坊主は上手に屏風に坊主の絵を描けるのか・・・!?(対談)

▪️まえがき

この世をば/ わが世とぞ思ふ /望月の /欠けたることも /なしと思へば

ああ道長はなんて呑気で悠長なのだろう、ってこの歌をなんかの拍子に思い出すたびに羨ましくてため息が出る。いいなーいいなー。

ところで、最近気になっているカタチがある。◯である。はな丸百点満点、家庭円満、ミステリーサークル、空飛ぶ円盤。みんな丸い。地球だって丸いし、行きつけのミスドのドーナツも丸い。

どこにいってもカドのたってしまう僕にとって、言わば◯は憧れの形である。◯には何かがあるんじゃねえか。この世の甘くて危険な秘密が…なんてことを考えていたら、知り合いの坊主から「滝行しねえか?」ってFacebookにメッセージが届いた。(坊主だってFacebookをする。)

もしかしたら◯の秘密を探る手がかりが掴めるかもしれない。すっかり探偵気取りの僕は、ピキーンと来てしまったのである。いざ、滝行に参らん。(例のごとく友人を巻き添えにして)

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※ 鎌倉の普賢光明寺にて。(坊主と屏風)

◾️坊主な日々 その1

-単純にさ、お坊さんってどんな日々送ってるの?ってのが俺はもちろん、世間一般の興味だと思うんだけど、お坊さんってどんなスケジュールなの?

坊主 : ウチはけっこうイレギュラーなお寺なんだけど、まぁ大きいお寺だと朝掃除してみんなでお経読んで…

-うんうん、一休さん的な感じでなんか嬉しい。笑

坊主 : んで、托鉢をしに行く。

-それって銀座とかでもやってるようなヤツ?

坊主 : あれも托鉢なんだけど、京都とか鎌倉だと托鉢しに行く家ってのがだいたい決まってて、そこを回る感じかな。

※托鉢 : 僧が修行のため、鉢(はち)を持って、家の前に立ち、経文を唱えて米や金銭の施しを受けて回ること。(wekipediaより)

- へぇ~京都とか鎌倉だとまだそういう文化が生きてるんだ。

坊主 : まあ、やってるのは本山クラスの大きいお寺だけだけどね。んであとは時々、今日みたいに信者さんと滝行してみたり、勉強会とかもやったりしてる。

※本山 : 一宗一派を統轄する寺院。

- うん、今日は誘ってくれてありがとう。(笑)その話はとりあえず後でちゃんとするとして…さっきチラッと言ってたけど大仙のとこのお寺はどこがイレギュラーなの?

坊主 : ウチは家族だけだからね。親父が始めたお寺だし。

- え、そうなの!?え、パパはなんで始めようと思ったの?

坊主 : もともと霊能師で人の悩み相談とかしてたらしいんだけど、ある時に仏教的な啓示を受けたらしくて、それで東大寺にアポなしで乗り込んで認可をもらって…

- いやちょっとまって。(笑)えーっと、パパは明らかに超能力あるの?なんか具体的なエピソードとか…

坊主 : うーんパッと行方不明者見つけたり、あとスプーン曲げとか得意だよ。なんなら車の鍵とかも曲げちゃう。

- ぐへっ。(笑)念のために確認するけど、大仙に超能力は…

坊主 : ない。(笑)

- なんか身体の使い方とか変えてみたら急にエスパー使えるようになったり…

坊主 : ないってば。見つけたら教えるよ。(笑)

- でもさ、子供の頃から坊主になるって決まってたんでしょ?葛藤とかなかったの?ましてやパパが超能力使えて、しかも仏教的な啓示を受けたからお寺を始めたなんて言われちゃったら何にも言えねえっていうか…

坊主 : そりゃあったし、今でもあるよ。

- いやでもさ、今日実際に坊主やってるとこみてさ、あー腹決まっちゃってるな~たぶんコイツはこの道で行くんだろ~な~って思った。なんか高校生くらいの頃の大仙って、もうちょっとなんか哀愁が漂ってたっていうか…(笑)

坊主 : それはあるかも。もちろん今でも迷いはあるけど、やっぱりあの頃は漠然としてて何が何だかって感じだったけど、今はそこまでモヤモヤはしてないかな。

- それはどんな心境の変化?

