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"障害をオープンに働ける"、就労継続支援A型事務所で職員として働いていた私が実態を綴る


 初めはこの「世界」すら知らなかった。

 むしろ「世界」という言葉で区切ってしまうのは、あまりよくないだろう。前職で私は就労継続支援A型事務所の職員として勤務していた。

 就労継続支援A型とは、病気や障がいなどにより一般就労が難しい人を対象に、就労機会の提供や訓練を実施するサービスです。

ジョブメドレーより引用

 A型事務所で勤務する、およそ10年前、私は新卒で入社した会社でうつ病とパニック障害を患った。それ以降、職を転々としたわけだが、常に私の人生には「精神障害」が付きまとうようになった。


 元々こんなに弱かっただろうか。

 社会に入ってから何度もふける。

 人の些細な、棘のある言葉で涙が溢れてしまうようになった。人を頼るというのが、こんなにも難しいことだと知った。自分の長所だと思っていた「真面目さ」は、いつしか重荷になっていて、人の「適当さ」を羨むようになった。

 どんな職場でも適応障害になり、その場を退いた。

 30歳になって自分が発達障害、強迫性障害であると診断される。社会に出さえしなければ、私は学生の頃から変わらず、ただ普通に生きてこられたはずだった。

「障害」が追加されていく。そんなイメージだった。その瞬間で"患った"のではなく、"最初からそうだった"気がして、いままでの自分を信じられなくなった。自己整理、自己理解のために良いこともあるのかもしれないが、足枷のようにつづいていく。患ったとしても、私に障害者手帳が渡されることはなかった。曖昧な海を渡り続ける——


「自分の経験を活かしたいんです」

 気づけば私は"何の経験もない"のに、A型事務所の職員採用面接を受けていた。今までやってきた仕事は、営業や事務、基礎的なアルバイトくらいだった。福祉の仕事については、何の経験もなかったのだ。

 では私の「経験」とは、一体なんだったのか。

 面接時、私は快活な表情を見せながら伝えていただろう。面接官も、うんうんと頷きながら、やさしく、柔らかい表情を見せてくれている。ただ私はひとつ、虚勢を張った。



「パニック発作はもう寛解しました」

 伝えなければ採ってもらえない気がして——ただそんなの、私の勝手な被害妄想だったのかもしれない。正直に「まだ不安です」と言っても良かったのかもしれない。あるいはそもそも、見抜かれていたかもしれない。

 ただ私は、"職員"になるから。なりたいと思ったから。いままで散々、弱いと言われて、障害者だと言われて、ただそれでも役に立てることがあるとすれば、誰かをやさしく支え、痛みを聴いて、視て、理解わかってあげることだと思ったから。

 そう——支えるためには、強くなくてはならない。

 みんなを、サポートする立場になるから。「この人はもしかしたら泣いているかもしれない」と想像する心の手間を、相手にかけさせてはならない。私は"強くなる"と未来の自分に賭けていたのか、それとも、痛みを感じる瞬間を、先延ばしにしていただけだったのか。


 面接後、家でじっと、連絡を待っていた。こういう、ひとつの出来事に縛られ、身動きが取れなくなるところも、私の弱いところかもしれないと考えながら——

 スマホが鳴る。すぐに電話に出た。


「ぜひ、うちで一緒に働きませんか」

 二つ返事をした。これだけで、涙がアフれてしまいそうだった。

 私はそこで、いままでの職場と同じく、クローズ就労を選択した。クローズ就労とは、周囲へ自身の障害について公開しない働き方のことだ。そして私は、障害をオープンにして働いている人たちのサポートをしていくことになる。

 面接時、自分をきらきらとさせるのだけは得意だった。のちにいくら弱いところを見せてしまっても、そもそも入社できなければ生きていけなかった。そんな自分本位な私が、最初からうまくいくはずもなく、そして想像を絶する環境に飛び込むことになる。

 内部的なことや、前職の私のポジションについても記すため、この先は興味のある方だけ読んでいただければと思う。

この記事がおすすめな方
・自身の障害をオープンorクローズで働くかを考えている方
・A型事務所の職員として働くことを考えている方
・自身の精神的な課題に悩んでいる方
・これから先の自分の働き方、生き方を考えたい方
・繊細な自分に悩んでいる方
・詩旅 紡のエッセイが読みたい方

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