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新社会人へ「反省などしなくてヨロシイのです」
こんにちは。
新社会人の姿を、都内でも見かけるようになりました。
いわゆるZ世代の皆さんに、今回もお伝えしたい内容です。
■反省ばかりしてきたオトナ
いつだったかのコラムで、こう書きました。
今の職場の上下間の課題は、「部活文化」の延長にあることが原因のひとつだ、と。
若者の考えがわからないことの怖さ。
その怖さを、「権力」というものでごまかしてしまうオトナ。
それはやはり、日本人が脈々と引き継いできた「反省の文化」でもあると思います。
何か失敗をやらかす。
「お前、わかってるのか!反省しろ!」
「はい。すみません。反省しています」
「よし。じゃあ、よろしい」
とにかく反省すれば、ことは収まる。
極端ですが、日本人のメンタリティーの大部分は、こういう曖昧さのなかで育まれてしまったように思います。
反省しているそぶりさえしておけば、怒っている相手は許してくれる。
そして、また同じ失敗を繰り返す。
■外資で見た衝撃の反省
忘れられない光景があります。
外資の企業での会議に陪席していました。
本国のディレクターに、現地(日本)の責任者が、数字の報告をする場面です。
その時点で、数字は、目標に遠く及ばない状況です。
私は内心、「これは荒れるな」とドキドキしていました。
ところが...
現地の責任者は、あろうことか、じつに朗々と、あるいは自慢げにすら思えるくらいのトーンで、
この状況を報告するではありませんか。
信じられないと思いました。
しかし、その内容を冷静に聞いていて、なるほどと思いました。
報告の内容は、大まかにいうと、
・計画されていたことは正当性があったが、想定外はこうだった
・そのときのベストはこうやって尽くした
・しかし、この部分が原因となって目標をくずしてしまった
・つまり次は、この部分を想定に入れて計画をするつもりである
という、まるでプレゼンです。
これはもはや、反省でありませんでした。
■反省とは、「なにもしない」ということ
反省好きの日本では、まずあり得ない光景だと思いますが、
私はこの場面に遭遇し、すがすがしい思いすらしました。
つまりこの外資企業では、起きたことを、反省でなく「分析」していたのです。
そのときに計画した自分は悪くない(いかにも外資ですが)。
大切なのは、起きたことを次に活かすために、分析して学んでいるか、ということです。
多くの上司部下の関係では、起きたことについて「人格」を責めることが、なぜか多いです。
これは、本当にやめてほしいことです。
起きたことについて、「現象」として分析することが、次につながる、本当の学びなのです。
つまり、「日本的反省」とは、
その場しのぎのスキルであって、
結局なにもしない、という意味です。
「自分が未熟でした」
「私が悪かったです」
「申し訳ございません」
謝れば済む。。。こうなると、せっかくの分析すべき現象は、置き去り。
後に残るのは、「人格否定された気まずさ」だけなのです。
■失敗を恐れる若者?それを作ったのは大人たち
肝心なのは、次に同じ失敗をしないために、何を学ぶのか、です。
若い人たちが社会に出て、すぐに自信を失ってしまうのは、
こうした反省文化による、「お前は俺たちより未熟なんだ」
という洗脳だと思っています。
そして、こうした反省の強制をやり続けるから、「失敗したくない」若者が増える。
当たり前のことでしょう。
「今の若者は失敗を恐れる」とよく聞きますが、そうさせたのは、私たちオトナなのです。
オトナこそ、反省すべきなのではないか、と。
いや、学ぶべきだと思うのです。
私は、新入社員と、50才のミドル社員が、親友のようになれる職場が理想だと思っています。
年下に対して「恐怖」を感じさせるのは、あまりに器が小さい。。。
オトナの私たちが、彼らをイキイキさせてこそ、持続可能な組織になると思いませんか?
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
あまり利口でない人たちは、
一般に自分のおよび得ない事柄については
なんでもけなす。