指を食べる | 春ピリカ応募
「ぼくの指を、食べてみないか」
おどけた口調で恋人に指を差し出されて、軽く眉をひそめた。
「わたし、別にお腹減ってないよ?」
そう断ったものの、彼は差し出した指をそっとわたしの顔に滑らせて、にゅっと口のなかに入れてきた。
「おやつにぴったりだと思うんだけどなぁ。そのうち、もとに戻るしさ」
たしかに指くらいなら、一週間あればもとに戻るだろう。
子どものころに石に挟んで指を失ったときはこの世の終わりかと思ったけれど、そのあと指は何食わぬ顔でしれっと生えてきた。
とはいえ、わたしは彼の指を食べたくはなかった。恋人同士になって以来、わたしも彼も指を失ったことはない。
それがどのくらい痛かったかも、もう思い出せないくらいだ。
恋人の指を口から抜き取ると、唾液がつうと弧を描いた。
彼の手を取って、まじまじと指を眺める。
つややかで、なめらかな指を。
これまで幾度となくわたしに触れた、指。
おそらく彼の身体のなかで、ひょっとしたら彼本体以上にわたしを知っている、指。
「本体?」
いつの間にか口に出していたらしい。
怪訝そうに恋人がそう聞き返し、彼の手を握るわたしの手をもう片方の手で握った。
「ぼくの本体は、どこにあるんだろう」
「少なくとも、指ではないんじゃない?指がなくなっても、あなたはあなたじゃない」
「でもきみのことは、ぼくの指の方がぼくよりもよく知っているみたいだ」
嫉妬しちゃうなと息を吐いて、そんな指の試食はいかがですか、と恋人は食い下がった。
これはきっと、遠回しの別れ話なんだ。
すうと頭が冷たくなった。
彼はわたしとの思い出が凝縮された指をわたしに戻すことで、関係を精算したがっているのだ。
カッと頭に血が戻ってきた。
衝動に任せて彼のしなやかな指を口に含み、強く力を込める。
指はあっけなく彼の手からほぐれて、わたしの口に残った。
どうして、とか、ひどい、とか、言いたいことはあふれるほど思いつくのに、言ったところで取り返しがつかないことも痛いほどわかっていた。
だからわたしは、無言で彼の指を噛みちぎり続けた。
わたしの頭を撫で、頬をつねり、背中をさすり、指に絡め、奥をなぞった、指。
さようなら、愛しい指。
わたしに触れた彼の指は、すべてわたしのものになった。
「それでいい。それでいいんだ」
すべての指が失われた手と息を荒くするわたしに、彼は慈愛に満ちた眼差しを向けた。
どうせ二週間あれば指はもとに戻ってしまうんだろうけれど、それはもう、わたしには関係のない指だ。
最後まで穏やかな恋人は、「もしも指こそがぼくの本体で、きみのお腹のなかで再生していったら、どうする?」と茶化した。そうなったら嬉しいなぁ、とも。
知らないと冷たく返して、背を向けて寝た。
***
朝、水槽を覗き込むとオスの方が仰向けに浮いていた。
共食いでもしたのだろうか、指がすべてなくなっている。むごいことをするものだ。
メスを探すと、腹を守るようにじっと水底で丸くなっていた。
(1200字)
☆☆☆
やだもー!間に合わないかと思った!
小説書くのが久々すぎて、めちゃ手探りになってしまいました。
ヘッダー画像はKaoRu画伯のアクリル画。
相変わらず素敵✨