佐藤厚志「敦盛草」
リアリズムの小説である。もう年いってるので、こういう小説を読むと安心する。
老夫婦の日常が描かれる。主人公の道子の夫は、二年前手術をしてから怒りっぽい。子供達は都会に出て戻ってこない。庭の敦盛草が盗まれる。自転車で転んで車に轢かれそうになる。一人暮らしの友達が孤独死する。もうすぐ近くのスーパーが閉店する。商店街はだいぶ前からシャッター通りだ。近くの信用金庫の集金鞄が盗まれ、鞄が家に投げ込まれる。干していたかぼちゃが盗まれる。
かぼちゃの件以外は解決しない。日常を淡々と描いているが、状況的にはかなり悪い。が、主人公は悲壮感に苛まれることもなく、多少の不安は抱えながらも、日常を淡々とこなしていく。その生活ぶりは地に足がついている。
多分、生活するとは、そういうことなのだろう。特に地方で老年期を迎える者たちは、同じような境遇にいる。取り残されて、唯一縋るべにコミュニティの信頼さえも揺らいでいる。小さな悪意があちこちに潜んでいる。
そんな状況だからといって、どうにも変えようはない。そこに住むだけである。生活の知恵として変に心を腐らせることなく、受け入れ、毎日を生きるだけである。
小説のドラマ性を思う。この小説では、ひたすらに起と承が繰り返されていくだけで、かといって主人公の心に強い変化が生まれるわけでもない。なにかドラマを求めて読めば肩透かしなんだろう。でも、ホントの日常のリアルはどっちにあるかというと、この小説にある。
フィクショナルな小説の一方で、こうした小説があることの意味は大きい。我々は今、どんな世界にいるのか、こうした小説は教えてくれるから。