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わたし、◯◯だけど 【 #note書き初め 】 【 #読書記録 】

謹賀新年、 #note書き初め です。

積ん読を二冊、読みました。
俳人、 #神野紗希 (こうの・さき)さんのエッセイです。

今回取り上げるのは『もう泣かないー』の第5章、
「あたしおかあさんだけど」の項です。

子規は不治の病床で、あきらめるのみならず、俳句や短歌を詠み、庭の草花を描き、果物をむさぼった。
それは「病気の私」で塗りつぶされそうな人生を、私の手に取り戻す行為ではなかったか。
俳人の私、絵を描く私、食べる私・・・いくつもの私が「病気の私」の比率を下げ、相対化する。
病気でも人生を楽しむ私がいる。
(以下略)
(註:「子規」とは近代俳句の祖、正岡子規(まさおか・しき))

p.242、改行は巫覡による

昨年、とくに後半は「病気の私」が中心になった一年でしたが
私・月詠巫覡は実際はこの子規のように、
俳人の私もいれば、Linuxユーザーの私、Jazz聴きの私、会社員の私、など
さまざまな「私」がちゃんと並行して存在していました。

noteまとめやダッシュボードを見れば、
Linux関連の投稿が、なんと1000ビューを軽く超えていまして
こんな所にも需要があるものなのだと知りました。

掲載した画像のように年末にはandroidスマホの機種変更もしまして、
 #AQUOS_R9 ユーザーの私、も新たに加わりました。

まだまだ、人生は楽しめるのだということを、
この本を読んで思い出したのです。

私には「もう泣かない」とは詠めませんが、それでも
さまざまな私を特に意識して、「私」の切り替わりを相対化して、
楽しんで生きていきたいと思います。


生きてまた今年の冬の立ちにけり  巫覡

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