教科書がない。宿題が出ない。「オランダ教育」について思うこと
昨年12月の極寒のオランダへ、南国マレーシアから移住してきた私たちファミリーの話を、ここで日記的に書いております。
ほとんど、自身の心の声なので乱文で読みにくかもしれません。しかし、最近は色んな方に読んでいただく事を前提で、仕事のように色々な反応を考えて書くと、思っている事を素直に書けなかったり、ちょっとカッコつけてしまったりするので、あえて自分のデスクにある日記帳に心の声を書きつける、そんな感じで書くようにしています。
今目下の関心事と心配事は、もちろん色々自分周りの趣味はあるのですが、やはり今年オランダのインターナショナルスクールへ転入した10歳の息子の教育事情です。
拠点を海外へ移そうと決めてから、15年勤務した広告会社を退職し、ここオランダでは個人事業主ビザを今年3月頭に無事取得(これがまた長い道のりでしたが依頼したエージェントさんが優秀で助けられました)。住民登録カードもやっとこさ今月ゲットできました。
オランダを拠点に広告PRの仕事をやっていきたいと思っているので、もちろんそちらへの労力も思いっきり使いたいのですが、やはり息子のおかんとして彼がこちらで楽しくやってけるように毎日をサポートする事を、自然と優先している自分がいます(今まで放任というか放置しすぎたので)。この辺りの葛藤や小話も後に語っていきたいです。
さて、オランダの教育といえば、世界一進んでいる、教育先進国、子供が世界で一番幸せな国、などと言われ、「何がそんなに子供にとって幸せなんだろう」と、私自身も大変興味がありました。この辺りの話をブログで書いていらっしゃる方はたくさんおられるので、私もよく目にします。なるほど!と納得する日々ですが、実際にこちらへ移住し、オランダ人の生活や、学校の教育方針、親御さんの様子などを見ていて思った事を、あくまでも主観ですがシェアします。
オランダの小学校では、まず教科書がありません。そして、基本的には宿題も出ません。
これは、息子が通う公立のインターだけではなく、私立インター、現地校も含め全て同じであることが判明。
勉強は学校でやるもの。それで十分。そういった考え方が根本にあるようです。
放課後はスポーツや音楽などの習い事や、友達と遊ぶなど、”子供が好きなもの、やりたいことを尊重し、それに集中するための時間” だと考えられています。自分の得意なことや好きな事に没頭し、その能力を伸ばすという方針です。もちろん、算数が好きな子は自然と算数をやるでしょうし、テニスが好きな子はテニススクールに通います。親が決めるのではなく、子供の考えや意志を尊重し自立心を育てる、ということだそうな。
おそらく、子供の幸福度が高い国(ユニセフ調べ)、というここでの意味は、何よりも「子供の自立」を尊重しているので、子供が嫌がる事を親が強制するカルチャーがなく、まさに自由の上に教育が成り立っているという事なのかなと。得意を伸ばす、個性を認める、そんな世界がここにはあります。
ですので、思いっきり日本の教育システムの上を歩んできた私たち夫婦は、当然戸惑います。
そして、理解し、受け入れるまでに時間を要します。
学力を数値化し、偏差値ベースの教育が当たり前だった私達の子供時代。テストの点数や合格確率などで一喜一憂し、親の機嫌をうかがいながら気がつけば大学生になっていた、という印象。有名塾に行かなければ受験では勝てない、そんな空気感の中、夜遅くまで塾通いをしていました。そして、人と比べて落ち込んだり、優越感に浸ったり。もちろん好きなこと、趣味もありましたが、常に「受験」という文字が頭をよぎり、本当に心が解放されたのは、浪人時代を超えて、大学生になってからでした。
でも、これが普通。みんながやっていること。
そう思って違和感もありませんでした。成績がよければ親が喜んでくれ、大学はここがいいよ、と国立大学をいくつか見学に行ったり。結果、第一志望の国立大には合格できず、第二志望の私立大学に入学しました。でも、それも本当に自分自身の「第二志望」だったのかは、今でもよくわかりません。「何が好きで、何を学びたくて、この大学にした」という文脈が自分の中にないからです。(反省。。。)
だけど、大学4年間、大学院2年間、たっぷりと学生をやらせてもらい、そこで初めて自分の好きな事に打ち込めた気がします。それは多分、自分の好きな事に没頭し、考える時間がたっぷりあったから。そして自然と好きなことが活かせる仕事を選んでいました。
