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妄想講義 読書感想文①

 正月休みに、ちまちまと読み進めていた「妄想講義」をようやく読み終えた。どの話も考えさせられることが多かったので、個々の話について感想を書いていこうと思う。

もちろん、好みがあるので、省略する話もあるかもしれない。その点についてはあまり気にせずに読んでいただければ嬉しい。


地に足をつけて飛べ - 安達茉莉子

 妄想講義に寄稿している著者には、「妄想」について大きく分けると二つのタイプがあると思う。一つは、現実化することを考慮した妄想。もう一つは、非現実的な妄想だ。
安達さんは、後者のタイプの妄想に重きを置いていると感じた。

 安達さんが重視しているのは、「現実と切り離して思い描く妄想」が持つ力だ。この「非現実的な妄想」については、後述で詳しく掘り下げていきたいと思うが、要は現実を一度脇に置き、無邪気に可能性を広げることで、新たな視点や発想が生まれるという考え方だ。

 その証拠に、安達さんの話の中には、青写真という言葉が何回も出てくる。これは、安達さんが独自に使う表現で、「無邪気で純粋な妄想」を指しており、現実化の可否を気にせずに描く妄想の重要性を示している。

前半:現実的な妄想はゴミ?

 先ほど後回しにした「非現実的な妄想(青写真)」について、「現実的な妄想」との比較の形で、安達さんは次のように語っている。

そう、たとえ同じ内容になったとしても、この青写真を何度も描いていた。(中略)
大体「現実的な」内容にしてみたり(妄想の中でも!)、強欲と思われないように慎み深い内容を書いてしまう。こんなのはゴミだ。無意味というわけではなくて、普段現実やしがらみにまみれ切った思考のカスなのだ。

(妄想講義 p.17)

 多くの人が妄想をするとき、現実的な視点で夢や妄想を縛りがちだ。その傾向は、歳を取るにつれてますます強まっていくように思う。私自身、最近では「現実を考慮しない妄想」なんてほとんどしていない。

 例えば、将来の夢ランキングを見ると、小学生では「Youtuber」や「サッカー選手」といった自由で大胆な夢が上位に挙がっている。しかし、高校生になると「公務員」や「教員」といった安定を重視した職業が多くを占めるようになる。

この変化の背景には、大人の価値観や進路指導の影響があるだろう。社会は年齢を重ねるにつれて「現実的であること」を重視するよう求めてくる。
私たちが幼い頃にしていた妄想は、もっと自由だったはずだ。

 例えば幼い頃の私は、よくある話だが「教室にテロリストがやってきて、それを自分が制圧する」なんて突拍子もない妄想をしていた。
現実的に考えれば、そんなことが起きる可能性はほぼゼロだと子ども心にみ分かっている。それでも、どうやったらテロリストを倒せるか真剣に妄想する、過程そのものが楽しかったのだ。

このような突拍子もない非現実的な妄想が、幼い私たちを自由な発想へと導いていたのかもしれない。

後半:妄想が広げる自分の可能性

 後半では、安達さんは「かつて妄想の中でさえ描けなかった未来が、現実のものになった経験」を語っていた。この体験を通じて、彼女は現実的に想像できない未来を願うことや大胆に妄想することを自分に許せるようになっていったそうだ。

 妄想をすることで、普段考えもしない可能性が自分の中に生まれ、「こんな未来もあるかもしれない」と思い描けることで、無意識のうちにその方向に向かって進み始める。

 これは、冒頭の「現実にならなくてもいい」という話と一見矛盾するようにも感じるが、これを私は妄想には「純粋な楽しみ」と「現実化への原動力」の両方を持つ二面性があるのかもしれないと考えた。
この二面性が、ただの非現実的な妄想が、結果的に自分の可能性を広げる力となるのかもしれない。

 しかし先に書いた通り、私たちは妄想の中でさえ自分を制限してしまう。安達さんも過去には自分の中にそのような感情があったことに気づき、愕然としたと書いていた。

そんなのは資本主義的で上昇主義的で欲望にまみれていて、要は汚いことなんじゃないかと、何より人にそう思われてしまうんじゃないかと無意識気で思っていた自分に気づいた。そして、そんな自分に愕然とした。なんだ、汚いって。

(同 p.26)

疑問:どのようにすれば、非現実的な妄想ができるのか?

 その答えを、この記事だけで考えるのは勿体無いように感じる。
ここまで来てなんだよ、と思われるかもしれないが、せっかく妄想講義には24人もの著者がいて、それぞれが妄想について語っているのだから、それぞれの話を深掘りして考えていく中で、私なりの答えを見つけたい。

感想まとめ

 こうして安達さんの話を深掘りして考えてみると、妄想を制限することは、自分の可能性を狭めるだけでなく、自由な発想を封じ込めることにも繋がっているのではないかと気づく。

 妄想は、自分自身、ひいては世界の可能性を広げるための大切なツールであり、それを制限することは、自分や世界を狭い枠の中に閉じ込めることと同義なのかもしれない。だからこそ、もっと自由に妄想を楽しみ、未知の可能性に思いを馳せることが大切だと感じた。

終わりに

 悲しいことにあまり読者がいないのか、他の人の感想を読みたいのになかなか見つけられないので、私の拙い感想を読んで少しでも気になった方はぜひ購入して感想を書いてみてください。コメントで教えていただければ、読みに行きます。

 妄想講義はAmazon等で購入可能です(アフィリエイトじゃありません)。

 また、本の形だけではなく、単話で読むことも可能なようです。

 最後に、私が読んでいて印象に残ったフレーズを紹介して終わりたいと思います。

現実と妄想の区別がついているのは、大事なことだとは思う。だけど、現状にとらわれすぎて、現実が変わらないと嘆くのも、それはそれで妄想的だ。

(同 p.21)


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