考えるほど迷宮入りする、子どもの習い事
筆者は2年半ほど前にマレーシア・クアラルンプールに移住してきた。息子が1人、当時小学校2年生を迎えたばかりの春だった。目的は2つあり、1つは自らの語学力の向上(克服)と海外での勤務経験。2つ目は、息子をグローバルな環境で育てたかったこと。
親は自分にないものをいつの間にか子供に求めてしまう。といろんな諸先輩方から聞いていたが、本当だった。息子だし、また生き物の種類が異なると感じていた。
自分はかなりドメスティックな環境に育ち、仕事をしてきたこともあり、こんないい年齢の大人になっても(既婚子ありの30代)、海外で働いてみたい欲が年々強くなった。どこか違う国へ行くたびに、もっと現地の人と仲良くなりたいと思った。しかし、あまりにもコミュニケーション能力が低い。おそらく、この敗北感の積み重ねが、私を本気で動かしたひとつの要因だと思っている。
マレーシア移住し環境も大きく変化したところで、改めて息子の習い事について考え直した。日本にいた頃は、こんな感じだった。
音楽はやらせたいし本人も好きらしいから(当時、何でも好きだと言っていた息子)、プロのチェリストである知り合いの影響もあり、チェロを習っていた。後は、友達がやっていたからとりあえずトライということで、サッカー。週末はゲーム好きの息子が唯一夢中で取り組んでいた、サイバーエージェント主催のプログラミング教室。そして、信じられなく恐ろしい事実だが、2歳から英語のプリスクールに週2で通わせていた。そして、数年経ても全く話せないという真実を踏まえ、これには意味がなかったと胸を張って言える。
今思えば、めまいがするし、息が詰まりそうだ。
習い事を選ぶ基準に、全て親の暑苦しいエゴや祈りのようなものが絡まっている。弦楽器ができてたまに気分転換にチェロを弾き、スポーツも得意で身のこなしも良く、さらに理系に進めればいいよね、プログラミングきっかけで。そして、何より語学を始めるのは小さければ小さいほど良いはず、きっと。全て祈りでしかない。
息子は幼いので、何が自分に向いているか、何が本当に好きなのかなど当時全く分かっていなかっただろう(本人は分かってるという)。だから親がとっかかりを決める。これは自然なことだし、自分自身の幼い時もそうだった。しかし、”こんな感じの親にはなりたくないなぁ”とぼんやりと思い描いていた暑苦しい系の親に、知らない間になっていた。
おそらく、夫婦揃って息子のことを見ているようであまり分かっていない。きちんとケアできていなかった証拠である。忙しさを理由に、自分の理想を上手くプレゼンしてやらせてみるのが一番楽だし、安心だから。ごめん、息子。
だから、今度こそ息子が心底めっちゃ楽しいこれ!と思えるものを見つけることがまず第一関門だった。もちろん生まれ持った感性や、向き不向きもある。スポーツだと体格も大事だろう。
そういえば、2年続けたチェロはどうなのだろう?教室を探す前に、息子に聞くと「今はやりたくない」と即答。あれだけ必死で自由が丘の教室まで週末通ったのに!頑張って練習して(させて?)、練習を家でもチェックして、コンサートにも出たのに!あの努力と時間とコスト。この経験は無駄ではないが(と思うことにしている)、息子が出した答えは続けない、というものだった。
だとしたら、ドラムは?
