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「おたから」はすぐそこに

4歳の息子と散歩に行くと
決まって
「ママ、待って!先に行かないで!!」
と言われる。

元々私の歩くスピードが早いのもあるけど、
息子は常に道端に落ちている
「おたから」
を探して歩いているので
とにかく先へ進むのに時間がかかるのだ。

彼の言う「おたから」とは
ガラスの破片とか
透明なプラスチック片とか
一見すると宝石のようにみえるらしいものがほとんど。

今日のおたから

とは言え
決してキレイなものではないので
家に持って帰る
と言われるのは
ちょっと抵抗を感じるが
それでも息子にとっては
見つけただけで小躍りして喜ぶほど
大切なもの。

そういえば昔
私が小学生の頃には
折り紙の金銀とか
カラーセロハンとか
持っているだけでテンションが上がる
大事な「おたから」だった。

それが大人になると
希少性とか
他人が欲しがるかどうか
という価値基準に染まり
「おたから」は
「お宝」
になってしまっていた。

(多分いま思うに、カードダスが流行りだした頃、仲間内でノーマルカードに対してキラカードの方が価値がある!みたいになったあたりからだと思われる…笑)

本来は
それを持っているだけ
身近にあるだけで
自分が幸せになれる。
そこには希少性も他人の価値基準も
全く関係しないのが「おたから」

何が自分にとってのそれなのか
その時々で変化することもあるだろう。
というか変化するから
「おたから」
なんだろう。

今私にガラスの破片を見せてくれている
息子の嬉しそうな表情も
真っ黒な手のひらも
土が入りこんだ爪の先も
全てが大切な私の「おたから」

これが何年もすれば
またきっと別のなにかがおたからになる。

そしてもうひとつ。 

おたからは探さなければ決して見つからない。
なんとなく道を歩いているだけではダメで
息子のように
それが落ちてはいないかと
一生懸命見つけようとすることが必要なのだ。
でも探せば必ず見つかる。
それが「おたから」

そんな風に考えるだけで
何気なく生活している日々の景色が
息子の拾ってきたガラス片のように
少しだけキラキラし始めるかもしれない。










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Mariko
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