高橋弘希「箱」
中学校の道徳の時間にお話を読まされた。読んで感想を言わされたり書かされたりした。その後、先生がそれらしいことを言って授業を締めた。
今の子達はディスカッションなどさせられると聞く。パソコンに自分の意見を打ち込んで、似た意見がグループ分けされて、討論したりすると言う。誠に気の毒なことだ。生徒がホントのことを書くわけがない。教師が喜ぶようなことを書くに決まっている。或いはわざと反道徳的なことを書くかも知れない。何にせよ二、三回やると飽きるだろう。
中学生の時、読まされたお話で未だに忘れないものがある。といっても詳細は勿論覚えてないが。
外国の戦争中の話である。男は戦場から逃げるのである。兵隊ではない。普通の男だ。
逃げる時、牧師さんだかなんだかに、ハンカチで包まれた固い包みを貰う。牧師さんは、もう一歩も動けなくなるまで包みを開けてはならない、と固く言う。男は中身を固いパンだと思う。
誘惑に負けて包みを開き食べてしまえは、もう先に進めない。それで終わりだ。男は言いつけを守って、どんなに腹が減っても包みを開けず、どんな危機に見舞われても包みを握りしめ、俺にはパンがあると信じて、戦線を離脱する。
安全な所まで逃げ延びて、包みを開くと、中身は固い木片だった、という話であった。
先生は、どんなに辛いことがあっても「希望」さえ失わなければ、なんとかなると言った。
戦争中でもないし、そんな危機に見舞われてない私は、そんなものかと思った。
この小説は、失業中の若者が闇サイトで、ヤバいバイトをする話である。
箱を渡され、百日保管すれば百万貰える。ただし中を見てはいけない。若者は箱を受け取り前金の五十万を得る。残りは後払いだ。
だが、箱を届けた男は拳銃強盗を行い警察に捕まる。
若者は疑心暗鬼のまま、百日を待つ。勿論箱を開けることはしない。できない。
百日経っても誰も箱を取りには来ない。
若者は箱を処分しようとするが、できない。やがて意を決して、若者は箱を開ける。
戦争を逃げ延びる男はハンカチの中に希望を抱えていた。箱を渡された若者は、箱の中に絶望を抱えている。絶望を見ないように過ごし、それを自分から遠ざけ、しかしそれはうまくいかず、結局は絶望を抱えて暮らす。
やがて、それにも耐えきれず、若者は箱を開ける。絶望の顔を見る。こっから先は書きません。お読みあれ。
中学校時代の私は、世の中を舐めていた。装うにせよ反発するにせよ、それは所詮子供のイキがりであった。
人間とは弱い生き物なのだ。
それを知らない中学生は幸せで脳天気な馬鹿野郎である。私もそのひとりだった。
繰り返そう。
人間とは、醜くて自分さえよければいい弱いすっとこどっこいな生き物なのだ。
それが基本である。
若者の名前は鈴木と言う。日本で最も多い苗字のひとつである。