夢を失ったあの日、僕は絶望と希望を見た
みなさんは「夢」を抱いて、それを成し遂げたいという瞬間は子供頃にはあっただろうか?
僕にはあった。
「プロ野球選手になりたい」と小学校、中学校の頃は思っていた。
しかし、高校生になると、僕はなぜかその夢を諦め、次第に現実をみるように。
「勉強して、良いところに就職したい」「勉強していれば、いいだろう」など安易な考えを持っていた。
自分が知らない間に、「夢」を諦め、「夢」について考えなくなった。
高校のときに、一度「夢」を失った。
そこから、自分の人生は狂っていった。
なぜ、失ったのか?
僕は田舎出身で、小中学校、100人未満の小さな規模感のコミュニティに属していて、高校の1000人規模の雰囲気に当初馴染めなかった、、、、
そんな中でも、野球部には入りたかったので、入部を決意した。
そこからは、本当にしんどかった。
自分のやること、することを否定されたり、「なんで、そんなこともできないの?」の言葉を浴びせされ、僕の”繊細さん”はひどく傷ついた。
*繊細さんとは→HSP(Highly Sensitive Person)」という概念がある。敏感でストレスを感じやすいHSP。これを、繊細さんいう。
https://diamond.jp/articles/-/228899?page=2
先輩や横のつながりと上手く人間関係を築けず、マイナス思考になり、先生や先輩から怒鳴られ、僕の心はますます病んでいった、、、
その当時、周りに手を差し伸べてくれる人もいなかったし、僕が誰にも頼らなかったこともあり、負の悪循環に陥っていった。
ここで、覚えているのが、「甲子園でたい」や「レギュラーとりたい」と話しても、
周りにいる人が「どうせ、むりだろう」とか、「現実見ろ」とか、「馬鹿な事言うな。お前にはむりだ」とか、批判や否定を受けた。
初めて、”夢や希望”を語るのは悪だと感じた。
これらの要因で、僕は夢を語ること、考えることに”嫌気”がさした。
そして、夢を持つことにトラウマになった。夢とはこうあるべきという合理的でない信念が形成された。
希望の光
結局、野球部をやめ、学校にも行ったり、行かなかったり、露頭に迷っていた。このときにことを僕は自分で「暗黒時代」と名付けている。(ゲーセン行ったり、カラオケ行ったり、遊び呆けていた。)
野球部をやめて、4ヶ月経過していた。
なにかモヤモヤしながら、生きる希望もなく、ただ”無”の状態で学校に行き、仲の良い友だちと他愛もない会話し、1日がすぎる。こんな生活を送っていた。
そんな時、クラスの友達と中学校の時の友達がぼくを気にかけてくれていて、「たかひろ、最近モヤモヤしてるやろ。体動かしたいんやろ。陸上部くる??」と誘ってくれた。
僕はこの言葉に救われたし、ここで誘ってくれなかったら、今の僕は存在していないと思う。
それくらい、僕はうれしかった。心のどこかでは、運動したいと思っていたし、早く今の自分を変えたいと思っていたからだ。
友達には本当に感謝している。「ありがとう」と心から言いたい。卒部するときに、泣きながら感謝の気持ちを伝えたのをふと思いだした。
温かさに恵まれて
不安と希望を抱きながら、陸上部の仮入部の体験をしにいった。
そこには、”笑顔”があった。
ぼくを暖かく、先輩方や同回生が迎え入れてくれた。まるで、メンバーに入るのを喜んでいるように。
ぼくは「ここまで気持ちよく、受け入れてくれるんだ。笑顔がたくさんあって、練習している姿が素敵だ」と思った。
ここのコミュニティでは、オンとオフがしっかりしていて、練習するときは目標を立てて、追い込み、終わったら笑顔で「おつかれ」と言い、笑いながらバカをする。こんな人間味のある温かい「場」があるんだと改めて、ワクワクした。
自分の夢ではなけれど
ぼくは長距離に入ることにした。
理由は、色々あるが、自分の強みの”体力”と”やりたいこと”がマッチしていたからだ。やっぱり、自分の強み×好きなことがマッチすると上手くいくと思う。
ここで出会ったメンバー、特にH先輩には本当に感謝してる。彼、彼女らの「夢」は僕の夢(目標)に自然となっていった。
H先輩は、僕が入部したときに、ジョグ(ジョギング)をした人だ。「谷川、一緒にジョグ行かん?」と気軽に声をかけてくれた。少し、緊張していた自分を包んでくれる気がした。
それから、その先輩と毎日話したり、一緒に走ったり、いつしか先輩が僕の”目標”になっていった。
「いつか、彼よりも早く走れるようになりたい」と。
夏の大会が終わり、周りにいる先輩が徐々に部活動を引退していく中、長距離の駅伝メンバーは、次の目標の”駅伝”に向けて、練習を開始していた。
夏の暑苦しい中で、毎日ハードな練習をこなし、自分を追い込んでいく。この感覚が好きだった。辛いけど、自分のためになっていると毎日感じていた。
ある日、H先輩から、「なぁ、谷川。おれ、近畿駅伝に出場したねん。京都府駅伝で、10以内で入れば出場できるねん。」と語ってくれた。
