陰謀で満ちたこの世界は、たぶん陰謀論ほど単純ではない、それより自分の軸を立てましょうという話
本記事は2021年1月19日に大西つねきのFacebookページで投稿した記事の再掲です。 https://www.facebook.com/tsune0024/posts/3941234279298273
私はいわゆる陰謀論は信じない。だが、陰謀がないと言っているわけではない。むしろこの世は陰謀に満ちている。一般企業から各国政府に至るまで、あらゆる謀は密室で決められ実行されるし、都合の悪いことを隠蔽するために平気で嘘をつく。ちょっと調べればこれらは歴史的事実としていくらでも出てきて、陰謀「論」ではない。普通の陰謀である。
陰謀論という言葉は、そうした都合の悪い真実から目をそらすためのレッテル貼りだが、それを効果的にしているのが、憶測や不確かな情報を元に単純化した世界観を展開する、いわゆる陰謀論だ。私が信じないのはそちらの方で、なぜなら、それが我々を真実から遠ざけるからだ。
当たり前の話だと思うが、この世は善と悪の二つに分かれるはずがない。どうしようもなく悪意(または善意)に満ちた人間だとしても、それが100%であるとはなかなか考えにくい。まして組織や団体に関しても、色々な人間が関わっている中で、善と悪とに分かれたチーム戦は多分ファンタジーでしかない。この世はそんな単純なものではなく、恐らく無数の個人や組織が、自らの利益のために行動した結果が今ある現実だと私は捉えている。その中にはもちろん私もあなたも含まれていて、世界は誰か力の強い人だけが作っているわけではない。
ただ、もちろん今のこの世には、とても大きな権力を持つ人がいることも確かだ。しかし、その権力はその人自身が持っているわけではなく、その立場が持たせているに過ぎない。我々が上司や上官や株主の言うことを聞くから支配権を渡すのであって、我々が言うことを聞くのをやめれば、その権力基盤は一気に崩壊する。権力もお金も、所詮虚構でしかないからだ。その虚構に気づきさえすれば、我々は自分たちの力を取り戻せる。
とは言え、これは簡単な作業ではない。それはある日突然、その権力の座に善なる人物が就き、その権力を民衆に返せばめでたしめでたし、というおとぎ話ではないからだ。問題は権力やその座に就く人物ではない。それを渡す我々自身だ。私たち一人一人がその構図に気づき、自らの判断で行動できるようにならないと、この支配と依存の関係は延々と続く。なぜなら、我々が同じように誰かの言うことを聞き続ければ、この世には無数の権力が発生し続けるからだ。上司、上官、親、常識、慣習、その他誰でも何でもいい。権威や権力は認めるものが作り出す。認める我々がいる限り、たった一人や数人の権力者が変わっただけでは大きく変わらない。大衆がそれを求める限り、別の権力者が生まれるだけだ。
もし今後、本物の政治リーダーが現れるとするならば、彼(彼女)は必ず一人一人の覚醒を促すだろう。もしかしたら政治リーダーではなく、精神的リーダーかもしれない。いずれにしても、問題は全て我々一人一人の内から発生していて、その解決も一人一人の中からしか生まれないという本質を多くの人に伝える役回りだ。だって権力者が、とか、支配層が、とか言っている間は何も変わらない。仮に本当に支配者がいるとすれば、そう言って右往左往する大衆が一番チョロい。見かけ良さそうな人物を祭り上げてパペットにすれば簡単に扇動できるし、逆に潰して絶望させることもできる。さらには絶望した民衆に、賛否が分かれる怪しい救世主物語を与え、陰謀論のレッテルを貼り付ければ、大衆を分断させると同時に、その中に存在したかもしれない真実を覆い隠すこともできるかもしれない。真実とは例えば、某家が世界を支配していないかもしれないが、銀行財閥が政府に金を貸し、戦争で大儲けしてきたのは歴史的事実だし、今も世界中の銀行が無からお金を作っていることも明白な事実だ。もしこうした事実に基づき何らかの解決を図ろうとする者が、同じ口で陰謀論を語っていたらどうだろう?それでは説得力を持たないし、正に思うつぼではないか。
