宮崎本大賞実行委員長になりたての僕がおおやらかしをする話
🖊ミミズクと呼ばれる老女との対話
「・・・つまりあなたは、自分で企画した現地ミーティングに参加できず、オンラインで説明をすることになった。自分でわざわざ宮崎市まで、車で3時間かけて椎葉村から向かうと豪語したにもかかわらず」ミミズクと呼ばれる老女は、アール・グレイを半分ほど飲みおえた器を机に置きながらそう言った。器が欅材の机に置かれた時の音は、まるで『荒涼館』の裁判官が打ち下ろす槌のように黙示録的な、あまりに調和がとれすぎた不調和に満ちていた。
「その点については、釈明のしようもありません」と僕は言った。ほかになんと言いようがあるだろうか?僕は遅刻した中学生二年生みたいに萎れて、ミミズクと呼ばれる老女の隣でうつむきながら立っていた。左手の中指の「さかむけ」が痛い。
「でも」と僕は続ける。ミミズクと呼ばれる老女は丸眼鏡のフレームの上端で僕に銃口の照射を合わせるみたいに視線を送る。僕は、夜の森で狙いをつけられた野ネズミになったような気がする。「案外収穫もあったんです。オンラインではあったけれど、そこには伝えたいことと伝えられるべきことがあったし、24ページのプレゼン資料のうちにはとても大事なことがあってそれについて僕は・・・」
「いいから」と、ミミズクと呼ばれる老女はあくまで静かな声で僕を制した。森の中で生きる者にふさわしく静かな声だったけれど、宮崎から色丹島まで響くみたいによくとおる声だった。「ゆっくりでいいから、あなたの考えていることを話してみなさい。時間はたくさんあるのよ。たっぷりとした水飴みたいに」
「たっぷりとした水飴?」と僕はすぐに尋ねてしまう。そうするべきではないと分かっているけれど、すぐに尋ねてしまう。悪い癖なのだ。
「とにかく」と、ミミズクと呼ばれる老女はため息をつきながら続けた。「時間はたっぷりある。それは誰かに与えられた時間ではなくて、私たちが私たちのために私たちで生み出した時間なの。今のわたしたちには、そうすることが必要なのよ。そうだと思わない?」
「なんとなく、そんな気がします」と僕は答える。僕たちは急ぎすぎているのだ。だからたまに僕はこうして彼女に会いにくる。ひとつのプロセスを経て、物語の中にやってくる。
「じゃあ聴かせてちょうだい。宮崎本大賞の目指すところをね。時間はたくさんある。たっぷりとした水飴みたいに」
「たっぷりとした水飴みたいに」
僕はその言葉を自分の中に取り込むように繰り返し、ひとつ息を吸った。ある民族にとって特別に重要な舞が始められる時のように、僕は語り始める。
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・・・まぁそんなわけで、第5回宮崎本大賞の実行委員長として公式noteにつづっています。その途中で、上記のような文章を書き始めてしまいました。
いやこれは公式noteに載せるべきではないな、と思うくらいには僕はまだ地に足がついているらしいです。この地がどのように揺れ動いているかは、もうわからなくなっているけれど。
よろしければ、僕たちが考えていることをお読みいただければ嬉しいです。