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今だから読み直したい『BREAK-AGE』 ~ゲームを通しての青春と同時にゲームの在り方を説いた

■昔のゲーム漫画と近年のゲーム漫画

『ゲーミングお嬢様』、『対ありでした。』などの漫画を読んでいると、自分が子供の時に読んでいたファミコン、ゲームをプレイする漫画が如何に荒唐無稽だったかと感じてしまう。いや、それはそれで面白いかったのだが。

確かに『ゲーミングお嬢様』も荒唐無稽という声もあるだろう。それは認める。

しかし、昔はそれよりもひどく、実機で再現不可能の事を堂々と語って都市伝説としたり、今の格闘ゲーム論で「死ななきゃ安い」もびっくりで無理な逆転劇も多かった。(むしろ、ゲーム上のキャラよりも本人の方が瀕死であったりする)
その上で「月面宙返り」を始めとする必殺技を叫んで繰り出せば、何とかなるというモノだ。

それから比べると『ゲーミングお嬢様』はきっちりと格闘ゲームをしている。アレな言葉での罵り合いも現実味があるぐらいだし。

そんな昔の荒唐無稽なゲーム表現であっても、TASさんの力ではいとも簡単に再現して、あれは本当だったのだと思い知らされた場面もあったが。

そんな子供だましで、単なる娯楽だったゲームも、今ではeスポーツとしての認知、賞金の出る名誉ある大会へと進化している。ゲーマーは職業としても認められつつある。
ここも過去のゲーム漫画ではある点では現実となり、ある点では現実とはかけ離れていった部分でもある。

それは我々にとって、現実で起きているゲームの世界大会の映像を知っているからだ。私が見ていた、過去のゲーム漫画でもゲームの世界大会はあった。しかし、『魁!!男塾』ばりの面子とアトラクションのある会場で行われていただけで。

それらを含めて漫画という虚像のまま、危機的場面で大ゴマで技名を叫ぶ、やり方では現実のゲームを描くことは出来なくなったのだ。

先の『対ありでした。』でもリアリティあるゲーム試合となっている。恐らく、実際の結果を元に描かれていると思うほど自然である。
ある種、将棋等の棋譜だけを見て、実際のゲーム内容が脳内で保管される様なモノではないかと思ったりした。
実際、格闘ゲームのトレーニングモードなどでも入力履歴表示がされる。これがゲームにおける棋譜ともいえるのかもしれない。

『対ありでした。』ではゲームプレイにはリアリティあると感じるのだが、わざとらしい百合感が逆に漫画らしさ、フィクションと思ってしまった。人間関係の方が不自然とは、私が見ていた人情モノな展開になりがちな、過去のゲーム漫画とは逆であった。

■本日のお品書き『BREAK-AGE』

さて、導入が長くなったが、今回お話しする作品は『BREAK-AGE』。馬頭ちーめいによって、1992年から1999年にかけて連載されていた漫画作品。

連載終了から20年も経った作品なので、今紹介しても当時を知る人以外は置いてけぼり話とはなりかねない。ただ、以前より「マンガ図書館Z」にて無料で読むことができる作品となっています。
また、それ以外の所でも購読して読むことが出来る。

この作品は先に語ったゲーム漫画とは少し違い、架空のゲームを通した青春モノ。その一方ではゲーム開発の裏に関わる人間ドラマが交錯するなど奥深いモノにお話となっています。

では、この作品について、幾つかのポイントに絞って語っていきたいと思います。

■予想された未来のゲーム像

まず、1992年に発表された作品だが、今だこれに完全合致するゲームは出ていない。

作品には出てくるゲームは「デンジャープラネット」という体感型アーケードゲーム。VP(バーチャル・パペット)と呼ばれる機体、ロボットに搭乗して戦うモノである。
また、このゲームは施設間ではネットワーク対戦が行える。そして、VPに関してはエディットツールでゼロから作ることも可能である。

この説明から分かる様に現実でも類似したゲームはある。『機動戦士ガンダム 戦場の絆』の筐体に、『ボーダーブレイク』のカスタマイズ性とゲームシステムを足したモノといった所である。
当然、ネットワーク対戦は両者とも標準装備だ。

ただ、連載開始の1992年。PlayStationもWindows95も出てない時期である。
そう、ポリゴンもネットワークも普及してない時期だ。
それほど昔なのに、今だから通じる概念を打ち出している。

確かに、この作中の開始年代は2007年とはあるため未来の話ではある。そして、先の例を出した「戦場の絆」の登場は2006年である。
そこを見ても、10年も先の技術をかなり当てていることが分かる。

