
そしていつか全ては優しさの中へ消えてゆくんだね
年度がかわって、ひさしぶりに職場を移った。
仕事したての頃は毎年どころか年に複数回の転勤もあったし、転居も含めて本当にあわただしかったけど、研修が終わってからはずっと同じ職場でお世話になっていたので、約20年ぶりの転勤ということになる。毎年送る側に慣れていたのが、久しぶりに送られる側になった。
ずいぶん先だと思っていた3月末が近づくにつれ、長年ずっと続いてきたルーティンワークの「今日で最後」がどんどん増えていくし、勤務の関係で最後になる同僚たちとの挨拶も続き、急にさみしくなってしまい、しばらく前からだけど眠れない日々が続いた。転職を決め、終わりを意識した瞬間、今まで何とかこなしていた業務がつらく感じるようになった部分もあり、「あと何回で終わりだ」とカウントダウンしていたくせに、あと1週間とかになると急に「まだもう少し続いてほしい」と感じるという、自分の身勝手さに呆れるけど、まあそれも人間らしくてよいのかもしれない。
そして、ついに退職の日。その日の前日の夜、コロナ禍になる前までずっと職場の人たちとやっていたバレーボールに3年ぶりに参加したところ、運動不足が祟ってふくらはぎの肉離れをおこしてしまい、最終日なのに足を引きずりながらの出勤になってしまった。各部署にお菓子を持って挨拶回りをするのに、まず足のことをつっこまれるという締まらなさ具合。でも、この職場は常勤で18年、非常勤も含めると22年もお世話になったので、20年前から同僚だった方々もいて、最後にいろんな話ができてよかった。
さらに、他部署の方々からも、部署全体で、または個人的に、贈り物をいただいたりお手紙をいただいたり、いっしょに写真を撮ってくれたりと、たくさんのご厚意をいただいた。本当にいい人たちばかりだったな。辞めることに後悔はないけど、いつも顔を合わせてきた大好きな人たちと別れるのはやはりさみしいしつらい。退職について、面と向かって「承服できません!」と言ってくれたり、「あまり口にしないようにしていたけどとてもさみしいし涙が出てくるし、本音を言えばついていきたい」ってLINEをくれたり、社交辞令じゃなく本心で言ってくれているのが伝わってきて、本当にうれしかったです。自分もみなさんのことが大好きでした。
自分の所属部署からも大きなお花をいただいたし、こんなときに足を怪我している間抜けな自分のために、院長を含め、みんなで車まで荷物を運んでくれ、最後の退勤を見送ってくれた。本当に同僚に恵まれたし、あまり友だちがいない自分にとっては、部署のみんなが仲間であり友人であったように思っていた。退職してもつながりが切れるわけではないし、仕事をしていれば会う機会もあるはずなんだけど、それでも、毎日顔を合わせて、くだらない話をして笑っていた仲間と会えなくなるのは言いようのないさみしさがある。そして、その雰囲気を作ってくれていたのはまちがいなく院長の人徳だったし、院長がいたからこそ、こんなに長く勤められたのだと思う。先生の下で働くことができて本当に幸せでした。最後にご迷惑をおかけしてすみません。
勤務最後の日の帰り道、たくさんの花とお菓子に囲まれた車中は、「今日でぜんぶ終わったんだな」という、さみしさと安堵感とか半々に混じったような複雑な気持ちだったけど、土日を挟んで4月1日からさっそく新年度が始まると、自分でもあきれるくらいに気持ちはガラッと切り替わった。退職までは、毎晩、次の日にやらなければならないことがとても多くて、明日やらなきゃいけないことを考えているうちに眠れなくなる日々で、ずっと睡眠不足が続いていたんだけど、退職したらその「次の日」がなくなり、考えなければいけないこともなくなったので、自分でもびっくりするくらいよく眠れるようになった。「前の職場がストレスだった」とひとことでは言いたくないんだけど、やはり、意識していない部分でも、いろんなプレッシャーがかかっていたのだろう。逆に言えば、これだけ良い人たちに囲まれていて、やりがいのある仕事であっても、単純に業務負荷がストレスになることがある、ということだ。
