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神道と仏教の違い

初詣で神社へお参りし、
厄除けをするためにお寺へ行く、
お墓参りでお線香をたて、
新年に御幣を新しいものに交換する。

日本の宗教では、神道と仏教が融合しています。
これは、日本のオリジナルな仏教がうまれたともいえますし、日本古来の神道が残り続けるための策であったともいえます。

神道と仏教の違いについて知ることは、日本人の心に根付いている宗教観を読み解くことにつながります。

神道は道。仏教は教え。

「武士道」という言葉があります。
その字の通り「武士としての道」です。
「道」には、物の通り、やり方という意味が込められています。

では、神道とはどういう意味になるのでしょうか。
これは神様に対する通りであり、神様への接し方とも言えます。
ここで重要なのは「教え」ではなく「通り」ということです。

逆に、仏教とは何か。
文字通り「仏の教え」です。
ブッタが説いた真理について教え、ブッタによる救済について他者へ教える。
これが仏教です。

つまり、神道とは「接し方」であり、仏教とは「教え」なのです。
接し方とは自然発生的なものです。
目上の人を敬う、挨拶の際に会釈をする、人の目をしっかりと見る。
もちろんマナーとして教わったこともありますが、これらは全て人と人とが接する中で自然発生した、人としての道なのです。

日本の古来からおわす神々に対する信仰心は自然発生的なものであるからこそ「道」なのです。

対して、仏教は紀元前5世紀ごろにインドの王族であるゴータマ・シッタールダが導いた真理が元になっています。
ブッタの死後、彼の教えが広がり、ブッタは仏として崇められるようになりました。
インドから中国、朝鮮半島を経て、6世紀の欽明天皇の時代に正式に日本へ仏教が伝わりました。
仏(ブッタ)の教えであるから「仏教」なのです。

建長寺にある釈迦苦行像(釈迦=ブッタ)

このことからもわかる通り、神道も仏教も宗教でありますが、教えと通りという根本の部分が異なっているものです。

生きるためのアニミズム。神道。

神道文化が形成された時期については、様々な意見がありますが、最初期の神道が誕生したのは縄文時代です。
縄文時代には万物には神が宿るというアニミズムの考えがあったとされています。
当時の人の生き方は、自然と密着していました。
木の実や、果実、ウサギや鳥などの小動物、時には大きなイノシシも。海の魚、貝、海藻など。生きるために自然と密接に関わる必要があったのです。
そうして自然に対する畏怖の念や、古代の人々の暮らしや歴史が神格化され、大和朝廷が全国を統治するなかでまとめられた宗教観が、神道です。

つまり、神道とは「救いを求める」ものではなく、「自然に対して敬意を表する」考えです。

神道で「神様」と呼ばれるものや「神話」と呼ばれる話には種類があります。
一つ目は、自然と共に生きてきたことで形成された神様に対する畏怖の念により形成された超次元的な存在としての神様です。
「山の神」や「海の神」などがこれに当たります。
自然に神が宿るとする縄文人から現代まで受け継がれたアニミズムの伝統です。

二つ目は、大和朝廷の広がりにより日本の神話として形成された神様です。
例えば、天照大御神や須佐之男命などがこれに当たります。
地域ごとのアニミズムから生まれた神様よりも上にたつ存在として皇祖神である「天照大御神」や「須佐之男命のヤマタノオロチ退治の物語」が広まりました。
大宮にある氷川神社は紀元前に創建されたと伝わる神社です。境内にある門客土神社にはアラハバキと呼ばれる謎の神が祀られています。
この神様こそ縄文時代以前からこの地で信仰されてきた土着の神であるとする考えがあります。
武蔵を大和朝廷が統治するにあたり、須佐之男命の神話も伝わり、氾濫を繰り返す荒川と、暴れん坊の須佐之男命が一致をして、氷川信仰が誕生したと考えられています。

大宮氷川神社境内の門客土神社

三つ目は、人物が神としてまつられるというパターンです。
天神様がこれに当たります。
天神様は平安時代の貴族である「菅原道真」の神格化した姿のことです。
無実の罪を着せられて大宰府に左遷させられた菅原道真は、死語その恨みから京の都に祟りを起こしたのです。
朝廷は菅原道真を神としてまつることで、その祟りを抑えました。
また、天皇は天照大御神の血を引くとされているため、崩御すると神として祀られます。
神武天皇を祀る橿原神宮、桓武天皇を祀る平安神宮、明治天皇を祀る明治神宮などは非常に有名です。
また源頼朝を祀る白旗神社などもあります。

