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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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記事一覧

ヤツらの教え/その2「変化を恐れるな」

変異株の出現 ヤツらは変異する。いや、変異し続けていると言ってもいい。今、コロナウイルスという現象を振り返っている瞬間も、この世界のどこかで誰かに感染し、その感染が変異のもとになって、そして変異株として発見されるかもしれない。 ウイルスという単位のよくわからない生き物なのかそうじゃないのかも自分にはよくわかっていないものが、目に見えない何かが、絶えず変化し続けているというのは、そんなに不思議なことではない。 インフルエンザのウイルスだって、ある程度の型があるだけで、毎回

ヤツらの教え/その1「距離を意識せよ」

生物と無生物のあいだ、と言われるヤツらが教えてくれたこと 私はコロナ禍という言葉が好きではない。嫌いである。なにせ、ヤツらは悪くはないのだ。良いとか悪いとかは、こっち側の都合だ。ヤツらには意図や思想なんてない。「ある」だけ。 ヤツらは存在するために進化を続けているだけ、進化と言ったが、進化なのか変異なのか、どのように表現するのが適切なのかというのも、とても困難な存在たち。それがヤツら。変化するという観点だけでいうと、他の生物と変わらない。 ヤツらは人類に大事なことを教え

 つれづれつづり 「大切なもの」第3回。「住」だと思った? 今回は「獣」です。  私は生涯生き物を飼ったことがありません。環境的に飼えなかったわけではありませんが、昔から親の方針として「毎日散歩させるの大変だし、死んだら悲しいから」というものがあったので叶わず。私は私で、そこまで生き物に対する憧れや執着がなく、むしろ自分の所持品を破損されたらいやだなとか思っていたくらいなので縁遠く生きてきました。  とはいえ祖母の家で犬を飼っていたので犬は好きです。とはいえその犬も私が小学

みっつめ「また明日が言えなくても」

私はこの先の人生、誰とも一緒にいなくていい。 極端な話だけれど、本当にそうで。 わたしは誰かと同じ世界線で一緒に歩くことを心から求めていると同時に、それに疲れとても恐れていた。 恋や愛、惚れた腫れたは簡単に乗りこなしているというのに(モテるという意味で使えないのが悲しいが)、事、友人関係という人間関係の構築には、恐ろしいほど人間力のアドバンテージのなさが垣間見える。 その日、私はその人と仲良くなりたいないという期待感を持ちながら、素知らぬ顔して駅までの夜道を隣で歩いていた

「老後」は消えゆく概念なのか?その3 -幸福な最期のために「ひろげる」戦略

承前…というわけではないですが、自分自身はネオ老後を迎え、そして幸福な最期を迎えるにあたってどうして行きたいのか、ということを考えてみました。 前回までで、健康寿命が長くなり、寿命は伸び悩む。わたしの考える「老後」という概念は高度成長〜バブル期の負の遺産のように思えてきて、新しい老後、「ネオ老後」をどう生きるか、そして死ぬかということを考えてきました。理想的なのはやっぱり社会に溶け込むことで、孤独にならないこと。普通のようですが難しい。 ちなみに。ちらっと見た程度なので曖

「老後」は消えゆく概念なのか?その2 -ネオ老後世代の戦略的終活論

承前ということで、それじゃ老後=健康寿命が尽きた後、死ぬまでの数年の間、どのように過ごせればいいのか?と思うのです。働けないし、自由に動けないし、どうなっちゃうんでしょうね。この状態を仮に、「ネオ老後」と名付けておきましょう。 資本主義も民主主義も危うくなり始めている中で、どういう未来を描いていけばいいのか、と悩んでしまいます。 そこで思いついたのが社会の中で溶けるようにして、生涯を閉じることができればたぶん理想的なのではないか、と思うのです。普通っぽい感じのことを言って

「老後」は消えゆく概念なのか?その1 -人生100年、そんなの無理です続けられません

私は今30代後半です。レイターサーティーです。なんじゃそりゃ。 私の考えではいわゆる「老後」というのは消えゆく概念なのではないかと思っています。老後ということを語る上で、必要な主張だったので第1回目はその理由を書きます。与太話だと思って聞いてください。 その結果として、かつて(今も?)多くの人が思い描いていた、いるであろう「退職後」の「老後の生活」というものは、なくなりかけているのではないでしょうか。健康寿命のうちは働き、その期間が終わったらあとは、最期の日を待つのみかも