坊主 : やっぱ年齢を重ねると親父の偉大さとかがわかってくるのよ。あとは、やっていくうちにこの仕事好きになってきたかな。仏教の教えを伝えることで楽になる人がいるっていう確信も今はあるしね。

- ふ〜ん。

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※滝行の帰りにスタバでペチャクチャ。(坊主だってスタバにいく。)

▪️坊主な日々 その2

坊主 : でもまぁ親父には敵わないわけだ。

- そりゃ車の鍵曲げられちゃったらね。(笑)

坊主 : だからそれに代わる自分の武器が欲しいってのもあって大学で臨床心理士の資格取ったり、仏教の原型を知ろうと思ってスリランカのお寺に2ヶ月間滞在してみたり…

ー あ、それFacebookで見た!どうだった?やっぱりお坊さんの扱い違う?

坊主 : そりゃもう全然違うよ。例えば向こうでの滞在費一円もかからないのよ。

- さっき托鉢の話が出て思い出したけど、ラオスに行った時に托鉢見たのよ。朝6時くらいにオレンジの袈裟を着た坊さんが民家回って、そしたらその時間になるとみんな家の前に出てきて、手を合わせながらお布施を壺の中に入れて…

坊主 : うん、そんな感じ。もう文化的土壌みたいなのが全然違うんだよね。

- あれ、すげえカッコよかったな~

坊主 : バスは一番前の席だったし、間違えてその隣に女の人が座ると、周りの人がそこ座っちゃダメだよって言って席移されたり。

- あら、残念。(笑)でもなんかそれってすごい今風じゃない?仏教の国際交流っていうか…ホームステイならぬテンプルステイっていうか…(笑)

坊主 : いまけっこうそういう流れは生まれつつあるみたい。成田でインド行きの飛行機乗ったら坊主だらけでビックリした。

- え、それめっちゃ面白いね。(笑)

坊主 : てっきり飛行機に乗る坊主なんて自分くらいかと思ったら、むしろ周り坊主だらけでちょっと小っ恥ずかしかった。(笑)

- そっか、社会の流れに合わせてお寺もやり方みたいなのが変わって来てるのか。

坊主 : 意外と国際化してるみたいだね。求められてる役割が変わってきてるのは、お寺側もヒシヒシと感じてるよ。

-なんかさ、違う国を旅してみたり、古典の授業で女の子が失恋して出家するなんて話を読んだり、宗教にまつわるニュースをテレビで流れてるのを見たりして俺が思うのはさ、宗教ってその時代とか社会によってやたらとその価値を上げられたり下げられたりするな~って。

坊主 : そうだね。

- で、翻って僕らのホームグラウンドである現代の日本において宗教って、語弊があるかもしれないけど…そんなに大事にされてないじゃない?やっぱりお寺をやっていくの今の日本では苦しいの?

坊主 : うんそれはあると思うよ。インドのお坊さんとかも日本に来ると副業をやらざるを得ないらしいし。

- で、そこに戦略とかは必要だな、とかは思う?

坊主 : もちろん思うよ。でもウチは今の時代のニーズから生まれた新しいお寺だから、今のやり方を続けていって、ちょっとずつマイナーチェンジして形がでかなめいければな~って感じかな。

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※僕のわがままにいつも付き合ってくれる友人。似合い過ぎ。

▪️「そうだ、滝行へ行こう」

坊主 : 滝行どうだった?今日やったのって、けっこうガッツリ宗教的行事だったと思うけど、抵抗はなかった?

- 実際中に入ってみるとそんなになかったかな…まー滝行思ってた以上に激しくてそれどころじゃねえってのもあるんだけど。(笑)

坊主 : 最近、雨多かったしね。今日はなかなかの水量だったよ。(笑)

- だからもう無心になれたかな。頭で考えてる余裕なんかなくて、あー修行ってのはメチャメチャ身体的なことなんだなって。

坊主 : 人間ってつい頭でモノを考えちゃうじゃない。いまの社会では特に、感情とか身体とかが日々の生活のなかでないがしろにされちゃう。修行はそういう普段忘れがちな感覚を呼び覚ますっていう側面もあるんだよね。

- 最初に水浴びた時は、久しぶりに呼び覚まされた身体がびっくりして息が止まるかと思ったけど。(笑)

坊主 : でも大変だったかもしれないけど、終わったあと、けっこう清々しい気持ちになれるんじゃない?