どちらにしても共通しているのはご利益や、救済を求めるのではなく、「神」として祀らなければならない、という使命感から祀られているということです。

言い方が悪いですが、非常に受け身の宗教であるとわかります。

救済と生命の真理。仏教

紀元前4世紀ごろインドに生まれた王族の子ゴータマ・シッタールダが仏教を開きました。
「悟り」を開くことで、輪廻転生から脱することができ、苦しみから脱却できるという考えです。
ゴータマシッタールダことブッタは悟りによる救済と、輪廻転生という生命の真理を弟子に伝え、ブッタの死後は弟子がさらに別の弟子へと伝えました。

悟りを開いたブッタは輪廻転生から離脱した存在になり「如来」として現世に生きる我々を救済する存在となりました。
釈迦如来の誕生です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Seated_Shaka_Nyorai_(Sakyamuni,_Gautama_Buddha).jpg
東京国立博物館蔵の平安時代釈迦如来坐像

人としての姿でこの世にあらわれた如来は釈迦如来のただおひとりですが、この世界には阿弥陀如来、薬師如来、大日如来などの如来が存在してます。
その後、仏教の教えを広める菩薩や、仏教を守護する明王などの超次元的な存在が次々と誕生しました。

この仏教の本質は「救済」と「生命の真理」であり、救済を求めるという願いをかなえるにはどうすればいいのかというのが本質にある宗教です。

自然発生的な神道と異なり、自発的に誕生した宗教であるということです。

”見える”仏の公伝と神仏習合

日本古来の神道は自然発生した考えであり、生きていくうえで「必要不可欠」な信仰でした。
6世紀の欽明天皇の時代に日本へ仏教が伝わりました。

仏像というものを始めてみた当時の人は、さぞ驚いたことでしょう。
超次元的な存在で「仏」と呼ばれるそれは、自分たちと同じ人間の形をしているのですから。

今まで日本の神々は、影響を受けることはあってもその姿を見せることは決してありませんでした。
まして、神の姿をかたどった偶像崇拝など、ありえなかったのです。

山の神は山そのものであり、見えなくても山自体が神として存在しており、
水の神は水そのものであり、水が流れ、水があれば、そこに神は存在していたのです。

わざわざ見る必要がなかったかもしれません。
それか、あまりにも畏れ多くて見ることもはばかられたのかもしれません。

神道は生きるために必要なものであり、それをわざわざ広めたり、守ったりすることはありませんでした。
これは「道」と「教」の違いにつながります。

姿かたちもわからぬ山や川の神。
人の姿をして、穏やかな表情、救いの手を差し伸べ、自分たちを救済してくれる仏。

おのずと日本の中で仏教の影響力が、神道の影響力を上回るようになりました。
聖徳太子は憲法十七条の中で「広く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧である。」と記しています。
当時の日本の政治が、仏教をあつく信仰していたことがわかります。

平城京には鑑真の唐招提寺をはじめとする、多くの仏教寺院が建立されました。
聖武天皇も仏教をあつく信仰していました。
神道の天照大御神の子孫である天皇が、悟りを開くために仏の救済を求めたのです。
この時代から日本古来の神道と、新しい仏教との習合が始まります。

平安時代には本地垂迹説という考えが広まりました。
インドの仏が姿を変えて現れたのが日本の神々であるとする考えです。
また、日本の神々でさえも悟りを開くために仏門修行を行っているのではないかという考えも広まりました。

だからといって日本の神道がないがしろにされてきたわけでは決してありません。
山にお寺を建立するとなったときに、地元の人はその山の神様にお寺を建てていいかを説いたのです。
京の中央では、仏教の影響力が強かったことは確かですが、一般の庶民の間では、神道も同じくらい大事にされてきました。