余談ではあるが、『機動警察パトレイバー the Movie』はOSの暴走事件の原因を追う話である。公開は1989年。
先にも言った通り、パソコンの普及度が低い時代でOSという概念すら普及してない中で、来たるべき時代の犯罪を描いている。
今だからこそ、よりコンピューター犯罪の恐ろしさが浮き彫りとなる。

つまり、この『BREAK-AGE』も同様である。こういった概念が身近なモノになった今だから、読み直したいと語っている。

また、同時期には「バーコードバトラー」という玩具を元にしながら、類似した体感型ゲームを描いた『バーコードファイター』も連載されていた。
(こちらはこちらで現在まで語り継がれている作品となっている。ただ、性癖的な意味で…)

『BREAK-AGE』の作中でもアトラクションとしての『ドルアーガの塔』、『ギャラクシアン3』が話題として出てきている。
下敷きとなるモノは存在していた。そういった技術的の未来が提示されていた中では未来予言というよりは、想定された未来を描いていたのだろう。

後、『BREAK-AGE』での機体のカスタマイズの多様性にびっくりするよりも、別の所に驚きがある。
それはメーカー自身がデータを提供するのではなく、サードパーティによって、データを販売するスタイルであるからだ。
作品中盤では主人公の機体も市販モデルとして作り上げて販売される。その上、そのマージンを主人公らは得ている。

この販売スタイルというかシステムは今でこそ珍しくはないが、ゲームにおいてはまだ一般的にはなっていない。
近い事は『Second Life』でも行われていたが、これもこの作品よりも後のことだ。ただ、話題が旧いと思うので今のタイトルで例えるなら、「VRChat」向けのアバターを販売するといった所だろう。

この作品は連載終了から20年も経っており、今見ても絵は古臭く、少女漫画テイストで、作中出てくる小物が連載当時のモノであるから違和感はあるかもしれない。だが、そこさえ気にならなければ、作中のゲームにしろ今だから理解できる部分が多い。

その反面で出てくる未来ガジェットは斬新であった。新聞にしても電子版で見ていたり、電話にしても恐らくボイスチャットの様なモノで行われている。
作品連載時期ではまだ携帯電話ではなくポケベル時代である。それもまだ数字のみの送信だけである。ボイスチャットであっても、当時からすれば未来ガジェット感は強い。

ゲームだけでなく、それらの小道具も今では珍しくはない。だが、1992年でここまで描かれていたのは本当に斬新であった。
すぐに来るであろう未来を描いた作品として。

■ゲームを軸にして描く、青春漫画

ゲームの部分を語ったが、次は漫画としての側面を語りたい。この漫画はゲームを通した少年少女の青春が描かれている。

だが、他のゲーム漫画のように、ただ強いライバル達が次々と現れて、倒してトップになる話ではない。
そもそも、主人公は開始時からトッププレイヤーである。ヒロイン、ライバルも含め同等の実力を持ってはいるが。

また、1話を読んで貰えば分かる様に展開は「ボーイ・ミーツ・ガール」であり、それを繋ぐ媒体がゲームである。
この作品は主人公とヒロインの青春、恋愛、そしてゲームを通して物語が同時に語られていく。

ただ、その反面では前半からゲーム開発の裏に隠された悲劇と思惑が交差している。特にこの悲劇の中心となる人物がヒロインである。関係のない主人公も否応なしに巻き込まれていき、ヒロインともに悲劇を乗り越えていく。

後半でも同様に主人公達の知らない裏で企業の工作を巡らせながら、思惑のためにゲームで対戦していくといった流れとなっている。

当の主人公らにこれらの要素は直接見せてないので、読む側にのみ提示されている形となっている。そのため、主人公達にはそこまで重くはならず、読む側も気楽な学生ライフで箸休めとなる。

ある種、同じゲームを通しての群像劇といった作りである。

だからこそ、この作中のゲームから人間ドラマが展開されているため、この作中のゲームが現実味を持ちより一層、栄えるモノにはなっているのかもしれない。そして、ゲームに熱中する理由ともなる。
単純にバトルモノも期待していた人には、ここは弊害かもしれないが。

また、絵柄を含め少女漫画テイストだけに作者は女性ではある。それと同じく、作中に登場する女性達は皆強い。単純に腕っ節であったり、ゲームの強さではなく、精神的な強さである。

ここは同じ女性漫画家である荒川弘と似た点を感じる。

特に主人公の母親は在宅で仕事をする兼業主婦と父親よりも強い存在で描かれている。だからといって、道楽者の父親ではあるが情けない存在ではない。両親とも、人生の先輩としてのアドバイザーを兼ねている。

