日記に書くほどでもない記憶
そういえば昔、私は肝油ドロップが好きだった。
そう思い出したのは、年末の30日に胃腸炎にかかって病院に押し込まれ、処方箋を薬と引き換えてもらいに薬局に入ったときのこと。
見るまでは記憶の奥底にしまい込まれていた、肝油ドロップ。
初めてその名前を聞いたときには、「肝油」のべたべたした響きと「ドロップ」の甘美な響きのギャップがすさまじくてお世辞にも魅力的とは思えなかった。
しかし年末に母方の祖父母の家に行くと祖母が子どもたちを一列に並べて「一人二粒ずつよ」と念押ししながらあまりにもうやうやしく肝油ドロップを配るものだから、次第に私たちは肝油ドロップを希少な甘露のように押しいただくようになった。
慣れ親しんだドロップとは違う、ざらりとした砂糖をまとっているところも、謎の味も(のちにバナナ味だと知ったけれど、バナナか…?と訝しく思っている)、上下の前歯で挟むとねっちりと歯に食い込んでくるところも、一人一日二粒までと厳格に定められているところも、それらすべてが合わさって不思議な高揚感を生んでいるのだった。
肝油ドロップの思い出につられて、大晦日から元日の記憶もずるりと身体から抜け出してくる。
みんなより少しだけ早く目を覚まして、祖母と母のささやき声の会話にかすかに心を躍らせた朝。
さえざえとした空気、餅の焼ける匂い。
とっくに目は覚めていたくせに、しぶしぶ起きるふり。
荒々しく起き出してきた従姉と、座布団を並べてお年玉の使い道の相談。
自宅に戻って年賀状を眺めるのも、しみじみと楽しい。
どうしても忘れられない年賀状が、三枚ある。
一枚目は、小学五年生あたりにもらった年賀状。
「今年もよろしくね」の「年」の字が他の字よりもひとつ上に飛び出ていて、「年」の下はぐりぐりと黒いハートで塗りつぶされていた。
悪いと思いつつも気になって透かして見たら、「今日もよろしくね」と書いた上から「日」を黒く塗りつぶしているのだった。
日付指定にもほどがある年賀状に家族は爆笑し、彼女はしばらく我が家でひそかに「黒ハートのSちゃん」と呼ばれていた。
二枚目も、同じく小学五年生あたりのころにもらった年賀状である。
「あけましておめでとう」と大きく書かれたその下に、「うち、Kと仲直りしたいんだけど、どぉしたらいーかな?」と丸っこい字で私の共通の友だちと仲直りがしたい旨が書かれた年賀状。
「どぉしたらいーかな?」なんて、私に聞かないでよ。
そもそもいつ喧嘩したんだよ。
ていうか、年賀状を送ってから私の手元に届くまでの時間になんとかしておいてよ。
これも家族は大ウケで、冬休み明けの登校日には「Yちゃん(年賀状の送り主)とKちゃん、仲直りしてたか確認してきてね」としつこく頼まれた記憶がある。
結局どうだったのかはまったく思い出せないけれど、六年生になっても彼女たちは一緒にいたからたぶん仲直りはできたのだろう。
三枚目は、中学生のころにもらった年賀状だ。
さすがに小学生のころのような、パンチの効いた年賀状は届かない。
そう安心したような、もの足りないような気持ちで年賀状をめくっていたら、不気味な年賀状が現れた。
はがきにプリントされた干支の絵を、おびただしい数の「字」という字が取り囲んでいるのである。
隙間に「ハッハッハ!字が汚いねぇ〜!!!」とボールペンで書かれている。
自虐風なわりに、これを見よとばかりに「字」のごり押しである。
たしかに彼女は字が得意な方ではなかったけれど、こんなふうに開き直ってくるなんて。
この友だちは、小学生のころ父が担任していた子でもあった。
彼女に対して「おとなしい子、真面目な子」という印象を抱いていたらしい父親は「るるの前ではこの子、だいぶひょうきんな子なの?」と仰天していた。
私の前では、まごうことなきひょうきんな子だった。
そういえば夫と付き合っていたころに送り合っていた年賀状も、「忘れられない年賀状」だ。
耳が象のように大きな猿、なぜか四本の脚を持つ鶏(鶫さんに見せたら苦笑いしそう)、蛍光イエローで縁どられた犬、蛍光ブルーで縁どられた猪……。
そんな独特な画風の素敵な年賀状を「いままで書く習慣がなかったからよくわからない」と言いながら、彼は結婚するまで毎年律儀に私のためだけに書いてくれていた。
その味わい深い年賀状を年代順に並べて「なんか画力、上がったんじゃない?」「今年は使っている色が増えてる!」とはしゃぐのが楽しかったが、もう年賀状を送り合うことはないのだと思うと少しだけもったいないことをしたような気持ちになる。
そんなわけで今年の年末年始、夫は一人で自分の実家に帰り、私は普段生活している自分の家で過ごした。
布団にくるまってうつらうつらしていたら蘇ってきた、とりたてて日記に書くほどでもない、好きだった時間の記憶。
年末年始、ついイベントが盛りだくさんで日記に書くことは厳選されてしまうけれど。
ふとした拍子にころりと転がり出てくるような年末年始の思い出は、存外そこここに埋まっているらしい。
たとえいまは思い出せなくても、出るべきタイミングを待っている思い出の種は、きっとまだまだある。
ひょっとしたら今日の何かささやかな出来事も、いつか巡り巡って文章として芽吹くかもしれない。
そう信じて、2024年も一日一日を健やかに、大切に過ごしていきたい。
お読みいただきありがとうございました😆