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知り合いの先輩経営者3人が、自ら命を絶ちました。
先輩の経営者が、海岸に車を停めガスホースを使って亡くなりました。自死でした。
この方は測量会社のA社長でした。プライバシー保護のためあえて業種などは変えてお話しますが、リゾート開発の大手不動産会社の下請けをしていました。
真面目で誠実。その業界では際立った紳士ですこぶる評判も良く、業績も急成長していて注目されていた経営者でした。
ところが、事業を手広くやり過ぎてしまったのです。しかも発注元が数社に限定されている状況でした。ある意味、運命共同体としてリゾート乱開発に否応なしに巻き込まれてしまったと言えます。
そのようなある種、隷属関係にある中で、突然発注元が倒産したのです。
当然ながら売掛金はまるまる未回収になり、会社はにっちもさっちもいかなくてなってしまいました。突然訪れた悲劇でした。
奥さんと子供を残して、自死を選ばざるを得なかったA氏の最期はどれほどつらかったことでしょうか。ガスを吸い込んだとき、どれほど苦しかったことでしょうか。
私自身、A社長には言葉では言い尽くせないほどお世話になりました。物心共に支援をいただいた方でした。
ある時は夜中まで相談にのってくれたり、ある時は経営計画書の中身を見てもらいアドバイスをしてくれたり。またある時は、行きつけの小料理屋でご馳走になり、経営がいかに楽しいか、やりがいがあるか、経営者の醍醐味について教えていただきました。数えきれないほどの言葉を思い出します。
そのようなかけがえのない存在だった先輩経営者が、亡くなってしまいました。
近隣住民に発見され、警察が駆けつけたそうです。その後、警察から奥様に連絡が入ったときの奥さんの心情はいかなるものだったでしょうか。
私は朝、自宅に届いた新聞を読んでA社長が自ら命を絶ったことを知りました。リビングで天井を見上げて呆然自失となりました。一瞬理解が追い付かず、とっさに同姓同名かなと思ったほどでした。
この文章を書いている今も、その時のことが鮮明に思い出され涙が出そうです。
2人目は先輩経営者B氏の話です。
上場の準備をしていた地域NO.1の中堅企業の経営者でした。B社長は2代目でロータリークラブでも目立った活動をしており、かなりの要職についていた地域経済界の重鎮です。私は同じロータリーに所属していましたので、常に身近にいて指導をいただいていました。尊敬すべき大先輩の経営者でした。
その経営者がある日突然、高さ100メートル以上もある吊り橋から身投げしたのです。
原因は不良品が発生し売上激減となったことでした。同時に大量のリストラを決行したことで労働争議に発展。リストラされた社員からは不当解雇だとののしられ、労働基準監督署からは厳しい追及があり……。
B社長の心労が限界に達したのです。私は何もしてあげることができませんでした。
これらの心労は、経験したことがない方は想像もつかないかもしれませんが、特に労働争議などは1か月やそこらで終わることはありません。数か月、下手すると一年以上もかかったりするのです。
身投げという方法を選んでしまったせいで、当然のことながらご本人のおからだは葬儀で見ることもできませんでした。
本来ならば安らかなお顔に化粧をして愛する家族とお別れができたはずなのに、B社長はそれが叶わなかった。
残されたご家族のお気持ちは想像を絶します。私は内輪の家族葬に特別、参列させていただきましたが、棺の中を見ることはできず、あんなにも私を支えてくれた尊敬する先輩経営者の最期を見送ることはできませんでした。
3人目は先輩経営者C氏のことです。
長いことお付き合いのあった先輩経営者でした。C社長は資金繰りに追われ、アルコール依存症となり毎日のように会社近くの公園を彷徨っていました。
ブランコに2時間も3時間も乗ってお酒を飲み続け、
そして、ついに急性アルコール中毒で逝ってしまった。
C社長もA社長とB社長同様、私が創業以来支援してくれた恩人と言える経営者でした。
私が1人創業した時に新品のパソコンをプレゼントしてくました。今の時代であればパソコンは会社にあって当然ですし、ノートパソコンともなると大学生でも買える値段ではあります。
しかし、当時はとんでもなく高価で給料2か月分でようやく手に入るという代物でした。その上、当時、ワードも使えない私に自社の社員を無償で派遣してくれ、操作まで教えてくれたのです。その後も陰に陽に必要に応じて支援をしてくれていました。
