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【読了記録】『夫のちんぽが入らない』

こだま著『夫のちんぽが入らない』をようやく、読んだ。

数年前に電車広告で、ものすごく頻繁に、もうくどいほどにタイトルを目にして勝手にうんざりして読まず嫌いに陥っていた本だ。「“入らない”ってことはセックスを試みてはいたのか。くっそぉ、いいなぁ」という本筋から外れた羨望に苛まされ、おいそれと手に取れない気持ちもあった。
なんせゴールデンウィーク中に友だちとオンライン飲み会で盛り上がり、酔った勢いで「純猥談」という浮気や不倫を主な題材とした「エモい」実体験が掲載されているサイトに「4年にわたって交際しているにもかかわらず身体を交えたことのない私たち!これこそが本当の“純”ではなかろうか!ざまぁみさらせ!」と浮気・不倫カップルに対する敵対心と自嘲のかぎりをぶつけた私だ。


私の鬱屈の塊は非会員が無料で読むことができる「純猥談A面」ではなく、純猥談サイト会員しか読めない「純猥談B面」にしばらくひっそりと格納されたのち、cakes内で連載されていた「純猥談」の一記事として掲載された。

すると途端にめでたく大量の「いいね」を獲得し、「こんな恋愛がしたかった!」「話し合いの大切さを学んだ」「尊い…」等々賞賛を浴び、私も友だちもおおいに当惑した。 

お前さんがた、浮気や不倫が大好物なエモがり屋さんじゃなかったのかい……?

喧嘩上等で乗り込んでいった先でまさかの熱烈歓迎。

こんなに懐が深い人たち相手に、何やってんだろう。私の闘いは、完全なる独り相撲に終わった。


それはさておき、先日ある作家がTwitterで「あなたの文章は自分の経験の切り売りだ」みたいな批判をされているのを目にした。たとえそうだとして、切り売れるだけの経験があること、そして切り売る勇気があることって、それ以上望む必要もないくらいすごいことなのではないのかと思う。


こだま著の『夫のちんぽが入らない』(以下『ちんぽ』)は、壮絶な体験の重みと、その体験と真正面から向き合う姿勢にぐいぐい読まされる本だった。
文庫本を手に取る前から、あらすじだけは知っていた。

「作者の実体験に基づいた自伝作品。女子大生と男子学生が恋に落ち、後に結婚に至る。しかし、初夜の際に夫のちんぽ(陰茎)が挿入できず、子供ができないことに悩みつつも共に生きてゆく」とWikipediaに簡素にまとめられていたからだ。

そんなもの、タイトルを見れば想像つくわいとせせら笑っていたら、久しぶりに行った書店で大好きな翻訳家・エッセイストの岸本佐知子氏が絶賛していると知った。

岸本パワーに導かれるままフラフラと『ちんぽ』を手に取り、カバーを掛けてもらうのももどかしく(いや、カバーはかけてもらった方がよかったんじゃないかな…)、そのまま電車で読み(前の座席の人みんなに『ちんぽ』を見せびらかしてる図がシュールすぎる)、帰宅して蛍光灯の切れた暗い家の中で読み、明け方まで繰り返し読んだ。


最初読んだときは、「入らないことがある」(精神的なものか物理的な要因かは不明、なところがまた、怖い)という事実に驚愕したものの、称賛コメントで触れられている「生きづらさ」や「美しい夫婦の絆」にはほとんど目もくれず、彼と自分の経験差を国王と研修生になぞらえる比喩の可笑しさや「不能で不毛。にんげん不毛地帯」とテンポのよい畳みかけ、当時大学生だった夫のありえない所業を「大学生のありふれた日常なのだろうか」と危うく納得してしまいそうな主人公の素直さ、生真面目さに爆笑してしまった。
みんなが刺さったと書いている著者の痛ましさをなぞるように読んだのは、2周目以降になってからのことだった。

彼女が切望し続けてきた「普通」と最終的に折り合いをつけたところでは、思わずほうっとため息が出た。そして、「普通」のもつ呪縛の強さに打ち震えた。
育ってきた家庭環境は人によって違う。何を「普通」と思うかは人によって違うし、「“普通”に執着する度合いの強さ」も人によって異なる。
そんな当たり前のことに、気づかされもした。

自伝とはいえ小説形式だから、つい主人公の「私」に自分を重ねて読もうとしてしまう。内省的な姿勢を貫き夫と喧嘩すらしない主人公に、「私だったらこうするのに…」とつい口を出したくなってしまう場面は多々あった。
自分の身に置き換えて読めば、もう爆発に次ぐ爆発である。岡本太郎もドン引きするほどの、憤死ポイント盛りだくさん。
もし手つかずのまま捨てられたご飯を見つけたのが私だったら怒りと心配とで狂わんばかりに相手に詰め寄るだろうし、風俗店のスタンプカードを見つけようものなら当然その場でボッコボコにタコ殴りだ。

でも著者はそうしない。そんな彼女を歯がゆくも思うし、偉い人だなぁと尊敬もする。私がどんなにもがいても、彼女たちがたどり着ついた境地に達することはできないだろう。相手に直接告げられることなく内に飲み込まれ続けてきたからこそ、彼女の言葉はこんなにも胸に残るのかもしれない。

なんて感想を書きつつ、実は一番衝撃を受けたのはあとがきでこだまさんの同人誌仲間として紹介されていた「爪切男」のことだった。
恥ずかしながら私はずっと、「うりきるおとこ」と読み間違えていたのだ。そのお名前から、楚々と瓜を包丁でカットしている職人を勝手に思い浮かべていた。彼が切っていたものが、まさか爪だったとは。あっさりと「つめきるお」と振られたルビを10回は見て、スマホに打ち込んだ「爪」と「瓜」を見比べて、ちょっと死にたくなった。
この人も実話小説が大ヒット、ドラマ化と今ノリに乗っている作家の一人だ。
人に名前を間違えられることの気まずさを誰よりも知っていると自負している私が、なんという失礼なことを。ご本人に、そして「うりきるおとこ?初めて聞いたかも〜」と首をひねりながら律儀にメモっていた友人に、この場を借りて深くお詫び申し上げます。


その後、私のエッセイは河出書房新社から刊行された『純猥談 一度寝ただけの女になりたくなかった』に掲載された。
それを伝えたら、彼氏の第一声は「原稿料もらえるん?」だった。
もらえたら、いいね。(もらえてません 笑)


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