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孫の手【掌編】(859字)
彼は背中をかくだけの存在である。
彼は人々の背中をかく為だけに存在している。
かかなければ彼の存在価値はない。
とはいえ彼がかいたところで人々の役に立っているのか。
確かにかいた時は一瞬の快楽を与えられるだろう。
だが、それは長続きしない。
次の瞬間には忘れ去られている。
彼がかかなくても世の中には無数の孫の手がある。
彼がかく必要はあるのか。
彼でないといけない必要はあるのか。
新品の彼の爪は鋭かった。
かけば新たな刺激を人々に与えることができた。
しかし、今の彼の爪は丸くなってしまった。
かいてもかいても、これっぽっちも刺激しない。
彼は背中をかくだけの存在ではあるが別の使い道もないことはない。
ある孫の手は子供の玩具としてチャンバラごっこに使われている。
ある孫の手は遠くのものを手元に持って来る道具として使われている。
ある孫の手はゴミをかき集める為に使われている。
しかし、かくことしかしてこなかった彼はそれらの用途に最適とはいえない。
とはいえ、かくことをやめた孫の手がそれらの用途にも使えないとなると残された道はない。
存在するためには用途が必要なのだ。
それが嫌なら背中をかき続けるしかない。
***
僕は十徳ナイフだ。
ナイフもドライバーも栓抜きも爪切りだって付いている。
でも、栓抜きとドライバーは壊れてしまった。
爪切りは使われたことがない。
僕は十徳ナイフだが、今はただのサビついたナイフとして存在している。
僕には耳かきがついているがこれは孫の手として代用できるだろうか。
1回や2回はそれっぽくかくことができるかもしれない。
だが、かくことに特化していない僕は孫の手のように人々が満足するようにかくことはできないだろう。
無理にかこうとすると壊れてしまうかもしれない。
でも、僕は十徳ナイフなのだから別にかかなくても存在していける。
***
僕は孫の手がうらやましい。
かくことしかできない存在。
かかなければ存在している価値はない。
だからこそ必死でかこうとする。
一度、子供のおもちゃになったとしても結局はかく為に戻ってくるだろう。
彼はかくことしか能がないんだから。
*****
2021年2月に書いたものです。
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