ニシキヤキッチン「カレーの記憶」一首評
大好きな岡本真帆さんが、カレーのCMで短歌を詠まれている。(まだみてないよ!って方は、下記リンクからどうぞ!🍛)
美麗な映像とまほぴさんの短歌を楽しめて最高でした……。冒頭に引用した電子レンジの短歌が特に好きなので、一首評、と呼べるかも分からない感想を書きました。
まほぴさんの短歌には、私が勝手に
「電化製品のぬくもりシリーズ」
と呼んでいるものがある。無機質なはずの機械が、主体に寄り添うような短歌だ。
具体的には、
などがこれにあたると(ほんまに、勝手ながら)思っている。
コピー機や冷蔵庫の短歌は、どちらかというと主体が積極的にそれらにぬくもりを見出している。「人間→機械」のまなざしが強く感じられる。
「〜くれる」という表現からも身近な電化製品への愛着が見え、まさに冷蔵庫の側面に触ったみたく、読み手の心もじんわりとあたたまる。(同時に、当たり前であるコピー機の点灯や冷蔵庫の稼働音にさえぬくもりを見出す主体は、疲労や孤独を抱えているのかもしれない。)
一方、今回のCMに寄せられた短歌では、「人間に戻りなさい」、つまり電子レンジによる命令が詠まれている。先程挙げた歌のような、人間が愛着を示すポーズとしての擬人化とは異なる。「機械→人間」のまなざしが、主体に気づきを与える瞬間が詠まれている。
もちろん、電子レンジが人間を見つめることは実際にはない。そこで注目したいのが「人間に戻りなさい」だ。根を詰めて働く、或いは勉強する様子を、我々はしばしば機械に例える。「社会の歯車」などとシニカルに形容することさえある。私は、主体が「がんばりすぎる」、つまり機械の側に近づく瞬間であるがゆえに、電子レンジの声に気づいたのではと読んだ。
『水上バス浅草行き』収録歌が「能動的な擬人化」だとすれば、今回は「受動的な擬人化」と言える気もする。思い詰めているときの緊張の糸は、こんなふうに、思いもしなかったところからの視線でほどけるのかもしれない。
私はこの短歌を読んで、料理の完成を待ちながら電子レンジを覗き込むときの高揚感を思い出した。深淵を覗くとき云々と言うが、カレーを待ちながら人間の顔に戻る「俺」を、電子レンジもまた満足気に覗いているのだろうか。
2022/01/23 ツマモヨコ