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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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2019年3月の記事一覧

くすぶる男/フリする男

1995年に大きな事件が起こる。 阪神大震災。 受験生だったので、阪神大震災は大きな事件だったのはわかるけれどその時はピンとこなかった。テレビはとぶくすりとガキの使いくらいしか見ていなかった。新聞や食事中のテレビで被害が大きいのを知ってびっくりする。そして、それで受験に支障が出る人の話を聞いたりして気の毒だと思った。せっかく頑張ってきたのに。 大学合格。 本当に良かった。これでなんとかメンツが保たれる。怒られなくてすむ。一言でたとえるなら「安堵」だった。(色々とすり込まれ

私のルーツは何処に?

平成中期、平成の10〜20年でどうだろうか。 生まれて小学生半ば。 小学生頃だろうか、初めて人を好きになったのは。 もちろん青春だとか言うにはまだまだ幼くて、どうして誰を好きになるのか、あの好意は友好的で憧れでもあったなと度々思うばかり。 初めての恋は小学校1年生。髪の長い女の子。 髪が長くて可愛いアクセサリーを付けている女の子に憧れを持っていたからだと思う。 男だとか女だとか分ける理由もわかっていない中ではもしかしたらあれこそが純粋な恋慕なのかもしれない。 しか

華の高校時代

平成中期 平成17~20年が、 私の高校3年間だった。 上から数えても下から数えても丁度真ん中くらいの学力の高校に通う、普通科の生徒。 当時流行った曲は湘南乃風の純恋歌とか、レミオロメン粉雪とか、青春アミーゴとか、コブクロ蕾とか、GReeeeN愛唄とか、ミスチルHANABIとか、創聖のアクエリオンとか、テルマのそばにいるねとか・・・・ 書いててめっちゃ懐かしいし、メロディ思い返すとその時の光景がフラッシュバックするね笑 当時の事なら無限に書けそうな気がするから、とり

承認欲求

平成の真ん中あたり、俺は輝く30代を迎えていた。 そのころの俺といえば承認欲求だらけ。もうね、承認欲求の塊。 今だからあのころの自分を外側から見られるようになったけど、当時はとどまることを知らない承認欲求だった。 飲み屋で「かわいいね」って言われても、クラブで「かっこいいですね」って声をかけられても、それでは満足できず「もっと見て!もっと言って!!」と、とにかく認められたい欲に天井がなかった。 世間一般でいう承認欲求とは「注目されたい」という意味が当てはまることが多いと

ウェディング・バンケット

平成中期。20代後半。 前回の平成初期以降もわたしは相変わらず自分がナニモノなのかを誰かに問い続けていた 自分じゃナニモノなのか分からないから誰かを通して何者になれるんじゃないかってそれこそ天使にだってなれるんじゃないかって わたしの彼氏ぃ、あのイベントのオーガナイザーなんだよぉ わたしの彼氏ぃ、2丁目にいくとみんなに声かけられちゃって困るぅ わたしの彼氏ぃ、わたしの彼氏ぃ、わたしの彼氏ぃ 痛いよね、痛い 辛いよね、辛い ”虎の威を借る狐”ってこういうことよね、そこにわ

気がつけばそこにあるもの

平成4年。 少し前まで新鮮味があった「平成」も、もはや空気となって久しかった。 この年、僕は中学校を卒業し、電車を乗り継いで片道1時間半の距離にある高校に通い初めた。 エゴや利害関係や政治力と言った、これから先の人生において少なからず影響がありそうなものの片鱗に触れることが出来た中学での経験から、当面の目標は3つ。親や社会からは善良な一生徒だと思われるようにすること、だけど同級生からはダサいと思われないようにすること、そしてゲイであることがバレないようにすること。 正直

転機

平成14年。 当時27歳だった自分は、首都圏で働いていた。所属する部署は仲が良く、忙しくも楽しい毎日だったと思う。この頃には、家族、友人、自分の部署にはカミングアウトしていて、周囲も当たり前のように接していた。自分のセクシャリティは話題に上るが、特別扱いもされない、とてもありがたい環境だった。 この頃には、交際を始めて丸2年くらいの、初めての彼氏もいた。自分が新宿二丁目に出始めた頃に出会った人だ。彼も周囲にカミングアウトしていて、異性愛者の友人達に「僕の彼氏です」と紹介さ

平成個人史#3 青春編

 つれづれつづり三回目。時代は平成中期、中高生くらい。前回予告した通り恋のお話をしましょう。ただし、皆さまが期待しているような明るく楽しい話でもなければ、頬が紅潮する官能的な展開もありません。ただただ屈折して陰鬱とした、失恋と呼ぶことすらおこがましい、報われない物語です。  青春編などと銘を打ったものの、その名前から想像できるような明るい時代では決してありませんでした。部活に熱中するわけでもなく、友達と遊ぶわけでもなく、いつも何か情熱を傾けられるものを探していながらも、あら

brainwashing

やや不穏だし用法的にもちょっと違うんだけど、まぁお笑い芸人の片割れの騒動なんかでもそういう風に使われてたし、あれはそういうことだったんだろうなぁと振り返れば思えるので、タイトルはこのままにする。 あと、前回のKの話も含め内容が事実と異なるかも知れない。特に時系列が怪しい。意図的なフェイクではない。理由は後述する。 前回前振りしたHなる人物。Kが不在の間に初めてトライした伝言ダイヤルで繋がった相手で、当時たしか5歳ほど上で、この人もまた職に就かない人だった。自称フローリストで

平成中期、初恋

平成中期。 当時世を騒がせていた、ガングロギャルやテレクラなどとは無縁な片田舎で、僕は思春期を過ごした。 ヤンキーが窓ガラスを割って周るようなこともない、平和で穏やかな学校。そんな学校の中でも、徐々に「生き辛さ」を感じ始めるようになる多感な時期。 中学生の頃は同性に性的興奮することを何となく自覚していたのが、高校生にもなるとそれは性的志向だけではなく恋愛感情の対象も同じだということに気付いてくる。タイプの友人や先生を、性的な目で見てしまう。プールの着替えや銭湯で、男性の裸