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消えかかった心が一瞬だけよみがえる
A子の「ぽつんと一軒家」風な古民家は
いつ来ても、絵になる、自然と一体化したステキな家だ。
自分の力だけで手に入れた、A子の感性だけでできている唯一無二の家。
書道家であるA子は
ふたつ並ぶ平屋建ての家の一つをアトリエに
もう一つを住居スペースにしていた。
里山に囲まれたその家の前には川が流れている。
季節は夏だったので、
かわせみが川面に飛び込んでいく姿までよく見えた。
緑も水もみんなすべてキラキラ輝いている。
「なんか食べたいものある?」
「ありがとう。でも食欲まったくない」
「そう、わかった」
A子はそう言って、いたずらっぽく微笑んだ。
「ちょっと鶏肉だけ買ってくるわ~」
と言って、A子は愛車の業務用軽ワゴンに乗って出かけて行った。
私と愛犬は縁側に腰をかけて
風に吹かれていた。
愛犬はあたりの草花を確認するかのように
クンクンと嗅ぎまわっていた。
ふと横を見ると、
無造作に大小様々な書道用の筆が縁側に置かれていた。
A子のかっこいい生きざまを物語っている気がした。
XXXXXXXXXXXXXX
「ただいま~」
A子が買い物から帰ってきた。
なんでも、鶏肉以外はすべて近所の方からの頂きものだそうだ。
あたりが暗くなり始めたころ、
A子は縁側の下から炭を取り出し、
火鉢に入れ始めた。
炭に火をつけると闇のなかに真っ赤な熱い炎がパチパチと音をたて、
踊り始めた。
なんだろう。
消えかかっていた、心にも小さな炎がよみがえった気がした。
A子は火鉢に網を置き、鶏肉や野菜、カマンベールチーズなどを焼き始めた。
心が崩壊してから味も匂いもわからなくなっていた自分に
嗅覚が戻ってきたような感覚を覚えた。
「これでも食欲ない?」
A子は自信ありげにほほ笑んだ。
「あ、食べたい」
「でしょ~⁈」
A子が取り分けてくれたごちそうを口に入れた。
味覚が戻ってきたような気がした。
「おいしい」
なんだろう、火の魔法ってすごい。
っていうか、自然の魔法なのか?
私をはじめ、現代人は炎を見る機会がぐっと減っているのではないか?
とくにウチはオール電化だ。
実家はガスコンロだったし、その昔は石油ストーブも使っていたので、
炎も身近だったし、
季節感や「冬の匂い」みたいなものを感じることができた。
火鉢の真っ赤になった炭や立ち上る煙を見ているうちに
原始にもどったような、ほっとしたような安心感があった。
大自然のなか、火で焼いた食べ物を、星空の下で食べる…。
ああ、なんて贅沢なんだろう。
結局、どんな最先端のものも自然には勝てないのだ。
私もこんな生活ができたらな。
前にA子にこんな言葉をかけたことがある。
「A子はさ、飼われてないよね」
バツ2で、シングルマザーで、大好きな書道一筋で子供を成人させて、
大好きなものだけに囲まれて、自然と一体化しながら生活しているA子。
自己責任の大変さもあるかもしれないが、
それよりきっと喜びのが大きいように私には見える。
それに比べると私は飼われている籠の中の鳥だ。
いつからこんな自分になってしまったんだろう。
若いころは自分の夢に忠実に自由に飛び回っていた。
子供が生まれてからは
全部自分のことは後回しだった。
自分より大切な子供という存在ができたからだ。
それがその時の自分の一番やりたかったことだから
それで悔いはない。
でも、A子は自分の好きなことと、子育ての両立に成功した。
私の20年間はいったい、なんだったんだろう。
多分、私は他力本願に生きていたんだろう。
結婚生活が嫌だったらもっと早く逃げることもできた。
子供のために経済力がないとダメだから、と子供のせいにしていたのかな。
子供が自立する日がくるなんて、考えてみたら、当たり前のことなのに、
その後の自分の生き方を何も考えていなかった。
そして、親が亡くなった後にの自分の生き方も。
そして、夫と別れた後のことも…。
そう、私への鬱のトリガーはいっぺんに引かれたのだった。