望んでも夢は叶わない現実社会の中で
「えっ手が上がらない……」
それまで健康だった私だが、2014年1月から思うように体が動かせなくなった。
検査の結果、重症筋無力症という難病と診断された。
まぶたすら開けられない。ひどいときには自分の頭を自分の首が支えることもできない。言葉のろれつもまわらない、呼吸すらできなくなり救急搬送されたこともあった。
子どものためになにもできなくなってしまった。そんな自分が情けなくて、一番下はまだ小3の3人の子どもたちが不憫でならなくて、涙で枕がびしょびしょになった日もある。なにがなんでも早く治したいと、たとえば断食療法にいたるまで様々な治療法を試みたが、かえって悪化し衰弱したりもした。
「望めば夢は叶う、なんて、うそっぱち!」
どんなに願っても、祈っても、どれだけ努力しても、どうしようもできないことがあると悟った。
だが、どれだけひどい地獄に突き落とされても、周りに仏さまのように優しい人がいると救われると思った。
私自身救われたからだ。
娘のお弁当を作ってくれたママ友さん、息子の塾の送り迎えに行ってくれた方……私がどんな助けを必要としているか考えて、一歩踏み込んで 助けの手を差し伸べてくださった方々、そんなたくさんの仏に救われて、私は元気を取り戻すことができた。
「どうしようもないことは、どうしようもできなくていい」
自分でどうにかできることだけ注力すればいい。
どうしようもできないことにうちひしがれなくていい。
天や、人に救いを求めればいい。
日本では「人に迷惑をかけるな」と育てられるが、インドでは「人はみな迷惑をかけ合って生きているので、困ったときはおたがいさま」と育てられると聞いた。
誰かのお世話になることはみじめなことではない。
いただいた恩は、またいつかなにか誰かに返していけばいい。
今、地獄にいるような気持の方は、どれだけお辛いことだろう。
でも、だからこそ、人に頼んだり人に教えてもらったりと、誰かの力を借りて、その力を活かす力が育つのだ。私も難病にそんな力を養われた。
人類には自らを守る鋭い牙も、硬い甲羅もない。
か弱い存在なのに、今まで生き延びてこれたのは、知恵を出し合い、助け合ってきたから……。
少しでも助け合える未来のために
なにができるんだろう?
なんにもできないかもしれないけど、
「助け合えば救われる」ってこと、お伝えしていけるといいな。
救ってもらった私だから…