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【昭和歌謡名曲集9】TATTOO 中森明菜

今、TATTOOといえば、髭男らしい。勿論、そんな歌は知らない。TATTOOといえば中森明菜である。たしか「難破船」のひとつおいた次の曲である。1988年のことであった。

「難破船」は加藤登紀子の曲である。この難曲を歌えたのは明菜だけだったであろう。それほどに情感を乗せるのが難しい曲であった。明菜は毎回涙を溜めて歌っていた。圧倒されるような明菜劇場であった。当時私もある女性から「私の心は難破船」と手紙をもらい激しく動揺した。女性は20歳以上年上だった。言っておくが、何事もなかった。

そして、「TATTOO」。その振り幅の大きさよ。ドレス、イナバウアー、歌い上げ調の「難破船」から、ミニスカ、ボディコン、肩出し、スイング、ダンス、ジャスビート。な、なんでも歌えんだな、この子。

圧倒的な歌唱に加え、抜群のスタイル、顔も綺麗で可愛い。目力の強さ、キメ顔の色っぽさ。衣装も完璧。ダンスもカッケー。まだ、22だというのに。
本当かよ。あ、風吹ジュンのデビュー曲も22だったな、と余計なことまで思い出す。
一生ついていきます。と、明菜と一緒に歳を重ねていけることが楽しみで仕方なかった。楽しみだったんだよー!
なのに。

1989年、あのことがあって、明菜は少しずつ壊れていった。復帰してからの明菜の歌は精彩を欠いた。見るのが辛かった。芸能活動はそれから20年以上続いた。その間に、ゆっくり明菜は壊れていった。

2010年、無期限休養。
明菜をテレビで見ることはなくなり、それに呼応するかのように、歌番組はすっかり減った。個人で歌うアイドルはいなくなり、昭和歌謡は終わった。

テレビで、井上陽水と玉置浩二を従えて歌った明菜を思い出す。誰もそんなアイドルなんていなかった。


PS
私は聞いてないが、大島渚が金屏風会見の後、こう言ったという。

「確かに愛した相手は馬鹿だったかもしれないけど、誰かを愛したことは馬鹿じゃないんだよ」


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