C社長は会うと必ず「自分を信じて思いっきり頑張れ!」と励ましてくれていました。創業したばかりの私にとってどれほど心強かったか。この人がいなければ今の自分はないと思っています。
経営者としての自分、私の会社に勤めてくれる社員たち、そして私の家族と社員の家族は、このC社長のおかげで路頭に迷わずに済んだのです。でも、この人は亡くなりました。借金のせいで。アルコールのせいで。
このC社長はある片田舎の出身で、その町では幼い頃から神童と呼ばれていたほどの秀才でした。大学も有名私立の出身で、若くてコンピュータ会社を立ち上げました。
ところが、開発は得意でしたが営業が上手くいかず、気がついたら借金が膨れ上がってしまった。ついには街金融に手を出してしまい、案の定厳しい取り立てに精神の異常をきたし、酒に救いを求めたのでした。
当時の借金取り立ては「ナニワ金融道 」そのものでした。並大抵の精神力では耐えられないドギツイものだったと思います。
家まで押しかけてきて何度もチャイムを鳴らす。
「いるのはわかってるんだ」
「はよ出てこいやコラぁ!」
「子供に恥ずかしと思わんのか!」
「借りたもんは返すのが道理じゃろうが」
こんな怒声が響き渡り、近所からも孤立しました。
紹介させていただいた3人の先輩経営者の自死以外にも、夜逃げする経営者や倒産した経営者を目の当たりにしたことがあります。知り合いであったD経営者のことです。
前々日まで、お酒を共にしていたその社長は失踪してしまった。
はっきり言えば、経営が行き詰り夜逃げしたのです。
目の前にいた経営者が突然いなくなってしまったこの体験は、晴天の霹靂ではありました。しかし、経営者の夜逃げはそう珍しいことではありません。私の周りでも4人の経営者が失踪しています。
昔「夜逃げ屋本舗」という映画がありましたが、まさしくそのような状況でした。後から聞きましたが、D社長は失踪する前に離婚も済ませ子供たちも転校をさせていたそうです。綿密な計画の上での失踪だったようです。
あとに残されたその会社の役員、管理職、そして社員は路頭に迷い、大変な苦労を強いられました。住宅ローンの支払いができなくなり、離婚の危機になり、子供たちにご飯を食べさせることも危うい状態でした。再就職だって本当に難しかったと聞いております。大袈裟に言うつもりはありませんが、実際悲惨としか言いようのない状況でした。
一方、倒産の悲劇も目の当たりにしました。
取引先の倒産によって債権者会議に出席したこともあります。
私自身会社を設立してからの35年で、
取引先の倒産を5回経験している。
私はすべての債権者会議に出席しています。債権者会議に複数回出ていること自体、経営者としては情けないことです。取引先の与信管理が杜撰ということですので威張れたものではないからです。
すべての内容を紹介することは避けますが、衝撃を受けたある債権者会議の例を1社紹介します。実際にあったことです。
その会社を経営していたのは本当に優秀なE経営者でした。地元では新進気鋭のベンチャー起業家と言われていました。しかし、残念ながら横道に逸れてしまい法的な倒産手続きをとったのです。
私は債権者会議に出向きました。
会場に入るや否や、予想外のシーンが目に飛び込んできたのです。
さびれたオフィスビル、広い会場の檀上に置かれた小さなテーブルに2人座っていました。1人は倒産企業の当事者であるE社長。
その社長は点滴をしたまま
車いすにうなだれた姿で座っていた。
その背後には白衣を着た看護師が付き添っていました。E社長と並んで真横に座っていたのが20代の若い弁護士でした。後から聞き知ったのですが、E社長は
自殺未遂を図り、救急車で病院に運ばれたとのこと。
応急処置をし一命を取り留めたので債権者会議に出てきたのでした。
債権者会議が始まり私はまた驚きました。会場内で債権者の方々の罵声が飛び交ったのです。その内容は、
「反社との付き合い」
「異性関係との不適切な関係」
についてでしたが実際の言葉は聞くに堪えられないものでした。その怒号の飛び交う会場には、その会社の役員はもとより管理職が10名ほど直立不動のまま後方の壁に整列していました。可哀想と言いましょうか、不憫に感じました。
