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ジョゼフの罪とティータイム

昨日うんと久しぶりに、彼氏に会った。「我慢の4連休」が発表されるだいぶ前から予約してしまっていた、六本木のザ・リッツ・カールトン東京のアフタヌーンティー。財布から血がほとばしるような大奮発をしてバレンタインにあげた「アフタヌーンティーチケット」の有効期限が迫っていたのだ。

「ちゃんとしたホテルのアフタヌーンティーだから、きちんとした服で行こうね」

そう何度も念を押したにもかかわらず、待ち合わせに現れた彼はなぜか下着感満載の長袖の白シャツを着ていた。
それは服にこだわりのない私にとっては、セーターなどの下に着る柔らかなコットンインナーにしか見えなかった。
「その服、どうしたの?」とおそるおそる聞くと「父親のお下がりのジョゼフのシャツなの」と少し得意げに彼は笑った。
嘘だろう…? 彼が普段好んで着ている不思議な柄のアロハシャツの方が何倍も素敵に見えた。
絶句している私に気づくことなく、彼は堂々と歩き出す。
「…あなたは本当は、とても格好いいと思うの
思いがけず切羽詰まった声音が出た。
うん、ありがとう
とさらりと返ってきた。
清潔感のある爽やかな笑顔。
真っ白に輝くシャツ。

……洗剤のCMかな?

清らかで眩しい彼を、それも数ヵ月ぶりにやっと会えた彼を、誰が傷つけられようか。
「お父さんのお下がりなんて、素敵。やっぱりいいものは長持ちするのね」と彼に微笑みかける。なぜ彼の父親はよりによってこの服をチョイスしたのだろう、またなぜそれを彼に継承しようと思ったのだろう、そしてなぜ彼はよりにもよって今日この服を着てしまったのだろうという疑問を頭の奧の奧に押し込めながら。
なんて罪深きジョゼフ。
おしゃれさんが見たら「おっ、ジョゼフだ」と一目置いてくれたりするのだろうか。どうかそうであってほしい。

案の定、ホテルのロビー・ラウンジには一目でおしゃれだとわかる人々が溢れかえっていた。
はっきりした色合いの大胆なカットワンピース。
仕立てのよさそうな濃紺のジャケットと、シュッとしたパンツ。
思い思いにおめかしした老若男女が行き交う中で、私たちは完全に浮いて見えた。と、思っていたのはたぶん私だけだろう。めかしこんだ彼らはお互いのパートナーの魅力的な姿や45階から見おろす薄曇った下界の景色に目を奪われていたし、ジョゼフブランドに絶大な信頼を寄せている彼は「俺、メロン食べすぎると口の中痒くなるんよ。大丈夫かなあ」とメニューを心配していた。

季節に合わせてアフタヌーンティーのメニューは変わる。今はメロンがメインらしいのだ。
そんな話をしていたらキビキビしたウエイターにソファに案内され、並んで腰掛けた。紅茶を選んでしばらく待つと、こまごました美しい菓子が並べられた2段のお盆が到着した。

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はきはきとメニューを紹介したウエイターは、「ごゆっくりどうぞ」と言い残して颯爽と去っていく。
そんなゴージャスでラグジュアリーな空気感に完全に呑まれた私たちは「……めっちゃアフタヌーンティーだねえ」としか言えずに、とりあえず写真を撮った。見事に逆光だった。

静謐に整列する菓子を見つめて、「20分もあればあんた一人で全部食べられるやろ」と彼は笑った。その通りだった。「お上品に2時間くらいかけて食べようね」と返すと、「こんな機会めったにないもんな」と神妙に頷いた。

いただきます
いつもより丁寧に手を合わせ、深々ときらびやかなご馳走に頭を下げる。
が、彼はなかなか手をつけようとはしなかった。

「これは何?」
「ガスパチョをきゅうりの器に詰めたもの」
「へえ、おいしい?」
「おいしい」

そう私が答えて初めて、彼はそれをつまんだ。正体のわからないものを食べてたまるか、という強固な意思を感じた。そういえばレストランで凝った料理が出てくるといつも、同じ質問をしていたことを思い出す。

「これは?」
「ハムとチーズのサンドイッチ。パンにかかっているのはピスタチオよ」
「ピスタチオって、何だっけ」
「ナッツ」
「そう」

もし私が教えなかったらこの人はいったいどうするのだろう。砕かれたナッツがちりばめられたサンドイッチに慎重に手を伸ばす彼を見ながら、なんともいえない気持ちになる。ほとんど母性とでも呼びたいような愛おしさと、彼の未知の料理に対するあまりにも保守的な態度への苛立ちとがないまぜになったような、もどかしい気持ち。

少し気持ちにゆとりが出てきて周りを見回すと、みなくつろいだ表情で紅茶を啜っているように見えた。私たちより少し上の年代の人が多かったが、学生っぽい男女も数組いる。
優雅だなあ。贅沢だなあ。
貴族のような午後を、艶然と楽しんでいる彼らが心底羨ましかった。
その境地に達するには、私たちにはまだ圧倒的に経験が足りていない。

ホテルを出ると、先ほどまで感じていたはずの満腹感が腹六分目くらいにしぼんでいた。
豪奢な雰囲気の圧に押されて胸はいっぱいになっていたけれど、やはり物理的な量としては足りなかったのだ。

どうにもお腹が落ち着かず、ヘトヘトに疲れたという彼と別れたあと一人マクドナルドに立ち寄った。
嗅ぎ慣れたポテトの気さくな匂いに思っていた以上にホッとしてしまったのが、ちょっぴり悲しかった。

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