという点で、ある意味筋は通っているのである。
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2024/4/5/240405-1.pdf
先述の通り、女性枠を設けることで女性比率を向上できれば国からお金も降りるし、世間からは賞賛を貰える。大学にとっては(少なくとも短期的には)利益が見込める訳である。しかし女性をお客様として待遇しているだけなのは事実で、女性の差別解消という大義名分は実は対して重要じゃないという事になる。
一方で女性枠の取り組みを擁護する訳ではないが、そういう施策に関係者が傾倒してしまう理由は察せるものがある。
日本の大学は一昔前に比べると影響力が落ちてランキングも低迷しがちである。また、大学の運営自体も余裕が無く職員の待遇は年々下がる傾向にある。そして少子化の影響で成長も見込めない。
こうした状況だと道徳によって自分達の権威を回復させたいという動機が生まれる事はそんなに不自然では無いだろう。しかも海外で同様の事例が先行して行われてきたので「海外に後れを取っていたがようやく追いつける」という気持ちも出てくる。そんな事情を抱えた人たちがどうにかあがこうとした結果が女性枠とも捉えられる。
(単純に若者へのお説教や、女性からの賞賛集めを通して快楽を追求したいだけの自己満足でやってる人もいるだろうが)
…と、色々と背景や思惑について考えてみた訳だが、何れにせよこれらの取り組みは学問をやる機関でやることではないと思うし、本当に優秀な女性のイメージの悪化や男性側が割を食う事など多数の問題を抱えている。批判して是正を求めることは必要だろう。
もっとも、筆者個人としては教育費の高騰や晩婚化の促進というデメリットを考えると、そもそも若い人がこぞって大学に行く文化自体見直すべきと思うのだが。