悶として霜月
今年。
何を成したんだろうかと考える。
何かを成すための助走期間のような、それにさえもなっていないような。
大体、何を成すって何を?
「何か」を見定められずに居る。
別に
誰かに、何かしろ。とか言われた訳でも
ニーズがあるわけでも無いし、
仕事はしてるんだから、何も勝手に”何か”を探し出す必要も無いわけで。
見方によっては
私は、既に1つ持っている。
なのに、まだあるんじゃないか。って自分から暗闇に頭だけ突っ込んで、
「嗚呼、見つけられないのだ!」とか
「何も見えない。故に!」とか
言ってるだけ。
いつでも戻ってこれる、ぬるくて仄明るい世界に足をしっかり付けて。
それってかなり滑稽。
文章を書いたり、絵も描きたい、写真も撮りたい。
でも、それに向かって全てを投げうったり
狂人のフリしたり、隠遁じみてみたり、
ようは自己陶酔みたいな世界には浸りたくない。
捏ねくり回した難解な形容詞を使って
どやぁ!ってしたいわけじゃない。
インクを、ビチャ!ってやって、サァーッ!ってやって
「メタモルフォーゼの淵に立つ覚醒する意識」とか名付けたいわけじゃない。
なんだろう。もっとこう。
空也みたいに口からこぼれ出る言葉達が形を成せば、
放哉みたいにブツブツ言ってて俳句になれば、
それが一番いいのに。
(それらが、あれやこれやを越えた彼岸であることは充分理解しております。)
ここで一句。
悶として水無月また悶として師走
今日は天気が良かったけれど、こんな事をとりとめも無く考えておりました。
そして、
コーヒーを飲もうとして
カップを掴んで、口元で傾けまでしたのに
何も掴んでなかった。
虚無。
底がぬけた杓で水を呑もうとするのと
これと、どっちがマシなのか。って
考え微睡んで、
結局、「何か」については
答えが出ないまま。