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(21) 捌口になれば 酔文体

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最近の記事

蛙化現象について言いたいこと

蛙化現象。 最近巷を賑わせているワードである。される側とする側の言い分は何方も多く呟かれており、あらゆる方位からグサグサと刺さってくる。 皆辛い経験をしているから強い言葉になってしまうのだろう。 「蛙化になる女は、被害者ぶって手に入ったらすぐ捨てる性悪糞女」 この呟きを見てしまった特、私はとても辛くなった。この呟きを蛙化に苦しむ子達が見たらどんなに心が痛むだろう。そして、この呟きをした人はどんなに傷ついたんだろう。 私も蛙化に陥ったときは何度も自分を責めた。付き合う前は心

    • 好きな本や音楽を、他人に教えることについて

      読書や音楽が好きだというと、決まって「どんな本読むの?」だとか「どんな曲が好きなの?」だとか高確率で聞かれる。 だけど私はこのテの展開があまり得意ではない。 もちろん相手は話を続けようとして質問してくれているわけだから、こんなことを思うなら自分で話題振れよという話なのだが、ちょっとだけ聞いてほしい。 まず、これは本にも歌にも言えることなのだが、私はその一冊、その一曲で、「自分」がある程度決められてしまうような感覚に陥る。 例えば、大半の人たちが知っているような流行もの

      • 多様性って一言で、思考を簡単に止めるなよ

        • 永遠などないって涙が出るほどわかっているから、今、あなたに会いたいのです

          ※これほど恋愛小説か?みたいなタイトルでものを書いておいて、諄いから恋愛で見て欲しくない、っていうのは烏滸がましいかもしれない だけど私は、どれこれ構わず恋愛に当てはめる全ての事物が嫌いなので、全ての人間関係においてという体で書く タイトルは我ながらとてつもなく諄いと思う、だが結局これに尽きる、今会って伝えたいのだ。いつ来るかわからないいつかなんかではなく、今。 私が何もかもどうでも良くなって、今こんなに会いたいと思ってる気持ちを忘れていって、あなたに会いたくなくなって

        • 蛙化現象について言いたいこと

        • 好きな本や音楽を、他人に教えることについて

        • 多様性って一言で、思考を簡単に止めるなよ

        • 永遠などないって涙が出るほどわかっているから、今、あなたに会いたいのです

          性行為が恋愛の延長線上にあるなんて、考えられない

          性行為が途中目的である恋愛が嫌なんだろうな〜、と最近になって分かってきた。性行為でその関係の深さを押しはかる風潮や、交際している相手がそういう話を他人にしているのがとてつもなく、キモい。(どこまでいった?」的なノリも本当耐えられない!) なんで見ず知らずの奴に私のプライバシーな部分まで知られなきゃいけないわけ?なんでスキンシップとか性行為だとかが苦手な私のこと事細かに他人に話して「大切に優しくしてあげなよ」とか言われて、お前らがさも上の立場にいるような気分になっちゃってるわ

          性行為が恋愛の延長線上にあるなんて、考えられない

          奮い立たせろ、強くなれ

          前に、進まないといけない。 あの時こうしてたらよかった、こうすれば元に戻るかもなんて、ホント、ダメな思考回路だよ。 一緒に聞いた曲を聴きながら、一緒に過ごした場所を思い出しながら、一緒に撮った写真整理しながら、県跨いで送ってくれた家路を辿りながら、 (コレに関しては結構な嫌がらせになってると思う、最低あと2年は使う帰り道だし、怒!) 気づけば涙ばかり流している自分、ウワ…って感じ。 ウジウジ。涙。後悔、ウジウジ。ハア。どこから間違えたんだろう、ウジウジ。涙。ずっとこの繰

          奮い立たせろ、強くなれ

          当たって砕けろっていうけど、当てられたほうの気持ち、君は考えたことあるの?

          何で友達のままずっと仲良くできないんだろう?何で付き合うってことが必要なんだろう? どいつもこいつも何で今に満足しないでそれ以上を欲しがるんだろう? 付き合ったら、いつか別れがあって、会えなくなること、過去になってしまうことはわかっているはずなのに、どうして付き合いたがるんだろう?どうして告白するんだろう?どうして自分から関係を終わりに持っていくんだろう? 告白されたら終わりだなって、ずーっと思っている。 断ったらこの関係は終わるし、断らなかったらその終わりが先延ばしに

          当たって砕けろっていうけど、当てられたほうの気持ち、君は考えたことあるの?

          纏わりつく、女という呪い

          女という生物として見られるのが、心の底から気持ち悪い。 別に、女である自分は嫌いではない。花柄のフリルたっぷりのワンピースを着て、瞬きする度キラキラ輝くアイシャドウを瞼に塗るときは、うっとりしてしまうくらい幸せ。 そうではなく、異性から性の対象として女であると見られるのがこの上なく不快でたまらない。この思いが黒く纏わりついているので、解放されたい一心で、えずきながらでもこの文章を書こうと決めて、今に至っている。 思えば、中学生の頃は知らないふりをしていた。何処からその情報を

          纏わりつく、女という呪い