つれづれつづり 「大切なもの」第2回。今回は「食」です。  糖質制限ダイエットが叫ばれて久しい世の中ですが、私は炭水化物が大好きです。ご飯もパンもパスタも大好きです。  どのくらい好きかというと、ダイエットのために昼食を鶏むね肉(もともと大好き)と野菜だけのお弁当にしていたら、一週間を迎える前にメンタルに不調を感じ始め、昔話みたいにでっかいおにぎりを食べたら回復したくらい。何事もバランス という当然の学びを得ました。とにもかくにも炭水化物が大好きです。  そんな私が買って

私が逃げ込んだ先

「人生で耐えられないような辛いことや苦しいことがあって、音楽に逃げ込んでいる奴は、ものすごく上手くなるんだ。お前はもしかしたらそうなんじゃないかと、ずっと思ってた」 長い間、楽器のレッスンをつけてくれていた先生の言葉だ。いつもふざけてばかりの先生だったが、カミングアウトした時に、真顔でぼそっと言われた。 実は、これを言われても、当時は逃げ込んでいる自覚はなく、ピンと来なかったのだ。ただ、自分は劣った存在だと思っていて、それを補うために必死だった。 音楽、というか、楽器に

心の中で輝きたるは

大変ご無沙汰しております。つれづれつづり会員番号2番です。 コロナ禍がいちばん酷かった時期もどうにかやり過ごし、日常に戻っています。 あの、沈鬱な様子の人々、灯りのない飲食店、家から極力出ない日々、今となっては現実だったのかなと思うこともあります。 もう会えない親族がいたり、お気に入りだったお店がなくなっていたり、確かに現実だったはずなんですが。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「豊かな思い出は、人生が苦しいときに自分を支えてくれる

素顔で向き合ったから、今がある。

家族と同じくらい僕にとって大切なもの、それは友人や仲間です。友人たちとの思い出や、彼らとの関係がどれだけ自分を支えてきたか、そして過去の経験が今の自分をどのように形作っているのかについて、今回は振り返ってみたいと思います。 僕が20代前半の頃、初めてゲイコミュニティに属するようになりました。それまでに出会った友達とは違う、新しい感覚がそこにはありました。これまでずっと、自分がゲイだとバレることを恐れていた僕にとって、コミュニティの仲間たちと過ごす時間は大きな安心感をもたらし

「俺」

大切なものですって奥さん。 皆様はじめまして。 つれづれつづり、会員番号022です。 諸事情により過去の記事は非公開にしました。だって、あまりにも「俺」すぎるんだもの。 4年前、まだ私は上京したばかりの尻の青いぺーぺーで臭い臭い文章を書いて、それでいてかわいかった。自分をどうやって知ってもらおうか必死になっていた。かーわい。 なので新人さんと思ってくれて構わないです。ここから「俺」をイチから知ってください。書き口でバレるかもね。まあそれはそれでその人のこと好きかも。「俺」

ふたつめ「花束を君に」

その日は唐突にやってきた。 後ろ足で自重を支えられないのか、前足だけで歩き、後ろ足を引きずっているようにみえる。触診して見たが痛みはないようだ。もう15歳のおばあちゃんだから、筋肉が弱ってきたのかしらねと話していたら、すぐに階段を上り下りすることができなくなった。 簡単な段差を超えることができなくなった 自力でトイレに行けなくなった 食いしん坊だったのにごはんをほとんど食べなくなった 甘えて伸ばす腕に力がなくなった 1日中目を閉じている事が多くなった トイレの回数がめっきり

2024年の遠吠え

歳を重ねるとそうそう人は変わることができない。 でも、 変わらないと僕は人生を棒に振ってしまいそうなものだ。 どんなに険しく面倒だとしても、 時間を掛けて道を作る必要がある。 それでも今の僕にとって大切なものは、 ここまで来た自分の選択だ。 自分の可能性を信じて、 自分を鼓舞して、 自分を削って、 自分を見失って、 自分を取り戻そうとして、 日々をひたすらにもがいている自分とこれからも付き合っていかないといけない。 もう半分。 まだ半分? 途方にも暮れるが、 新たな可能性を探