影響されやすい人 -妻、海外旅行離脱の危機- #048
「…つなまよ。わたし、前世はイタリア人だったことに気づいたよ」
突然妻が言った。その時われわれは、ナポリでピザを食べていた。それは着いたばかりの夜、イタリアでの最初の食事だった。
窯から出てきたばかりのマルゲリータとマリナーラは、正円というよりは少し楕円形で、皿からのみならずテーブルからもはみ出す勢いであった。
もちろんカットされてもいないし、あのコロコロと銀の円盤のようなものを転がして切るカッターは、どうやらないらしい。
どこから切って食べればいいか迷うくらいだった。できるだけ温かいうちに、美味しいうちに早く食べたい、と焦るもうまく食べられない。大きくカットしすぎてしまった熱すぎるピザを口いっぱいに詰め込んでしまい、少し涙目になっている私に妻は言う。
「食べ方、わかった」
得意げに宣言し、ナイフで中心から細めの三角形にカットした後、耳のあたりと中央を切り離して、ナイフとフォークでクロワッサンのようにピザを巻き、妻は頷きつつ食べている。
「私、イタリア人だったから」
なんだか意味がわからないが、妻は嬉しそうだ。そのカットの仕方が食べやすい理由が私には最後までわからなったのは、きっと私の前世がイタリア人ではないからなのだろう。
そういえば、スペインのマドリードで妻は急にこう言い出した。
「ごめん、つなまよ。私…ここに残る」
「えっ!?」
「フラメンコ」
「?」
「私、フラメンコダンサーになる。スペインに残って修行する!」
その日私たちは初めて、スペインで本場のフラメンコを体験した。それは私たちが想像していたフラメンコとはまったく違うものだった。
真剣な表情、しなやかでダイナミックな動き。歌、演奏と踊りが重なり、情熱的な血潮がほとばしる。あまりの迫力に、私たちは息をするのも忘れた。
私たち夫婦は二人ともあるオーケストラに所属していて、私は学生のころからクラシックギターを弾いている。スペインといえばフラメンコだ。あるギタリストの友人は、スペインのセビリアで聴いたフラメンコギターに感動したあまり、何度か通い弟子入りし、スペイン語がまったく話せなかったのに数週間泊まり込みでギターを教わったという。
妻は当初それほど期待していなかったようだったが、そのパフォーマンスに衝撃を受けたようだった。そしてホテルに戻ると、急にフラメンコダンサーになると言い出したのだった。
「スペインに残って修行するから、この先一緒に行けない…ごめんね!」
あっけにとられている私を気にせず、妻は「オレ!」と右手を勢いよく挙げている。
2か月に渡る私たちのヨーロッパと北欧の旅は、スペインのマドリードから始まったのだが、はやくも最初の町で妻の離脱の危機を迎えたのだった。
(追記)
もちろん、スペインで妻がフラメンコの修行をすることなく旅は続いた。続いて訪れたポルトガルのリスボンで、妻はファド(ポルトガルの民族歌謡)に感動しており、その後フラメンコ修行の話は出ていない。
私たちはマンドリンオーケストラに所属しているので、マンドリンと似ているポルトガルギターの演奏は馴染みがあって、演奏や歌はとてもとても素晴らしかった(つなまよはクラシックギター、アコースティックギター、ウクレレを弾く)。
フラメンコは「Las Carboneras」、ファドは「O Faia」で鑑賞しました。現地に行かれる機会のある方はぜひ。
ナポリでピザを食べたお店はこちら(Pizzeria da Michele)。日本にも店舗があるみたいです(アンティーカ ピッツェリア ダ ミケーレ恵比寿)。
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2024年8月18日執筆、2024年8月21日投稿
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