当時夫の好きなバンドに影響されドラムが欲しいと言い出し、誕生日に電子ドラムを購入した。そして、教室も徒歩10分以内の場所にある。「やって見たい」と息子。よしよし、ようやく見つかったか、ドラムはストレス発散にもなりそうだし元々骨が太く腕っ節の強いタイプなので向いてそうだ。そして週1で通い始めた。「どう?面白い?」と聞くと、「ちょっと難しいけど、まあまあ面白いかな」とそっけない感想。少し嫌な予感。数ヶ月経っても家で全く練習する気配がなく、自らスティックを触ろうとしない。ドラムを買い与えたばかりで焦った夫は、自らドラムを楽しげに叩きながら歌い始めた。”大人が楽しんでないと子供も楽しくないだろ”と。しかし、夫の努力も虚しく、ちょうど習っていた先生が辞めてしまったタイミングで通わなくなった。
運動はできるだけやらせたいけど、サッカーは向いていないことが日本で判明していた。みんながボールを取り合っている様子を少し離れた場所から涼しく傍観しているタイプだった。「シュートは俺が決める!だからボールを全て俺にパスしろ!」ぐらいの性格の子じゃないとサッカーは厳しいのか。何故だ?何故、ボールを奪いに行かない?と考えると迷宮入りした。
だから、考えるのを辞め「サッカーどう?好き?」「うーん、そんなに好きじゃない」と即答。そして、あっさり終了退会した。
ジャスティン・ビーバーがかっこいいと時々息子が言うので、ダンスやってみるか、と。週1回、語学学校の近くにあったダンススクールに通い始めた。1時間のヒップホップダンスのレッスン。私はこれを見ているのが楽しくて自分が習いたい!と思うほどだった。しかし。息子の動きが不自然なのは気のせいなのか。それとも、まだ日が浅いから?もっと練習すればあの俊敏に体で何かを表現することができるの?決して怒ることはしないと心に決めていた私であったが、我慢できなくなり「なあ、本気でやってる?」と。私には彼が手を抜いているようにしか見えなかったのだ。しかし「いつも本気でやってる」と即答。それから、数回レッスンをするたびに彼は私の目を気にするようになっていった。しかも顔が全然楽しそうじゃない。「辞める?」と聞くと、少し迷ってから「辞める」と答えた。
マレーシアのコンドミニアムには、大体プールとテニスコート、ジムが完備されている場合が多い(建物による)。せっかくコートがあるし、バトミントンかテニスでもやってみる?という軽い感じでテニスを始めた。初めは父親と息子でボール遊びをしていた。それから、他の小学生がコーチを呼んでレッスンをしてもらっているのを見て、やってみるかと。
それから、息子が狂ったようにテニスにのめり込んだ。サーブをかっこよく打てるようになると、なんども見て見て!と。コーチのレッスンが終わった後、炎天下の中、父親と数時間帰ってこない。汗だくになって帰宅し即シャワー。「俺、結構テニスうまいかも。だってサーブがたくさん入るから」と満足気に早口でたくさん話す。これは、息子のモチベーションが高まっている時の特徴だった。
その後、もっと本格的にやりたいと言い出し現地の国立大学にあるテニスアカデミーに入った。当時のコーチが特に素晴らしく、グループレッスンでは、息子より大きい子も小さい子もいて、適度に周りを意識しライバル視しながら練習をする環境になった。これも、今までの息子にはなかったマインドだった。「あのさ、悔しいと思ったことないの!?」と私はよく息子を叱る時にこのセリフを言っていた。それに対して「俺はあまり気にしない」などと返答することが多く、自分とは全くマインドが違う息子に戸惑うことも多かった。穏やかなのか、呑気なのか、鈍感なのか。
だけど、人間の本気が腹の底から溢れ出した時。どんな呑気な性格であってもやはり思うのではないだろうか、絶対に負けたくないと。”趣味程度にやる”という器用なことはまだ小学生には難しいような気もする。
負けず嫌いな性格じゃなかったとしても、人には譲れない瞬間や大事にしたいものがある(もちろん子供にも)。子供の習い事は、スキルや経験、人間関係について習得することはもちろんだが、眠っている”本気力”を引き出す事なんだと思った。”本気力の出し方”を学ぶ、という感じかもしれない。
後は、トライ&エラーを悪い事だと思わないこと。不向きだとジャッジするスピードや潔く辞めることも大事だと思った。”促さないとやらないもの”は好きなものではない。本気力が出せないものに対して、長々と貴重な小学生の時間を使うのは大変酷なことだ。
やるんだったら夢中になれる好きなことを本気力全開で。好きじゃないと、なかなか腹の底から本気力など出せない気がする。これは大人も同じだなと。人間はそんなに器用に出来ていない。
などと考えながら、またしても”暑苦しい系の親の祈り”になっていないか、常に自分に問うている私である。
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