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欅坂46は、何を諦め、何を貫くのか

【欅坂46/『黒い羊』】

やはり、そうだった。

今回の新曲"黒い羊"は、彼女たちにとって、渾身の勝負曲なのだ。

まず、初めてこの曲のタイトルを知った時、そう予感した。それぞれのメンバーが、この曲を授けられた時の感情を、ありのままの言葉で語る姿を見て、確信した。

そして極め付けが、この歌詞である。

《自らの真実を捨て 白い羊のふりをする者よ/黒い羊を見つけ 指を差して笑うのか?/それなら僕はいつだって/それでも僕はいつだって/ここで悪目立ちしてよう》

そう、極めて鮮烈なメッセージを内包するこの曲は、現行のJ-POPシーンにおける、欅坂46の存在意義、まさにそのものだ。


デビューから約3年にわたり、彼女たちが懸命に表現し続けてきたものを、ここであえて言葉にするならば、それは、歪みきった大人たちへの「反骨精神」、そして、灰色の時代を自分らしく生き抜くための「信念」だ。

《君は君らしく生きて行く自由があるんだ/大人たちに支配されるな/初めから そうあきらめてしまったら/僕らは何のために生まれたのか?》("サイレントマジョリティー")
《不協和音を/僕は恐れたりしない/嫌われたって/僕には僕の正義があるんだ》("不協和音")
《月曜日の朝、スカートを切られた/通学電車の誰かにやられたんだろう/どこかの暗闇でストレス溜め込んで/憂さ晴らしか/私は悲鳴なんか上げない》("月曜日の朝、スカートを切られた")

彼女たちは、まさにその一歩目から、他のどんなアイドルも歩んだことのない茨の道を突き進み続けてきた。

J-POPシーンのど真ん中を主戦場としながら、妥協も忖度も迎合も一切しない。その歩みが、メンバーたちにとって、どれだけ過酷なものであったか、改めてここで述べるまでもないだろう。

しかし、その孤高な闘争は、すぐにアイドルファン、そしてロックリスナーから強く支持された。今思えばそれも必然だった。同じ時代の他のどんなロックバンドよりも、彼女たちは、逞しく「反骨精神」を轟かせ、真っ直ぐに「信念」を掲げてくれていたからだ。この時代に思春期を過ごす少年少女たち、そして、その頃の青い衝動を失いかけた僕たち大人は、だからこそ、欅坂46の「ロック」を必要とする。

そして、今回のシングル曲"黒い羊"は、デビュー以降の約3年にわたる活動の、一つの到達点ともいえる楽曲となった。

穏やかで流麗でありながら、心の奥底まで突き刺さるメロディ。無機質なビートと、心内の仄暗さを感じさせるアンビエントなサウンドプロダクション。そして、彼女たち自身の本心をありのままにトレースした、鋭くエモーショナルな言葉たち。

《黒い羊 そうだ 僕だけがいなくなればいいんだ/そうすれば 止まってた針はまた動き出すんだろう?》

当たり前ではあるが、生半可な気持ちでは、J-POPシーンにおける「アウトサイダー」であり続けることは決してできない。いわゆる「アイドル」を目指してこの世界に飛び込んだ一期生のメンバーたちは、きっとこれまでに何度も引き裂かれるような思いをしてきたのだろう。

それでも、いやだからこそ、この曲は、そんな彼女たちの「諦念」にも似た「覚悟」を想起させる。

特筆すべきは、平手友梨奈の《全部 僕のせいだ》という悲痛な独白。絶対的エースとして、グループの象徴の役割を担い続けてきた彼女の心境を思うと、強く胸を締め付けられる。

《白い羊なんて 僕は絶対なりたくないんだ/そうなった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ》

これからも僕たちは、欅坂46の「ロック」を求め続けるだろう。その必然として、これからも彼女たちは、凝り固まった既存のJ-POPシーンへ「異論」を唱え続けていくはずだ。

"黒い羊"には、そう確信させてくれる力がある。

何度聴いても、

何度ミュージックビデオを観ても、

静かに心が震える。



※本記事は、2019年3月2日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

「tsuyopongram」はこちらから



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松本 侃士
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