「母」という存在の不思議。
ミッドナイトスワン
という映画を観てきました。
ストーリーの要約は苦手なので
公式サイトをどーぞ。笑
https://midnightswan-movie.com/sp/
とても、
優しくて繊細で
それでいて力強い映画だと
わたしは感じました。
とっても印象的だったシーンがあります。
草彅くん演じる
トランスジェンダーの主人公、凪沙が
一時的に預かっている
訳ありの親戚の子、一果の
バレエの先生から
「お母さん!」と呼ばれたシーン。
そのあと、バレエの先生は
あわてて謝るのよね。
でも、凪沙は笑い出しちゃうの。
本当におかしそうに。
「破顔」って
こういうことを言うんだなって思った。
その前後のシーンでも、
凪沙のまなざしは
本当に「お母さん」だった。
身体は男なんだけど。
女性の姿をしていても
男性の姿になっても
凪沙の佇まいは「お母さん」だった。
いや、あんな神々しい
「お母さん」なんて
実際会ったことないけどさ。
みんなの
理想の「お母さん」のイメージの
集合体みたいなかんじだった。
マリア様、みたいな。
そんなまなざし。
そんな佇まい。
トランスジェンダーと社会。
家族という密室。
世間体の息苦しさ。
必死に生きるということと、虐待。
いろんな孤独がぎゅうっと集まった
映画だったけど。
わたしはやっぱり
「母」という存在の不思議にフォーカスして
観てしまったよ。
「お母さん」と呼ばれて
つい笑みがこぼれた凪沙を観て
わたしもむすめに
「かーちゃん!」と呼ばれた時の
あたたかさを思い出したよ。
立場や役割に縛られない生き方。
それにとても憧れる。
「わたし」で生きていく方法を
模索している。
でも、それでもやっぱりわたしは
役割や立場に、助けられている。
両方を内包して、
抱きしめて、
生きていくのだと思う。