そういった点でも、この年代で少年漫画から出てきたのはすごいと思う。また、ゲーム漫画として、これだけのドラマを展開して破綻してないのはとんでもないモノである。

ゆえにeスポーツが盛んとなった今。また、ゲームに対してもリアリティを持って描ける今。そして、現実同様、ゲームに熱中する青春を描けている『BREAK-AGE』を今だから、読み直したいと私は声を大きくして言いたい。

ただ、長々と語っても興味の無い人にはアレだったと思います。しかし、『BREAK-AGE』を当時読んでいた人なら、いまだに語り継ぎたい作品であることだけご理解して頂けば幸いです。

そして、それ以上に興味を持って頂ければ、「マンガ図書館Z」にて読んで頂ければ作者への還元ともなります。もちろん、購読して頂くのが一番の還元ではありますが。

■今だから読みたい隠れた名作『ソリッドファイター』。だが…

『BREAK-AGE』を紹介したからにはもう一作、挙げたい作品がある。

『ソリッドファイター』である。
こちらは1997年に電撃文庫から出た、古橋秀之による作品、ライトノベルである。内容は格闘ゲーム版の『BREAK-AGE』といった所。

こちらもユーザーによってキャラクターをカスタマイズが出来るだけでなく、サードパーティ製のモジュールも出てくる。
また、オンラインでデータ更新がされ、バランス調整、仕様変更等から、飽きさせないコンテンツをしていると書かれており、こちらもゲームの未来像を感じさせた部分である。

格闘ゲームがeスポーツとなった今だから、読んで欲しい作品ではあるのだが…

ただ、こちらはオススメできない。なぜ、そう言うのか。
簡単な話、読む手段がないからだ。

『ソリッドファイター』自体はまだ古本では入手しやすいが、打ち切りの未完。そして、話として完結させた『ソリッドファイター 完全版』に関しては限定販売(しかも、書籍扱いではない)だったため、今ではプレミア価格となった。

入手困難な作品をさすがにオススメできない。

ここはある意味、今回一番語りたい点になるかも知れないが、如何に名作といわれる作品でも読む手段が無ければ、存在しなかったも当然である。

『ツヨシしっかりしなさい』という漫画作品がある。アニメ、ドラマ化もされたほどの作品ではあるが、下記のような都市伝説と化している。

一応、『ツヨシしっかりしなさい』に関しては漫画は電子版も出ているので、今でも触れることは出来る。ただ、多くの人が見たアニメの方はソフト化されていない。また再放送もほとんどされず、その点から集団幻覚まで言われる始末である。

このことからも、見られなくなった作品は如何に記憶に残っていても、無かったのも同然なのだ。

逆の話とはなるが、『美少女戦士セーラームーン』で例えた方が分かりやすいだろう。これは各年代で子供の時、見たアニメの代名詞であるからだ。
1992年の登場から完結した後でも、アニメの再放送、リメイクなどでその人気は途切れることは無かった。今もその存在感は色あせることはない。
その証拠として、この作品に憧れて声優を目指した女性も多い。それは干支を一回りさせるほどに各年代に渡っている。

語り継がれなければ、『ソリッドファイター』は存在が無かったことになるだろう。だが、作者である古橋秀之は『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』の脚本をされているほど現役。作品とともに消えた作家ではない。

『BREAK-AGE』のように当時を懐かしむ人のためだけでなく、今の子にも読み継がれる「マンガ図書館Z」のようなアーカイブの存在は大きいのかも知れない。元々、そういった側面も想定していたようである。

ついでとはなるが、「マンガ図書館Z」では『BREAK-AGE』だけでなく外伝、小説版も含むの書籍コンテンツが読むことが出来る。
ただ、小説版は別の人が執筆しているため、「マンガ図書館Z」の掲載には対しては、権利的に作者がかなり動いたのではないかと思う。
ゆえに作品を作ること以上に、数十年先にも残す方が大変なのかも知れない。

それに今のゲームしか触れてない子であっても過去のゲームが簡単にできる。アーカイブという環境があるからこそだ。だから、自発的にプレイする事も可能である。

文化とは語り継ぐだけでなく、直に体験させることも大事といわれている。ただ、体験する場がなければ、それは無理な話である。
そう考えると見られなくなり、語られなくなれば、作品の死となるのだろう。だからこそ、残す手段というのが実は大事なのかもしれない。

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ツカモト シュン
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