身に余る雑談
職場のかわいすぎる先輩、通称かわいさんとの距離が、日に日に縮まっている。喜ばしいことである。
かわいさんにとって、私は初めての直属の後輩らしい。それゆえかなり最近になるまで、彼女は溢れんばかりの緊張感を常時ほとばしらせていた。
たとえば、勤め始めてから最初の一か月半くらいの間のこと。
出勤してきた彼女に「今日も暑いですね~」と声をかけるたび、「今日も……」のあたりで「はいぃぃっ!!!」と居酒屋の店員さん並みの威勢のよすぎるお返事を打ち返されていた。嫌われてんのかと思った。
しかしよくよく話を聞くに、質問されると思って身構えていただけらしい。
その後の1か月では「本当に……暑い、暑いです……!!」とお返事がもらえるようになり、入職から三か月が経過しようとしている現在に至っては「おはようございます……!今日も、暑いですね」とかわいさんから暑さに言及してくれるようになった。
たとえ「暑さ」という人類の大半が共有しているであろう話題であっても、好きな人と一緒に盛り上がれることはどうしたってテンションが上がる。
そうして一歩一歩かわいさんとの距離を縮めていく一方で、他の先輩たちとはすでに雑談を交えながらだいぶ気楽に仕事をしている。
先日かわいさんを含めた先輩たちと雑談していた際に、「好きな芸能人いる?」と聞かれた。
「ここ数年、及川光博さんにハマっているんですよ」と言ったら、かわいさんを除いた先輩方が「え、ミッチー?世代違くない?」と身を乗り出して笑った。
ところが私がそれに返事をする前に、かわいさんがもそりと「好きそうですよね」と頷いた。
好きそうかな……?
私かわいさんに、そんなにミッチー好きそうに見えてるの?
まだ一緒に働きだしてから数か月しか経ってないのに……?
どのあたりから私がミッチーを好きだと判断したのかが気になるものの、先輩たちも「そうね、わかる!なんか、好きそう!!」と手を叩いて喜んでいる。
そこを掘り下げる間もなく「テレビを観てるの?」「ハマったきっかけは?」と矢継ぎ早に聞かれ、去年、一昨年はワンマンショーに行ったことや、今年は仕事の日程や元から入っていた予定ととうまく調整がつかなかったので、今度友だちとカラオケまねきねこにワンマンショーのDVDを持ち込み“まねきミッチーの会”をするつもりであることを話す(6月後半に開催しました)。
そのまま話題は他の先輩の好きな芸能人に移ってゆき、なぜかわいさんが私をミッチーが好きそうだと判断したのかは結局わからずじまいだった。
そう思われたこと自体は嬉しいのだけれど、その評価はなんだか、なんだか身に余ってムズムズする。
その日の仕事を終えて家に帰りながら、私はひとり「ミッチー好きそう」と言われた原因を考えた。
①着ている服がたいてい原色(ツアーカラーが何色になっても対応できるように)
→ミッチー好きそう
②昼食にナポリタンを持ってきていた(前夜に作りすぎただけ)
→ミッチー好きそう
③私が無意識にミッチーの歌を口ずさんだのを聞いた(そうだったらもう出勤したくないレベルで恥ずかしい)
→ミッチー好きそう
④職場近くに迎えに来た夫を見た、あるいは私の夫の写真を見た(仕事の休憩時間中に、夫の変顔とキリッとした顔の写真を交互に眺めてにやつく癖がある)
→ミッチー好きそう
⑤キラキラしていた
→ミッチー好きそう
⑥仕事ぶりがミッチーを好きな人のそれだった
→ミッチー好きそう
⑦ただなんとなく
→ミッチー好きそう
ざっと思いつくのは、こんなところだ。
しかし周囲の先輩ベイベー、男子の愛や知識の深さがぬか漬け〜古漬けあたりだとして、私なんて漬け始めて2分の浅漬けレベルでしかない。
そんなにミッチー好き好き感、表に出るほどは漬かってないはずなんだけどな。
……なんで漬物に例えたんだろう。
「⑥仕事ぶりがミッチーを好きな人のそれだった」だったら一番嬉しいけれど、私は本物の「仕事ぶりがミッチーを好きな人のそれだった」人を知ってしまっている。
「仕事ぶりがミッチーを好きな人のそれだった」のは「男子」の大先輩、バス運転手の宇津井俊平さんだ。
今年の3月某日、私は宇津井さんの運転するバスに乗った。
ミッチーの在り方からご自身の仕事によい影響をもらってきたとたびたび呟いていた彼のバスに、いつかは乗らなくてはとうずうずしていたのだ。
その日私は、バスを味わう贅沢を知った。
それまで私がバスのお世話になるのは、たいてい自転車に乗れないほどの悪天候の日だった。
濡れることもなく安全に駅まで送り届けてもらえることに感激はしていたけれど、乗り物としてのバスに関心があるかと言われるとそうでもなく、あくまで「嵐の日の救世主」くらいにしか捉えられていなかった気がする。
その薄ぼんやりした印象は、自動車の免許を取った途端に一変する。
自分で運転するようになってから、そして自分の運転の下手さを痛感するようになってから、ぎゅんと解像度が上がったのだ。
こんなに細長い車を、しかもこんなにたくさんの乗客を乗せて、しかもみんながみんな協力的な人ばかりでもないのに、それでも決まった道を、時間通りに運転するなんて!!!