債権者だってみんなこのE社長にお世話になったはずなんです。だけど債権者がE社長に向かって浴びせた怒号は「ふざけんな」「死んで詫びろ」「裏で◯◯までやっていたのか」といった言葉でした。
会見が終わった後、E社長に怒号を浴びせ続けた債権者たちはいっせいに帰っていきました。誰一人、ただの一言も声をかけずに。
残ったのは私だけでした。
初夏の暑い日差しが窓から降り注いでくる日でした。今でも日にちと時間を覚えています。
その会社が債権者会議のため借りたのはボロボロのビルの一室。テーブルに座って文字を書くだけで机がぎしぎしと音を立てていました。そんな会議室しか、もう借りることができなかったんです。
このE社長は私と同じ歳。出会った時から馬が合い、取引先としての関係を超え友人のようでした。それこそお互い敬語抜きで普通に話せる仲になっていました。
たった一人残った私は車椅子のところまで行き、友人としてE社長に声をかけたんです。
「大丈夫、大丈夫」
「これから、これから」
「元気出して、元気になったらまた一緒に飲もう」
と。
なぜ、わざわざ債権者会議が終わってから声をかけにいったのか?しかも、友人として。
それは、E社長が過去に私を助けてくれたことがあったからです。私の会社が倒産に追い込まれそうになった時に、E社長は強力にバックアップしてくれたのです。
この倒産の危機とは、当社が社運をかけた複数社との共同事業が発端でした。この共同事業はスムーズに進むかと思いきや、大詰めを迎えていた時に1社が突然撤退したのです。全社揃わないと成り立たない事業であったことから、土壇場で共同事業は破綻する可能性が高まり経営危機となってしまったのです。
そこで私は撤退した穴を埋めるためE社長に急遽参画を求めたのでした。はじめは「無理だ、参画できない」との返答でした。
当社にとって生きるか死ぬかの土壇場でしたので、私はダメ元で強硬手段にでました。
緊急を要することから私は無礼を承知の上で、E社長の
自宅まで押しかけ、頭を床に擦り付け懇願した。
この事業に参画してほしいと。
すると、私の話しが終わらない内に、E社長の顔の表情が一変しました。
「わかった、わかった」
「大丈夫、大丈夫だよ」
「一緒にこの事業、成功させよう」
と言ってくれたのです。仰天びっくりとはまさにこのことです。もしこの時、断られていたら私の会社の存続自体難しかったでしょう。
だから、です。
だから私は債権者会議の後にE社長に声をかけたのです。
あのときE社長が私にかけてくれた同じ言葉を伝ええたくて……。
その債権者会議の後、E社長の会社は再建に向け歩み出しました。しかし、残念なことに結局倒産してしまったんです。さらに、倒産した後E社長は体調が悪化してしまい5年後に亡くなりました。
若干47歳でした。
自死、夜逃げ、倒産。
正直、今この文章を書いているのもつらいです。
亡くなった諸先輩の経営者、同年代の仲間の経営者が私にかけてくれた言葉、無条件で与えてくれた支援の数々を思うと、なんとも言い難い切ない気持ちでいっぱいです。
ですが、
ここに紹介しました経営者と同じ道は、もう誰にもたどってほしくない。
私と同じ中小企業の経営者の皆さんは、大きな夢を抱き独立し、あるいは継いで、必死に努力されているはずです。
自分がどれだけ大きく羽ばたけるかチャレンジしたい。せっかくこの世に生を受けたのならどこまでやれるか挑戦したい。
そんな思いで会社経営をされているはずです。そのような経営者の皆さんに、こんな結末はたどってほしくない。だからつらくとも筆をとりました。
冒頭で記した先輩経営者たちの自死の原因は、一言で表せば「自己実現の崩壊」であったと思っております。
野心も志も強い経営者でしたのでそう思います。自己実現欲求が強いからこそ、窮地に立たされると不安感は一気に絶望感となりさらに喪失感に変わり、最後には焦燥しきってしまう。そんな過程を踏んだのだと思います。
私も同じ過程を、途中まで踏んだ経験があった。
私も3回ほど倒産の危機を経験しています。
夜、子供たちが寝静まった後、深夜会社に行って仕事をしたこともありました。眠れない夜が続き、精神が極度に不安定となったこともあります。
「こんなにつらいなら経営なんてするんじゃなかった」「もう経営を辞めたい」
そう思ったこともあります。
世の中小企業の経営者には真面目な人が多いと思います。だからこそぎりぎりまで頑張る。無理をする。そして、追い込まれてしまう。
最後には、かけていた生命保険を念頭におき、自死によって償おうと決心し、咄嗟に死を選択してしまうのかもしれない。
