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 つれづれつづり 「大切なもの」第3回。「住」だと思った? 今回は「獣」です。

 私は生涯生き物を飼ったことがありません。環境的に飼えなかったわけではありませんが、昔から親の方針として「毎日散歩させるの大変だし、死んだら悲しいから」というものがあったので叶わず。私は私で、そこまで生き物に対する憧れや執着がなく、むしろ自分の所持品を破損されたらいやだなとか思っていたくらいなので縁遠く生きてきました。
 とはいえ祖母の家で犬を飼っていたので犬は好きです。とはいえその犬も私が小学生くらいのときに亡くなったので、それ以降は通りすがりの犬を遠くから眺める程度の接触しかありませんでした。

 大学生くらいのときにSNSを通じてとある人に出会いました。住んでいるところが比較的近く、写真が好きな人でした。被写体はいつも飼っている犬。洋犬の活発な様子がいきいきと伝わってきました。
 犬は男の子と女の子。飼い主さんは「このふたりのこどもが欲しいんだ」と言っていました。私はへーそうなんだと軽く聞いていましたが、実際にはとても大変なことだそうです。素人が安易に手を出してはいけない領域です。ただの夢物語かと思いきや、その人は本当にブリーダーとしての資格を得て繁殖をさせていました。もちろん本業は会社員。いや情熱がすごい。当事者ではないのでここで書けることはありませんが、並々ならぬ苦労を重ね、無事妊娠、出産となりました。

 そんな折、飼い主さんから「自分が不在の時、ちょっとだけ子犬と母犬の面倒を見てくれないか」と頼まれました。幸い(?)私は無職。有り余る時間を持て余していましたので無理なお願いではありません。生まれたばかりですから、基本的には子犬の面倒は母犬がみます。母犬の方の世話と子犬の監視程度です。ペットシッターどころかいわゆるお留守番です。喜んで引き受けることになりました。

 生後間もない犬はちょっと大きい竹輪みたい。なんか小さくてふにゃふにゃしてる焼き目のついた物体が小さなケージの中に点在しています。室温に応じてくっついたり離れたりして、程々の距離になるよう温度を調節するのが自宅警備員(自宅ではない)の仕事です。基本的にペットショップやブリーダーで販売されるのは生後二〜三ヶ月くらいなので、目も開いていない状態の犬を拝めるのは本当に貴重な機会でした。
 無防備なまま天に向けられた彼らのお腹をそっと撫でると、驚くほどしっとりとしており、滑らかな手触りでした。
 そして更に驚いたのは母犬の様子。妊娠前に会ったときは実に健康的でつややかで、実にスタンダードな犬でした。それがガリガリに痩せて肋骨が浮いているのです。出産と母乳でだいぶエネルギーを吸われてしまうのですね。飼い主さんから「食事はとにかく栄養のあるものをあげてほしい」とミルクやら鶏レバーの水煮やらが用意されていました。
 授乳後はフラフラとケージを離れ横になり、しばらくするとまたケージに戻りを一日中繰り返します。犬でさえこれなのですから人間はもっともっと大変なのでしょう。

 寝て食べてを繰り返す小さな生き物たち。それを育てる母犬。命の営み。私には一生縁がないと思っていました。この経験で何かを得たかと言ったらわかりません。何か劇的に価値観が変わるわけもなく、これが自分の将来に多大な影響を与えるというドラマチックな展開は起きませんでした。ただ、ちょっとだけ犬の世話をして誰かの役に立てたという経験は当時無職で存在価値がぐらついていた自分にとっては何よりもありたがく、身にしみる体験でした。
 残念ながら今はもう飼い主さんと交流はなく、当時生まれた子たちも元気かどうかわかりません。(無論、それぞれ別の飼い主さんに譲渡されていきました)
 けれど、あの子犬たちの柔らかなお腹の手触りを思い出せばいつでも優しい気持ちになれます。掛け値なく幸せであれと望める存在がいるというのは素晴らしいことなのだとこれを書きながら改めて感じます。

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