【"絶対に正しい"はない】
こんにちは。
コロナ自粛明けから、とてもありがたいことに現場の仕事をたくさんいただき思考の整理をする時間がうまく取れずにいました。やっと少し余裕が出たので、最近強く思うことを書き記しておこうを思いました。
今回のテーマは【"絶対に正しい"はない】と僕が思っているということです。
僕の仕事に関わらず世の中全てのことに当てはまると思っていますが、どうしても"正しい"を探したりそこを信じて疑わないことがほとんどだと思っています。
そこで、このことに関して掘り下げていこうと思います。
・正しい=正義
そもそも正しいとは何でしょうか?
調べてみると、「真っ直ぐ」「曲がったり歪んでいない」など記載があります。厳密に言うとちょっと違いはあるのかもしれませんが、正しいということは「正義」という言葉に置き換えられるケースがあると思っています。
子供向けのヒーローものは、正義の味方!!という捉え方になるでしょうし、ヒーローは悪者から守る正しき行いをしている存在の象徴となっています。
・正義の反対
僕のクライアントの方が以前、海外のドラマに関して話をしてくれたことがあります。それは、「正義の反対ってまた別の正義」ということのお話でした。この方が初めて言った名言ではないですし、他のところでも聞くことがあるかもしれません。でも僕にとってすごくインパクトのある話の内容とその言葉でした。
先程のヒーローものの話で例えると、ヒーローやその世界に住む一般人の目線で言えば
ヒーロー=正義
侵略者なり悪者=悪
ということになります。しかし、今度は悪者目線でみてみると
ヒーロー=悪
侵略者なり悪者=正義
ということに変わります。
上記の話を現実世界に当てはめてみても、例えば昔で言えば小売店がたくさんあった時代に量販店が進出してきてお客様を取られてしまって閉店せざるを得なくなったということ、さらにeコマースが主流となってしまい今度は量販店もがお客様を取られてしまって苦境に立たされるというケースです。
お客様目線、小売店目線、量販店目線、eコマース目線でそれぞれの状況で「正義」「悪」というものが簡単に入れ替わってしまいます。
そしてまたその立ち位置によって「悪」→「(別の)正義」という状況になってきます。
・"絶対正しい"は存在しない
状況や立ち位置によって「正義」が「悪」に見えたり「悪」が「(別の)正義」になったりしてくることが容易に想像できるかと思います。
つまりここには「"絶対に正しい"は存在しない」ということです。
これを読んで、そんなのわかってるよ、当たり前じゃん!と思うと思います。でも僕たちはすぐにこの前提を忘れて自分が正義だと信じ込んでしまうきらいがあるんです。
これもまた当たり前ですが、自分の知識がない業界のことは特にそうだと思います。知識があっても"絶対正しい"を求めてしまうからとても厄介だと思います。
・トレーナー業界での大きな問題点
ここで、僕の知りうるトレーナー業界の話になります。僕たち国家資格保有者は教育機関で一定の内容を教科書を用い教員から教えていただきます。それを元に国家試験を行い、合格した者だけが国家資格を保有することができます。
この仕組みのおかげで国家資格保有者は一定の知識と技術が(あくまで試験を行なった時点では)担保されることとなります。
国家資格を保有していない方々は、良い意味でも悪い意味でもどの程度の知識と技術をお持ちかは誰も担保していないということですので、これに関してはまた「別の正義」もある関係で割愛します。
国家資格保有者の話に戻りますが、教科書をベースに学びますので当然そこに書かれていることが「正しい」こととなりそれを勉強していきます。試験に受かるためにはその「正しい」ことを疑ってしまっては合格からは遠のいてしまうので、この時点では仕方のないことだと思っています。
しかしながら、教科書に書いてあることが本当に「絶対に正しい」ことなのでしょうか?
こんなにも多様性のある人間という生き物を対象に「絶対に正しい」が存在するのでしょうか?
DNAやそれに依存する脳のパターン、骨、靭帯、など構成要素はみんな一緒でしょうか?
左右の骨の構造が同じ、この関節は動かない、この関節は動かなければならない、この姿勢が正しい、など全世界の人が共通していることでしょうか?
それを信じて疑わない業界だからこそ、その「正しい」に向かってアプローチする方法を模索し、競い合う「方法論」での争いになっているように感じています。
・宗教に擬えて
適切かは分かりませんが、僕の中では一番しっくりきている表現としてこの思考を宗教に擬えて
「一神教」と「多神教」の違い
としています。宗教に関して記載したい訳ではないですしそこまでの知識もないので今回は先程のトレーナー業界の中での話として捉えてください。
・「一神教」のメリット・デメリット
メリット:「絶対に正しい」が存在しているので、ひたすらにそこに向かえば良いので思考を減らすことができる。=時短につながる可能性がある。目的への思考を減らした分、方法への思考を深めることができる。信じるものが一つなため、自分が揺るがない。たくさんの人との共有がしやすい。
デメリット:その信じているものが否定されてしまうと他の可能性がなくなってしまう。
・「多神教」のメリット・デメリット
メリット:ひとつの可能性が否定されても他にもたくさん可能性があるので様々な可能性を考えることができる。
デメリット:可能性がありすぎて、思考がとてつもなく大変。時間がかかる。
・たかはしの「正義」
ここまで書いていて、"絶対正しい"はない!と言ったくせに、「一神教」の方がメリット多いし、デメリットも少ないと自分でも感じます。だからこそ多くの方々が「一神教」になっているんだと思います。
"その人にとって現時点での正しい"はあっても、いつも揺るがない"絶対に正しい"は存在しないというのが、たかはしの考える「正義」です。
なので、根底にあるこの思考が違う人たちでいくら治療の話やトレーニングの話をしても噛み合うことはないと思っています。
この関節が動いたら良い、この筋肉が使えないとダメ、姿勢を良くする、猫背・反り腰は悪、骨盤が歪んでいるから矯正する、O脚・X脚矯正、巻き方・ストレートネックを治す
すごく良く聞く言葉ですし、ビジネスとして売り上げを立てることが大切だからそれを「別の正義」として捉えていますが、これは情弱ビジネスでしかないと思っているし治療家としての観点で正直に言うと、何を根拠に言ってるんだろう?と疑問でしかありません。
もちろん、「一神教」での思考のもとで治療やトレーニングを行なっていて良くなったりパフォーマンスが向上することはあります。でもそれはあくまで、その方法にクライアント側が合った、と言うことに他ならないと思います。
今その人がその姿勢をとっている、可動域、痛み、などは何か理由があるからこそそうなっているわけで、その理由を無視して「正しい"と思う"」ものに近づけるのは単なる思考停止と捉えています。
その仮説が本当にその人にとって良いのかどうか、検証してからアプローチすることがないと、ただのギャンブルになってしまうのではないかと危惧しています。
治療・施術・トレーニング、この類の僕らの業界のサービスは、ギャンブルであってはいけないと思います。
あくまでこのような思考や
【"絶対に正しい"はない】は「たかはしの"正義"」です。
こんなに書くつもりなかったのですが、思いのほか書いてしまって読むのが疲れてしまうと思いますが、本当はもっと細かく書きたいことはあります笑
また、更新した際に読んでいただけると嬉しいです。
大変な状況が続きますが、ウィルスもあちら側の「正義」のもと形を変えながら滅びないように頑張っているので、人間も負けないように頑張りましょう!!!