私自身も同じ責任感をもって多額の生命保険に加入していましたのでよく理解できます。
会社にもしものことがあったら、「自死によって償おう」
そう思っていたのです。
私は、先輩経営者の告別式にすべて参列しました。
式が始まり着座していた私には、
お坊さんのお経が一切、耳に入ってこなかった。
なぜなら、私の頭の中ではある誓い言葉が何度も繰り返されていたからです。
亡くなられた先輩経営者を前にして、大変失礼ながら自分に言い聞かせていた言葉とは、
「俺は絶対にこのようにはならない!」
でした。
このような自死、夜逃げ、倒産といった最悪の事態を目の当たりにした私は確信したのです。
「経営者には理屈ぬきに強さが必要だ!」
と。
上記で述べた出来事、「自死、夜逃げ、倒産」は、経営者には強さがなければならないという現実を教えてくれました。逆を言えば「弱いとどうなるか?」を分かりやすい知らしめるものでした。
悲劇の結末を迎えた複数の経営者を目撃し、私は否応なしに「経営の厳しさ」、いや「残酷さ」を思い知らされました。
あまり言いたくはないのですが、心の内に手を合わせて申し上げますと、自死、夜逃げ、そして倒産といった悲劇の結末は、結局のところ「弱い経営者の末路」と言っても過言ではない。
極論すれば、この世の経営者には2種類の存在しかないのです。
強い経営者か、弱い経営者かだ。
強ければ、企業は存続し発展できる。
弱ければ、企業は衰退し消滅する。
そして、
・賢い経営者も愚かな経営者もない
・上手な経営者も下手な経営者もない
・善い経営者も悪い経営者もない
・正しい経営者も誤った経営者もない
・まして、上品な経営者も下品な経営者もない
頭のよい経営者でも、経営の上手い経営者でも、善良な経営者でも、正義感のある経営者でも、品行方正な経営者でも、会社は容易に潰れるのです。
潰れないのは、強い経営者のみなのです。
あなたは今、こういう状況に陥ってませんか?
「最近、会社の悩みで精神的に追い込まれている。どうしたらよいか?」
「徐々に、業績が下がってきているが、経営者としての自分の判断に自信が持てない」
「以前より増して経営が辛くなってきた。こんなに辛いとわかっていたら経営者になんかなるんじゃなかった」
「社員の定着が悪くて悩んでいる。待遇は改善してるが離職率は改善できていない。経営者として雇用の在り方、人材に対する価値観の持ち方をどうすればよいのかを知りたい」
これは由々しき問題です。
なぜならばこれらの問題を放置すると、自死、夜逃げ、倒産といった未来すらあなたを待ち受けているかもしれないからです。
この有料noteでは、実際に私が体験した
・先輩経営者の自死
・知り合い経営者の夜逃げ
・取引先の倒産
これらの非常に衝撃的な実例をまじえながら、どうすればこの絶望的な未来を防げるのかを語っていこうと思います。
「自死、夜逃げ、倒産なんて自分には関係がない」と思われるかもしれません。
しかし実際、帝国データバンクの2023年の統計によれば
企業の倒産件数は8,881件
です。この内、中小企業の倒産は95%を超えます。経営者の夜逃げの統計はないのですが、倒産手続きは精神的にも金銭的にも難易度が高いことを考えますと結構な数に上るでしょう。
なお、2024年以降の倒産件数は、現在ゾンビ企業が急増していることからさらに多くなると予測できます。
また、2023年の厚労省統計によると、
自殺者数は21,837人、うち70%が男性で会社員と自営業
となっています。警察庁統計の自殺原因を見ますと事業不振と倒産が理由で自殺をした件数が586件、負債によっては1,614件です。合わせると2,200件、全体の10%です。恐らく、社長の肩書を持つ人が大半でしょう。
なお、経営者の自殺は社員の自殺よりも6.9倍も高いという統計もある。
倒産、夜逃げ、自死をなんとしても避けるためには、たった一つの課題を乗り越えねばならない。
それは、経営者は強くあらねばならないということです。
シンプルな課題ですが、これこそ経営者の真髄、経営者の精神的支柱となるもの。
この有料noteでは「経営者にとっての強さとは何か」「強さを身に着けるために何をしなければならないのか」を解説していきます。
この有料noteを読むと
「経営者としての自分の課題は何か?」
「本来、持っていなければいけない経営者の資質や能力は何か?」