いったいどういう修業を重ねたら、その域に達することができるの……!?!?
私なんて、4人乗りの軽自動車でこんなに手こずっているのに。
本当は一時間で着くはずの千葉の道の駅に、二時間かけても到着できないのに。
カーナビの進路変更の声が、心なしかうんざりしているように聞こえる。
5年前に免許を取って以降、同じタイミングで免許を取った従姉と数か月に一度ドライブ練習をしているのに、いまだに上達の兆しは見られない。
そうして抱いた「運転手さん、すごい!」という尊敬は、その日「宇津井さん、すげぇ!」という感動になった。
始発の停留所から終点まで美しく穏やかに走りきる宇津井さんのバスに、私はすっかり魅了されてしまったのだ。
かつて教官から「フットブレーキは優しく踏みましょう。先々のことを考えて、明るい未来が来るようにという心を込めて踏みましょう」と何度も注意された私は、宇津井さんの柔らかで段階的なブレーキに心を打たれた。
これが先々のことを考えたブレーキってやつか!と教官の言いたかったことがようやく腑に落ちた。
しかし宇津井さんのすごさはブレーキのかけ方にとどまらなかった。
車内アナウンスが、とにかく素晴らしかったのだ。
登り坂です、お気をつけください。
曲がります、お気をつけください。
揺れますので、ご注意ください。
ゆっくり、慌てず、お降りください。
足元滑る場合がございます、お降りの際は十分にお気をつけください(雨が降っていた)。
絶妙なタイミングで繰り出される、丁寧で気遣い溢れるアナウンス。
これ都バスじゃなくて、リムジンなんじゃ?運転しているの、執事なんじゃ?と思うほどの、真摯で優雅なお仕事ぶり(リムジンは1度しか乗ったことないし、執事に出会ったことはないけれど)。
圧倒的な安心感の土台に乗ったうえでの、乗客をうっとりさせるサービス精神。
……ミッチーを好きな人の仕事だ、と思った。
私はワンマンショーに二度参加しただけの浅漬けなうえ、宇津井さんのバスに乗ったのもこれが最初で最後だったので、「ミッチーの本領はそこじゃねぇ!」とか「宇津井さんの妙技の引き出しはそんなもんじゃねぇ!」とかあるかもしれないけれど、少なくとも私はその日、宇津井さんのバスにミッチーと通じるものを感じたのだ。
彼は昇進したため、現在はバスの運転から離れている。
宇津井さんが運転するバスに乗れたおかげで私は時々、キラキラした仕事ぶりについて考えるようになった。
かわいさんがどうして私を「ミッチー好きそう」と判断したのかはわからないし、私から尋ねることはたぶん一生ないけれど。
いつか誰かに「仕事ぶりがミッチーを好きな人のそれだった」と思われるくらい、発光しながら働いてみたい。
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宇津井俊平さんのnote
本業のみならず、絵とエッセイの才能もすごいのです。
宇津井俊平さんのX
@utsui_shun
バス乗務員として、ミッチーの「男子」としての日常を垣間見ることができます。