この神道と仏教がごっちゃになった状態は、明治維新がおきて天皇中心の国造りが行われるようになるまでの1000年近く続きます。

もう少し、神仏習合の具体例について説明します。

例えば、かつて「八幡大菩薩」という神仏が信仰を集めていました。
「八幡」とは八幡の神ともよばれ、宇佐八幡宮や鶴岡八幡宮などで祀られています。
もともと宇佐八幡宮で信仰されていた八幡の神が、第15代応神天皇の神格化された姿であるという考えが加わり、さらに武士のあつい信仰を受けたことで武道の神としても崇められるようになりました。

「菩薩」とは悟りを開く前の仏の姿のことで、「地蔵菩薩」や「観音菩薩」などが有名です。
王族であったブッタが悟りを開く前の姿が菩薩であるため、豪華な衣装を身にまとっています。
菩薩は仏道修行をしている途中ではありますが、私たちの悩みを聞き、一緒に仏の道へ連れて行ってくれます。

この神道の「八幡」と仏教の「菩薩」が融合した姿が「八幡菩薩」です。
そこに威厳を持たせるために「大」の文字を加え「八幡大菩薩」と呼ばれるようになりました。

絹本著色後醍醐天皇御像

歴史の教科書にも登場する後醍醐天皇の肖像画には、神道における最高位の神である「天照大御神」の隣に「八幡大菩薩」と書かれています。
ちなみに、春日大明神とは、春日大社の神様です。
後醍醐天皇が手に持つ金色の道具は密教用具であり、仏教に関連しています。
天皇という高貴な存在と権威の確立は、神道の最高位である天照大御神の子孫であることに由来をしています。
つまり、この肖像画1枚でも当時の神道と仏教の集合の様子が見て取れるということです。

この時代の神仏習合があったから、今の私たちが神道と仏教をあまり区別しないのかもしれません。

明治維新と廃仏毀釈

鎌倉に鎮座する鶴岡八幡宮の境内には大きな塔が建てられていて、その中に薬師如来坐像が安置されていました。
当時は「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれていました。

鶴岡八幡宮 大塔

言わずとも、これは神仏習合によるものです。

平安時代から明治維新前までは、日本中に神宮寺と呼ばれる神社と寺が一体化したものがありました。
具体的には、鶴岡八幡宮のような神社の境内の中に仏教系の建築物があるということです。

明治維新が行われると、天皇を中心とした近代国家の建設が行われました。
その中で日本古来の神道が国家宗教であり、仏教よりも神道が格上であるとされました。
そのうえで、神道の最高位である天照大御神より受け継がれてきた歴代天皇の血統を万世一系の大変尊いものであると憲法に記し、天皇に裏打ちされた新たな政府が誕生しました。

その中で神仏の分離が行われました。
神社の境内にある神宮寺は破壊され、神主は神社のみ、僧侶は寺のみ管理をすることになりました。
今までは杓を持ち神主のようなふるまいをする僧侶が、日本の神々と仏に祈りを捧げていたのですが、神仏分離の中で完全に別れました。

神社は国が一元的に管理をすることになり、天照大御神をお祀りする伊勢神宮は国から格別の扱いを受けました。
この中で神社においては「二拝・二拍手・一拝」をすることが全国レベルで統一されました。

1945年8月、日本は戦争に敗れました。
戦後、GHQの統治のもとで日本の宗教も大きく変化をしました。
各地の神社は宗教法人として登録され、国ではなく神社本庁という組織が管理をするようになりました。
国がどこかの神社のみを格別に扱うこともなくなりました。

この戦後の混乱のさなかで、新興宗教と呼ばれる色々な宗教がうまれました。
神道系、仏教系、キリスト系などの宗教が生まれるようになりました。

神社の呼称、寺の呼称

さて、歴史や宗教の発生から見ても神道と仏教が違うものであることが分かったと思います。
ですが、具体的に現代に生きる我々にとって神道と仏教の違いを認識するのは、常に意識をしてないと難しいと思います。

例えば「○○神社」とくれば神道と分かります。
「○○寺」とくれば仏教だと分かります。

では「○○宮」はどちらでしょうか?「○○院」はどうでしょう。

答えを先に言うと「宮」は神道で、「院」は仏教です。
ここからは神社の名称と寺の名称の違いについて説明します。

神社の呼称はいくつかあります。
一つ目が「神宮」
伊勢の神宮、熱田神宮、橿原神宮、明治神宮などが有名です。
この神宮という呼称は、天皇に関係している神社が名乗ることができます。

