78%毒母とぼんやり父の介護日記

制作者

78%毒母とぼんやり父の介護日記

制作者

最近の記事

言葉が出ない・わからない

私の父の場合、認知症の症状は、会話困難・失語から始まったと思われる。 1) 二つ以上の要素が入った会話を理解できない 2) 言葉を思い出せない、違った言葉で会話を進めるので何を言っているのかさっぱりわからない 銀行に行ってATMの使い方や暗証番号がわからず、カウンターで話しても何を言っているのか相手が理解できず、銀行から私に電話がかかってくる。医者やお店に行っても同様、というようなことが何度かあり、あぁ認知症が始まったんだと覚悟を決めた経緯がある。 本人も自覚をしているから

    • まだら呆けと投薬

      先回の投稿から2ヶ月近く経つ。 周りから「お父さんはまだら呆けですねぇ」と言われることが時々あり、どういう状態なのだろうと調べてみた。 A) 理解力が判断力ははっきりしている B) 今日できたことが次の日にはできなくなっている という症状で、アルツハイマー型認知症とは少し異なるらしい。 でもAもずいぶん落ちているから、まだらぼけ寄りのアルツハイマー型認知症なのかな、とあくまで自己判断だけど感じる。 一日おきに変わると言うよりは、周期的に良い時とそうでない時が訪れる。 季

      • 母の入所を終えて、父の介護が始まる

        随分と久しぶりの投稿になった。というのも、状況が色々と目まぐるしく変わっていき、書く時間と書く体力(気力)がなくなってしまったからだ。 何らかの形で介護に携わっている人はわかると思う、この先が見えず、いつどう変化するかがわからないのが、悩ましいところである。 3年後はこう、5年後はこうとわかれば自分の生活の計画も立てられる。 でも10年同じかもしれない、いや明日突然変わるかもしれない、という考えがいつも頭の中でぐるぐると廻り、でもやることはやるしかない。という毎日の繰り返しだ

        • 介護4になった母との関係(Part.1)

          17年前ぐらいからだろうか、母は腰が悪く手術を三度ほどしている。その間に大きな交通事故もあり、要支援2から介護1になったり要支援に戻ったりを繰り返していた。この事故では脳出血もあり、せん妄状態が三ヶ月ほど続き、実は今より大変だったが、ずっと病院に入院していて、下半身に怪我がなかったため、1-2日に病院には通っていたが看護師の方が全てやってくれていたので、今よりは距離を保つことができた。 リハビリも長いことやって、退院時には自分で料理もできるようになった。むしろ料理ぐらいしか

          介護とゴミ問題

          久振りにログインできた。毎日仕事後疲れて時間があれば眠りたい、というより眠ってしまう。更年期も重なり決して眠りは深くはなく、朝方よくわからない嫌な夢を見てがっかりして起きるというパターンだ。 そんなわけでその後のネタはたっぷりあるのだが、書けずに日々が過ぎてしまった。 両親ともに毎晩睡眠薬を飲んでいる。一度母は一気に何錠か飲んでしまい救急車で運ばれてから、お薬カレンダーを作り睡眠薬は空にそこから父もさわれないように、世話をする人たちだけが知っている場所に入れている。 寝た

          78%毒母とぼんやり父の介護日記のはじまりはじまり

          こんな日記を書く日が来るとは30年前の学生の時分には思いつかなかっただろう。 ずっと書こうと思って筆をすすめる暇も気力も出ず、ようやく1ページ目をスタートできた、タイトル通りの日々を綴る予定だ。まぁ未知である。 なぜ78%の毒母なのか… 極度の過干渉、神経質、家族に対して支配的で、自分の思う通りにことが進まないとヒステリックになり暴言を喚き散らす。よく聞く典型的な毒親だが、まったく悪い時ばかりではなかったから、通算78とした。 そんな母は今要介護4で、ほぼ寝たきりで、平日

          78%毒母とぼんやり父の介護日記のはじまりはじまり