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SF映画の金字塔『インターステラー』が証明した「愛」の形について。

【『インターステラー』/クリストファー・ノーラン監督】

宇宙物理学者 キップ・ソーンが製作を担当した今作は、まさに、テン年代におけるSF映画の金字塔だ。

万に一つの可能性に懸ける「探検家」として描かれる科学者とエンジニアたち。重力の謎を解くために歩む果てなき旅路。不朽のSF映画『2001年宇宙の旅』(1968)を参照しているようでいながら、あの作品とは全く異なるエモーショナルな映画体験に心を震わせられる。


空、宇宙、銀河の先に、人類の希望はある。そして、その眩い輝きは、今、この地球に生きる全ての人々の人生を照らしてくれる。

語弊を恐れずにいえば、これは、「家族」のドラマだ。時空を超えて通じ合う父と子の愛の物語なのだ。まさに、「親は子供の未来を見守る幽霊だ」という台詞が象徴的であるが、今作は、理論を重んじながら、極めて非科学的な主題を据えている。


《Love isn't something we invented. It's observable, powerful.》(愛は人間が発明したものじゃない。観察可能で力強い何かよ。)

そう、今作は、人類にとって普遍的な力である「愛」の形さえも科学するのだ。物語のスケールが拡大していくにつれて、どこまでもパーソナルな心情が露わになっていく。その大いなる矛盾は、あまりにも等身大で、そして、美しい。

時空を超越する「愛」の力。その証明として、この映画は、いくつもの時代を超えて、求められ、必要とされ続けていくのだろう。



※本テキストは、「【永久保存版】 絶望と希望の映画変革史(2010年代編)」の一部を抜粋・再編集したものです。


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松本 侃士
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