- うん、それは間違いなくあるね。

坊主 : それって残業で仕事終わらせなきゃっていう苦痛とはやっぱり違うじゃない。

- あとは嘘でもやるっていうか…俺が神様信じてる信じてないとかは関係なしに、白い道着着てさ、周りにいる人が一心不乱にお経唱えてて、太鼓が鳴り響いたりしてて、どう考えても緩やかでない滝に打たれたら、そりゃね何か感じるものはありますよ、っていうのはあるよ。(笑)

坊主 : 形式をなぞることで生まれるものってのはあるよ。

- でも普通はさ、できれば苦痛なんて避けたいじゃない。わざわざこんなこと!っていう。俺もたまたま知り合いにお坊さんがいて、滝行してみない?って連絡くれたから、まー1回くらいやってみるか、くらいな気持ちになったけど。(笑)

坊主 : 間口としてはそれくらいでいいかな、って思ってるよ。

- もちろん俺たちみたいな、なんだろ…”そうだ、京都へ行こう”みたいな感じで”そうだ、滝行へ行こう”っていうヤツがいてもいいとは思うんだけどさ。(笑)

坊主 : んで、そっから興味があったらまた来てくれればいいし、仏教について勉強してみてもいいし。(つづく)

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※滝行をした塩川の滝。(マイナスイオンが凄すぎて、もはやプラスイオンなんじゃないかと思った。)

▪️このご時世…

- でも、俺たち以上に滝行が必要な人ってのもいると思うのよ。今日、周りにいた信者さんたちと俺たちにの間にはやっぱり切実さみたいな点で、かなりギャップを感じたかな。

坊主 : いろんな事情を抱えている人が来てるからね。

- で、そういう切実さみたいなものを抱えた人たちが”そうだ、京都へ行こう”みたいなポップなノリじゃ、滝行には来ないじゃない。

坊主 : うん、そういう人はだいたいご親族とか口コミでうちに来てくれるっていう形が多い。

- でも、いやなんか反論ばっかりで申し訳ないんだけど、でもでも、もっといろんな人に来て欲しいな~っていう思いもあるんでしょ?

坊主 : そりゃもちろん。やっぱり仏教ってすごく示唆に富んでるな~って思うし、実際に歳をとってから仏教に興味を持つ人って多いのよ。

- 逆に言うと、多くの人がそれぞれのタイミングで、生きるってなんだろ~みたいなことを考える出来事って訪れるのかもしれないね。

坊主 : そういう何かあった時に対しての仏教の深みみたいなのをすごく感じてるかな。こないだスリランカに行った時も欧米の人もけっこういたりしてさ。

- へぇ~、そんなムーブメントも起きてるんだ。ただその一方で宗教に対する偏見みたいなのもあるじゃない?

坊主 : それはオウム事件以降かなり顕著だね。

- そうすっと、「自分たちは変なものではありません!」って説明しなくちゃいけないんだけど、それってすればするほど怪しい。(笑)かと言って黙っててもお寺とか宗教が勝手に機能できてる時代でもないじゃない。そこはすごく難しいとこだよね。

坊主 : あと、偏見ってので関連して言うと、苦行って言葉があるじゃない?

- ”苦しみを、行う”の苦行?

坊主 : あれもさ、字面のせいってのもあるけど、どうも原典読んでると一般的なイメージってかなり誤解があるみたいなのよ。

- 苦しんだ先に何かあるぞ~ってことじゃなくて?