がわかります。これらの重要なことがわかれば、
「自分なりに経営の勉強はしてきたつもりだったが、重要な局面だと確信を持って決断ができない」
「経営の重大な局面に差し掛かると、どうしてもマイナス思考に走ってしまう。悲観的なマインドをどう変えていけばよいのか?いつもそのことを気にしている」
「先代の社長の会社を継いだのだが、経営判断は親の判断に影響を受けている。自分自身の判断軸がまだ持てていない。そこに不安を感じている」
といった悩みがすべて解決します。
これらの悩みが解決すれば、
・経営者にとって一番必要なもの強さを体得できる。
・地に足のついた経営軌道を歩み出すことができる。
・組織の崩壊や事業の衰退、最悪、倒産という悲劇を招くことのない堅実な経営が実践できる
・強靭な経営マインド(タフネス)を持てる
・迷いのない経営決断、彷徨うことのない経営行動が取れるようになる
・正しい方向で会社をリードしていくことができます。
・企業にとって最も重要な「継続発展を続ける企業体質」をつくれる
・強さをもった経営者として力強い経営手腕を発揮できる
・企業命題であるゴーイングコンサーンを実現することができる
といった未来があなたを待っています。
※ゴーイングコンサーン(going concern)とは、会社が将来にわたって事業継続していくとの前提のこと。もしくは、企業が未来永劫に続くという前提を意味する。
この未来を実現するためには、私がこれから徹底的に解説する「経営者の強さ」を持たなければなりません。この解説なしに、強い経営者としてあり続けることは不可能です。
ここで簡単に自己紹介をします。
私は大学卒業後、地方都市に本社がある開発メーカーに入社しました。数年、働いた後に経営者を対象とした雑誌社に転職。
その後、20代で独立しました。シンクタンク&コンサルティングの会社、マーケティング&ITの会社、さらに、人材ビジネス等の会社、3社(株式会社)を設立しました。その際、3社合計で出資金(資本金)を約1億円ほど集めました。既に、数年前になりますが、全株を適正な株価評価で買い取っています。
現役経営者として既に3社とも35年が経過しています。
近年の業績を言えば、3社でざっくり年商10億円、利益は6000万円ほどです。社員数は約200人です。
株式会社3社の設立のほか、社団法人3団体、協同組合1団体、NPO法人1団体を起ち上げ、地域の街づくり、人づくり、文化伝承などの貢献事業も展開してきました。すべて代表に就任しておりましたが、今は大半を後継者にバトンタッチしています。
また、国立大学で客員教授を約20年間、今でも現役で務めています。
学生からも多くのことを学んでいます。
同時に、道楽(楽しみながら真剣に)ながら居酒屋も15年経営しています。本業の3社と業種が全く異なり、一般消費者を対象としてBtoCの楽しさを満喫しています。
現在、本業の3社を経営しながら、経営者の指導及び若手起業家の育成、脱サラ・定年後の起業支援(行政機関で専任アドバイザーも歴任)、そして、若手後継者の育成(2代目、3代目経営者の経営塾を主宰)なども手掛けています。
このような経営者としての重厚な経験を持っていることから、自死・夜逃げ・倒産といった悲劇からあなたを救うことができると自負しております。
繰り返しになりますが、「自死、夜逃げ、倒産」は決して他人事ではありません。
こんな悲しい未来を絶対に避けるためにも、経営者として強くあらねばならない。
そのために、私の35年の経営人生から得た教訓をすべてこのnoteで書き記しました。
本当に、間違っても、絶対に、こんな悲しい未来だけは、なってほしくない!
このnoteはこんな方のために書きました。
「最近、会社の悩みで精神的に追い込まれている。どうしたらよいか?」
「徐々に、業績が下がってきているが、経営者としての自分の判断に自信が持てない」
「以前より増して経営が辛くなってきた。こんなに辛いとわかっていたら経営者になんかなるんじゃなかった」
「社員の定着が悪くて悩んでいる。待遇は改善してるが離職率は改善できていない。経営者として雇用の在り方、人材に対する価値観の持ち方をどう捉えていけばよいのかを知りたい」
このような悩みを持っている方は、ぜひこの先をお読みください。
では、本題に入ります。
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