伊勢の神宮は、言わずと知れた皇祖神「天照大御神」をお祀りする神社です。
熱田神宮は三種の神器の一つである「草薙剣」を祀る神社です。草薙剣は須佐之男命がヤマタノオロチを退治した際に、ヤマタノオロチのしっぽの中から出てきた剣で、その後須佐之男命が天照大御神に献上しました。天照大御神の孫である瓊瓊杵尊が地上世界に降り立つ際に天照大御神が授けた非常に神聖な宝剣です。
橿原神宮は、初代天皇である神武天皇が紀元前660年2月11日に日本の建国を宣言した地であり、日本誕生の地です。橿原神宮の御祭神はもちろん神武天皇です。
明治神宮は、明治天皇とその皇后である昭憲皇太后を祀る神社です。
「○○神宮」という名の付く神社は全て天皇に関係していることが分かります。

余談ですが本来「神宮」と名乗ることができるのは伊勢の神宮のみでした。
「神宮」といえばイコール「伊勢の神宮」のことで、今も正式名称は「伊勢神宮」ではなく「神宮」と単体で呼びます。
ただ今は「神宮」とだけ言っても他の「○○神宮」と混乱する可能性があるので、地名をとり「伊勢神宮」と一般に呼ばれています。

二つ目は「宮」です。
これは皇族に関係をしている神社の呼び方になります。
例えば、「鎌倉宮」「水天宮」などがあります。
鎌倉宮は後醍醐天皇の皇子である護良親王を祀っています。水天宮は、源平合戦のさなか入水した安徳天皇を祀ります

また、皇室以外でも、格式が高いことを示すために「宮」が用いられることがあります。
八幡宮、天満宮、東照宮などがあります。
それぞれ八幡宮は八幡の神、天満宮は菅原道真、東照宮は徳川家康を祀っています。

三つ目は「○○神社」です。
神社の基本的な呼び方になります。
地元の小さな御社から、大神神社など大きな神社もこの呼び方です。

四つ目は「大社」です。
大社ももともとは「出雲大社」のことを指す言葉でしたが、現在は格式ある神社に用いられる呼称になっています。
出雲大社、諏訪大社、春日大社、住吉大社、伏見稲荷大社などの名だたる神社が連なっています。

ここまでが神社で、神道の宗教施設です。

次に寺の呼称について説明します。

一つ目が「○○寺」
基本的なお寺の呼称です。
読み方は「テラ」もしくは「ジ」です。
浅草寺、長谷寺、清水寺、東大寺などがあります。
基本的に多くのお寺は「○○寺」という呼称が用いられます。

二つ目「○○院」
寺院という言い方もする通り、○○院は仏教施設です。
平等院、高徳院、喜多院、明月院などがあります。

三つ目は「○○堂」
○○堂とつく建物も仏教施設です。
ただ、「○○寺」や「○○院」は、お寺の名称であるのに対して、「○○堂」は境内の中にある建物に対しての名称として使われることが多いです。
法華堂や、金堂などがあります。ただ、これらは寺の名前ではなく、建物の名前であり、○○堂が寺の名前として使用されることは少ないです。

境内に阿弥陀如来像が安置されている建物のことを「阿弥陀堂」と呼んだり、薬師如来像が安置されている建物を「薬師堂」と呼んだりします。
説法を行う建物を講堂と呼んだり、重要な宝物があると金堂と呼んだりします。

さて、ここまでの知識を身に付ければ、今後行く場所が「神道の神社」なのか「仏教のお寺」なのか見分けることができます。

最後に

アニミズムの発生、仏教公伝、神仏習合、密教の発達、神仏分離、廃仏毀釈などを経て現在の神道と仏教があります。

神道は日本の古来より伝わる宗教です。
仏教も1400年を経て日本独自に進化をし続けた、日本の宗教です。

神道や仏教について知っていると、今まで何となく見ていた観光地のお寺や神社、普段の伝統行事などにも意味があると分かります。100倍楽しめることでしょう。

このnoteを読み終えた方はぜひ、お近くの神社やお寺に参拝をしてみてほしいです。
きっと今までとは違う経験を得ることができると思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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