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四十一帖「幻」、「雲隠」角田訳源氏(源氏、生涯を終える)

源氏の気力がない。何を見ても紫の上を思い出す。誰と話しても紫の上を思い出す。から、人には極力会わない。六条院の姫さんたちには、それでも時たま会う。他は明石中宮の残していった匂宮だけと話して自らを慰めている。しかし、匂宮の言葉の端に紫の上の話が出る。それがつらい。
 女三の宮のところへ行く。紫の上への思いをしみじみ語りたいのに、宮は「もの思いもない」とか古歌を引いて言うので、デリカシーがないなあ、他に言いようもあるだろう、と思ってしまう。
 明石御方の所へ行く。勿論優雅に迎えてはくれるのだけど、滲み出る教養が紫の上と比べると、やはりない。物足りない、と思ってしまう。
 花散里から装束が贈られる。源氏は、装束を空蝉になぞらえ悲しみにくれる。その癖、女房の中将の君には色目を使う。全く。
 夕霧がやってくる。紫の上の一周忌の相談である。源氏はよしなにとり計らえと言うばかり。
 鶯が鳴いても蛍が飛んでも七夕の星を見ても悲しみが募る。菊を見ても時雨を見ても雁を見ても、心が沈む。
 終活に入る。紫の上の手紙を処分する。仏名会が行われ、今年限りと感慨を深くする。正月の皆への贈り物は、またとないものとしよう、と思う。

 次の帖は「雲隠」。帖の名だけがあって、本文はない。

 これで第二部まで読んだ。源氏は死んでしまった。この後は、息子たちの代の話になる。丸谷才一なんかは、源氏は「若菜」から始まる。それまでは長い前段である、みたいなことを言っている。出来事だけでなく、より一層、情が語られ始めるからだろう。「御法」といい「幻」といい劇的な筋の展開はない。源氏の、紫の上への思いが、綴られ続けているだけである。

 紫式部は「源氏物語」を書くうち、人間の内面を発見していったのだろう。
 たとえ道に外れたことでも時にそれを行なってしまう人間。どうにも抑えきれない欲望。裏切られる切なさ。気持ちが通じ合った喜び。何気ない一言が、人を舞い上がらせもし、傷つけもすること。歌に込めたそのままの思い。裏の思い。当て擦り。嫉妬。復讐心。純粋な愛。焦がれる思い。分かり合えそうな期待。捨てられた苦しさ。それら様々の思い。
 そしてそれら思いを包み込む、宮中の華やぎ。舞。管弦の音。和歌のリズム。返歌の妙。季節の草花。様々の催し、遊び。装束の見事さ。自然の美しさ。花の匂い。鳥の囀り。降る雪。小雨。時雨。大嵐。蛍。虫の音。月。灯火。綴られる文字の美しさ。描かれる絵画の見事さ。
 誠、全てが雅であった。雅の中に、人の内面が綴られた。

ああ、すっかり物語に酔ってしまった。
続き、第三部は日をおいて読むことにする。

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