私が働いていた日本の広告業界でも、やはり「努力は好きに勝てない」というシーンを目の当たりにしたことが多々あります。「好きな事を思いっきりやってきた人間の強さ」を社会人になり、さらに強く実感したのでした。
おそらくそんな経験の積み重ねから、自分の潜在意識の中で、息子には「多感で、感性も尖っており、何でも柔軟に吸収できる10代にこそ、自分の好きなことに没頭して欲しい」という気持ちがあったのだと思います。
そう立ち戻って、そしてここで記しながら、そうだった!と思い出すのです。(お付き合いいただき、ありがとうございます)
ヨーロッパにコロナが上陸したのが、2月ごろ。3月中旬からオンライン授業に切り替わり、そこで出される課題にもまた、たくさん驚かされました。
もちろん、算数、語学(英語・オランダ語)、理科、歴史などの課題が出るのと同時に、クリエーティブな課題がとても多い印象でした。
例えば、「自然・草花」に関するアートワークを自由に創作してください。アウトプットは自由で、ドローイング、ダンス、動画、ゲーム、料理、などなど、子供たちは、自分の好きなものに落とし込んで、アウトプットしようとします。担任の先生も、「僕はこんな表現にしました」といった参考ムービーを作り、みんなにシェアします。音楽とそれに創作ダンスをつけた動画は、編集もコスプレも完成度が高く、真剣にクリエイティビティと向き合う先生の姿に、とても驚き感動しました。
当時、毎日の散歩が我々家族には重要で、徒歩でいける範囲の公園や広場まで森林浴が日課でした。オランダの田舎の大自然に癒され、芝生の上で日向ぼっこする鴨のファミリー、少しずつ色んな種類の草花が、あらゆるところで自然に咲いている。息子は自分が見た自然を携帯でムービーや写真撮影し、その素材を編集アプリで繋いで、ムービーを作りました。
それから、ムービー制作に興味をもったのか、毎日何かテーマを設けて「愛犬」「ゴーストタウン」「ミュージシャン」「街のポスター」などなど、自由演技で、ムービーを作っては、Google Classroomでみんなにシェアしていました。こんなマインドを持ったことは、今まであまりなかったので、新しい楽しみを見つけてくれたようで、ちょっとほっとしたのを覚えています。(放っておくとすぐにデジタル漬けになってしまうので・・・)
印象に残っている課題はたくさんあるのですが、後は「宇宙・惑星」について、各自調べてプレゼンテーションシートにまとめる、というもの。内容は自由で、惑星にフォーカスしても、宇宙飛行士にフォーカスしても、どこを切り取って、まとめるかはその子次第、という課題でした。
一見、とても自由で楽しそうなのですが、、、、まず、この「縛りがない」「自由に」という状態を楽しめるかどうか、子供のマインド次第だなと、逆に怖さも感じたわけです。
自分がやってきた広告の仕事や、その他の職種もそうですが、まさに「仕事」に通じるものを感じ、表現を突き詰める、精度をあげていく、企画書の完成度をプレゼンまでにあげていく、つまりどこで終わらせるのかは、その人次第。正解がないので、その完成度にものすごい差が生じてしまうわけです。もちろん、人と比べる必要はないのですが。(悪い癖が出てますね、、、笑)明らかに親が手を入れていることがわかるプロ級の作品、3分で仕上げた?と思うほど恐ろしく手抜きの作品、色々あります、本当に色々。
「これでいいや」の違いが、そのままアウトプットに出てしまう。
これもダイバーシティといえばそうなのかもしれないけど、闘争心が全く持てない、という状態も逆に大丈夫なのか?
と疑問に思ったりもします、正直な話。つまり、自分と戦わない、自分に挑戦しない。好きなことでも、突き詰めると絶対壁に当たります。そこを試行錯誤して乗り越えずに、「これは向いてなかった」と諦めて、他のものへと次々に手を出すような人間にならないのか?とかです。
これは、子供の性格や気質次第なのかもしれないですが、、、しかし、これは今のオランダで出会う、色んなオランダ人をもっと知れば、何となく見えてくるのかもしれません。
こちらで出会った色んなオランダ人。その「自由な教育」のもと育った彼らは、どんなワークスタイル?どんな思考回路を持っているのか?どんな人生観なのか?
次回、そんな話を書いてみたいなと思います。
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