私は今こそ、個別の本当のことにフォーカスした方がいいと考えている。不確かな情報に一々反応しなくていいし、拡散しなくてもいい。知らないことは知らない、わからないことはわからないでいいのだ。そんなことより、自分が確実に知っていること、例えば自分の体験を通して知ったことを発信し、それに基づいて行動する方が遥かに有用だと思う。もちろんそれはその人だけの真実かもしれないが、それがその人しかできない役割であり、みんなが自分の真実を共有して、いかにこの世が複雑かをみんなが理解して初めて進むべき方向性が見えてくるのではなかろうか。
だが、残念ながら今は、その遥か手前のように思える。とても複雑な世の中を善悪や正誤で単純化し、多くの人が正しさや方向性を求めて他人を批評し、争っているように見える。全部自分の外のことだ。大事なのは中ではないだろうか。今、色々なことが世界で物凄く動いていて、不安になる気持ちはとてもよくわかる。でもだからこそ、自分に集中した方がいい。自分の外で起きていることは、今はコントロールできないことが多い。特に他のたくさんの人も不安な気持ちになっている中で、考えの違う人たちを変えようとしても不毛な戦いにしかならない。そんな中、皆が矢を外に放てば放つほど、傷が増えるだけではないか。逆にもし皆が自分に集中し、自分の生き方、あり方を本当に大事にすれば、仮にそれが違ったとしても、他の人たちの生き方、あり方も大事にできるかもしれない。そうすればお互いが自由のまま共存できる。今本当に求められているのは、そういうフェアな自由ではなかろうか。
私は、これから本当に大きな変化が起きると確信している。それこそ、「お金という人類最大の虚構から脱却する」ぐらいの変化だから、それと共に資本主義、企業や国家などの組織、権力や法律などの決め事、その他あらゆる常識や慣習も、それらが人の頭の中にしかない虚構であるが故に、一旦人々の意識の書き換えが始まれば一気に崩壊すると思っている。そうなればもはや自分の外に価値観の拠り所はない。一切の当たり前が瓦解するのだから。外につかまるところがなければ、自分の足で立たなければならない。ここでもやはり、自分の生き方、あり方が重要なのだ。逆にその軸さえしっかりすれば、これからはとても良い時代だ。自由の風がビュービュー吹いて、周りがどうとか、今までがどうとか、決まりが常識がという虚構の縛りを全部吹き飛ばしてくれる。あとはそのマスト(軸)に帆を張れば、風を受けてどこまででも大海原を進んで行ける。
もう一つ付け加えると、もうすでにおわかりの通り、私たちにはこれから「自由と命」という大きなテーマが与えられる。ここでもそれぞれの生き方、あり方が問われる。これは正解を求める問いではない。正解などそもそもないし、他の誰も答えを出してはくれない。もし政府が出してくれると思ったら大間違いだ。政府は我々の代表だ。我々が答えを出さずに、どうして政府が出せるのか?まず我々一人一人が「自分の」答えを出す。敢えて「自分の」と言ったのは、あまりに周りを気にする人が多いので、そういった外部要因を一切排して、純粋な自分の気持ちで良いという意味だ。私は全てはそこからだと考えている。それがどんなものでも、人といくら違ってもいいし、そういう無数の人たちの「本当の」気持ちの延長線上に政治はあると思っている。だから、まず一人一人が、様々な常識や思い込みから自由になって、純粋に自分の内面に向き合ったらいいと思うし、そうしたら人の気持ちも大事にできるのではないかと思う。その方が、時間はかかるかもしれないが、誰かが権力を握れば自分たちが救われると期待して何もしないよりは早いと思うし、権力という虚構も吹っ飛ぶと考えれば、気にするだけ時間がもったいない。
結局何が言いたいかというと、世界の心配はいいけど、もちろん私も気にはなるけど、わからないこと、どうしようもないことは置いといて、自分に集中しましょ、多分その方が早いよ、ということだ。
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