歳をとればとるほど、変化というものに弱くなり、現状を維持したいと思ってしまうのだけれど、そもそも、自分も周りも少しずつ歳をとっていくわけで、変わらないものなどない。環境が全く変わらなかったとしても、自分は少しずつ衰えていくのだ。昔は20%の力でできていたものが、今は25%の力が必要になったとか、昔は徹夜しても一晩寝れば体力が全快していたものが今は回復に3日くらい必要になるとか。
それに気づかなかったり、気づいたとしても気づかないふりをしたり、抗ってさらに健康に気を付けたりしながら、そのまま現状を維持していく、それももちろん適切な対処だ。でも、それが唯一の正解というわけでもない。変化を受け入れて、今の自分に合った場所を見つけていく、それもまた正解と言ってよいと思う。
大雑把に言って、若い頃は自分を広げる時期で、決めつけないでいろいろやってみたほうがいいし、つらいことも含めて経験することが成長の糧になる。そして、ある程度の年齢になると、自分のことがわかってきて、好きなことややりたいこと、向き不向きなどがだいたいわかるようになるから、若い頃に広げた風呂敷のなかから、これからの自分に必要なものを選んで、ほかを削ぎ落としていく時期に入ってくるのだと思う。もちろん、歳をとったって新しいことを始めてみてもよいし、何歳になっても人間は成長できる。自分が言いたいのは割合の問題。広げるよりも削ぎ落していく方が必要な時期に、もうとっくに自分は入っているということ。
そして、仕事と自分の時間のバランスもそう。極論を言えば、仕事はあくまでお金をかせぐための手段であり、自分の時間の方が大切なことは間違いないんだけど、一方で、仕事で得られる様々な経験が成長につながることも事実だから、特に若い頃は、お給料が高い仕事がよい仕事、とは限らない。その時の自分が考えるキャリアプランに必要なら、割に合わない仕事をしていたって全然いい。ただ、これも、歳をとるにつれ、仕事に関しての先が見えてくるから、純粋な効率で職場を選んでもよいと思う。自分は完全にこれで、経験や成長、やりがいみたいな意味では前の職場の方がはるかに上だけど、業務負荷という点でははるかに効率の良い今の職場に移ることにした。これは10年前くらいから考えていた自分のキャリアプランで、よいタイミングに、よい職場にうつることができて、自分はとても幸運だった。
ちょうどそんなタイミングで、買っていたのに読むのを忘れていた、「推しが武道館にいってくれたら死ぬ」の10巻を読んだ。詳細は書かないけど推しの卒業がテーマで、ただでさえヲタクには刺さりすぎる内容だったけど、推し視点とアイドル視点の両方から描写されていて、いっしょにするのは本当におこがましいけど自分の退職(それもまあ卒業みたいなものといえばそうかも)とも重ねてしまった。自分のせいで相手を悲しませたり動揺させてしまうのは心苦しいし申し訳ない気持ちになるんだけど、でも、その気持ちを伝えてくれることはうれしいし、自分がやってきたことを肯定してもらえているような気持ちになるんだよな、と実感として思った。卒業する彼女の、自他ともに認める一番のヲタクである彼が、ずっと隠してきた本音を口にしてしまって、それを彼女が「ずっと言ってほしかったんだよ」と涙するシーン。そして卒業の日、特典会の鍵閉めでのふたりの会話。アイドルヲタクにしか理解できない世界なのはわかっているけど、この世で最も美しい情景が描写されていた。「アイドルとは終わりを愛でる芸能である」とまでは、自分はまだ達観できない。でも、アイドルもヲタクも、やりきった先だからこそ、この美しい世界があるのだろう。比べるのは本当におこがましいけど、自分も18年間、それなりにがんばったかな、と思うし、だからこそ、引き留めたり悲しんだり怒ったりしてくれる人がいたのかもしれない。自分もはやく足を治して、推しに会いに行かなくちゃ。