この時のぼくは、人の何倍も練習し、徐々にタイムが伸びていって、先輩と同じくらまで、タイムが縮んでいた。
ぼくは、心の中で「先輩に恩返したいし、チームのために何かしたい」と思うようになった。陸上は個人スポーツと思われがちだが、実はチームスポーツでるとこの時理解できた。
それくらい、この先輩には感謝していたし、この人のために何かしたいと思えた。
自分のためにタイムを早くして、自分の結果のために練習するということから、チームや先輩の「夢」のために練習を頑張ろうと感じ始めた。
このときに、人の「夢」を応援し、「自分の夢」として、叶えたいと思うようなった。
叶えられなかった夢
2年生の駅伝を振り返ると、結果は11位だった。
10位以内をあと一歩で逃した、、、、
この時、本当に悔しくて、当日大泣きした。体が崩れ落ちる感覚を味わった。
自分の実力のなさを激しく責めた。
「なんで、もう少し頑張れなかったのか」「もっと早く走れたのではないか」と自分を追い詰めた。
「あと、少しだったのに。」「なんでなんだ。」本当に感情がおかしくなりそうだった。
チームのため、先輩たちの「夢」を叶えてることができなかった、、、、
でも、「切り替えなきゃ」と思い、僕は先輩に「来年、絶対近畿駅伝出場してみせます!来年、見に来てください!!1年後には、笑顔で喜んでる姿を待っててください」と言った。
先輩は「楽しみにしてる」と言ってくれた。
僕の気持ちがマイナスからプラスに動いた。
最後に叶えられた夢
2年生の時の駅伝後から、今年1年の自分の目標として「近畿駅伝に出場する」と心に決め、宣言した。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。怪我の連続で、練習をしっかりとできず、試合や大会に出られない日々が続いた。
途中で、何度もめげそうになったし、辞めようかなと思ったことも多々あった。
でも、そんなときに、僕を陸上に誘ってくれた友達、長距離の楽しさを教えてくれた先輩のことを思い出して、「もう少し、がんばろう。絶対できる。やれるぞ!自分!」と言い聞かせてた。
個人としては、夏に思うような結果は残せなかった。
夏の大会が終わり、周りの同期が引退していく中、長距離メンバーはほとんど残っていた。
気持ちを駅伝に切り替え、みんなの気持ちが1つになり、必死に今できることをした。
当日になり、現地に到着すると、先輩が来てくれて、「頑張れよ!」と言ったくれた。
僕は泣きそうになったし、うれしい気持ちがこみ上げてきた。
「絶対に近畿駅伝いくぞ」とみんなで円陣した。
走ってる途中、何度も挫けそうになったし、リズムよく走ることはできなかった。でも、応援してくれるチームメイト、親、先輩の声を聞くと、自然と足が前に進んだ。
どんな苦しくても、ここで襷を繋ぐことができないと、自分たちの念願の「夢」が成し遂げることはできない。本当に、目に涙を浮かべながら、自分の今の全力を出し切った。
襷が繋がった瞬間と同時に、倒れこみ、大声で「襷を頼むぞ」叫んだ。
グラウンドに戻り、チームメンバーや先輩と合流して、最後のアンカーまで必死に応援した。
「いま順位は何番か」
「どうなっているんだろう」
心は不安だったが、必死に声援と気持ちのエールを送った。
1位、2位、3位が続々と帰って来る中、ぼくたちは心を1つして、チームメイトを信じた。
待っていると、アナウンスと連絡が入り、近畿大会に行ける順位にいるという事実を聞いた。
グランドの入り口から、赤と青の色のユニフォームが見えた。
「きたぁぁぁぁ!!!!最後まで走りきれーーーー!!」と叫んだ。
結果は、見事に10位以内に入ることができ、自分たちの”夢”、去年から成し遂げたかったことを達成することができた。
ゴールした瞬間は、みんなで泣いて、抱き合って、笑い合って、喜びあった。
こんなに心から嬉しいと思える瞬間は今まで経験したことがあるだろうか。
いや、ない。
この時思ったのは、「夢を諦めないで良かった。夢を夢で終わらせないで、実際に実行までする。その過程が大事だな。」と。
こんなに待ち望んでいたことがあるだろうか。
ぼくたちは、チームで成し遂げた。一人一人最大限の力を発揮して、支え合い、助け合い、”襷”という一本の絆を持って、走り続けた。
その襷をつなげたことはぼくの一生の宝物。
夢って実際何でも良い。
周りに何を言われようが、夢を持つことは素晴らしいし、成し遂げようとする様子が素晴らしい。
「夢」の意味を改めて考えると、
「将来実現したいと、心の中に思い描いてる願い。」
また、「夢は誰かと比較して、優劣決めるものでもない。」
「その人が、ある瞬間から、心から叶えたいと願うこと、純粋に実現したいと思うシンプルなことだ」と。
どんな些細なことでも、「夢」を持つことを大切にして欲しい。ぼくが言えるのはそれだけ。
ここまで読んでくれてありがとう。
次もまた書いてみるね。ありがとう。
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