坊主 : というよりも、仏陀が言いたかったのは足るを知るってこと。”苦”って言うからわからなくなるんだよね。

- この世は苦しみに満ちていて、生きることは辛くて…ではなくて

坊主 : ”苦”ってのは不満足ってことで、生きるってのはどこか満たされないんだけど、でもその領分はちゃんとわきまえなさいってこと。

- それってすごく面白くてさ、本来宗教って別に、何か特別なことをして特別な何かになろうとかって言ってるわけじゃないんだよね。

坊主 : そう、日々の積み重ねの話なんだけどね。

- でも世間のイメージみたいなのはむしろ、なんかヤバイことしてヤバイとこに辿り着くみたいなイメージがある。もう、日常みたいなところから宗教がすっかり遠くに行っちゃってる。

坊主 : 江戸時代以前だとお坊さんってのはいろんな学問を修めた人として、いろんな人の悩みを聞いたり問題の解決を委ねられたりとかしてたんだけど、明治以降になってそういう役割はいろんな専門家に分断させられちゃった。

- カウンセラーだとかコンサルタントだとか…そういう世の中に反骨心みたいなのあるの?

坊主 : 反骨心っていうか、例えばカウンセラーだったらクリニックに行って60分¥5,000、みたいな感じでそれっきりの関係じゃない。もちろんそれでお互いを守ってるっていう部分はあるんだけど。

- お坊さんだともっと寄り添った関係っていうか…

坊主 : 会員さんから夜中に電話かかってきても出るし。

- わっ、それは大変だね。

▪️ヒビショージン!

坊主 : だからそういう、いつでもそこにいますよっていう寄り添い方ってのは、やっぱりお寺にしかできない機能なんじゃないかってのは思うかな。

- あとは、あれだね。「どうしよう困ったな~」ってなった時に、どれだけ多くの人が「そうだ、お寺行って話聞いてもらおっ」ってなるかだね。

坊主 : って言っても、まだ俺は親父の見習いみたいな感じだから、まずは自分の修行を積まなきゃな。

- それってどれくらいのスパンの話なの?

坊主 : 一般的には息子が50歳になった時にパワーバランスが変わるって言われてる。

- わーっ。(笑)

坊主 : それに最近ちょっと迷走中。

- お、坊主の悩み。聞くよ聞くよ。(笑)

坊主 : 親父が超能力持ってる一方で、俺は何を武器にすればいいのかなっていう。

- うーむ。もちろんさ、パパが超能力使えるって事実はあるのかもしれないけど、やっぱ説得力じゃない?

坊主 : と言いますと?

- 「この人に何かを委ねてもいいかな~」って思われればいいわけでしょ?それはパパみたいに車の鍵を曲げちゃう、っていう明らかな凄さでもいいんだけど、でもなんとなくこの人と会うとホッとするな~っていう感じが大仙から出てるってのもアリじゃない?

坊主 : なるほど。

- で、それはこれからの修行で辿り着けなくはないんじゃない?なんか、お坊さんに説教してるみたいで大変恐縮ですが。(笑)

坊主 : 日々修行だね。

- まったくでござる。

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※お世話になった橋本治の著書。

▪️あとがき

ヘラヘラと何の考えもなしにお坊さんに会いに行くのも悪い気がして、滝行に行く前に、橋本治が書いた宗教に関する本を本棚から引っ張り出して久しぶりに読んでみた。(この人の文章には浪人中によく励ましてもらっていた。)

その名も『宗教なんかこわくない!』。地下鉄サリン事件を皮切りに現代における宗教、そして宗教そのものについて語っていくのだが、その本の最後にこんな一節がある。

ー 宗教は、捨てられるものではなくて、人間達によって解体され再吸収されることを必要としている”子供の時の美しい空の記憶”なのである。


(場面は変わり、丸さにについてのミステリー)


短パンにランニングシャツ、ビーサンをペタペタ鳴らしながら男が夜道を1人歩いている。近所の銭湯にでも行ったのだろうか、肩の手ぬぐいは湿っている。右手にはコンビニで買ったワンカップ。

「おっと、うっかりビーサンが脱げちまったぜ。コンチクショー。」

おやっ、脱げたビーサンの近くにはダンゴムシ。

「おまえもこれから家に帰るのかい?ぐひひひっ」

なんつって酒のニオイプンプンさせながら、男がそいつをつっつくと、ダンゴムシは男の期待に違わぬよう、嫌な顔ひとつせず丸まった。

(おわり)


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