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自由にやっていると集団行動できないんじゃないですか?
かつて大学生にこのように聞かれたことがあった。
集団行動という言葉で表すときの中身はいろいろあると思うが、おそらく大学生が言いたかったのは、
「みんなが同じことをやらなければならないときに、いっしょにできないんじゃないですか。そうすると、周りとうまくやっていけず、その子にとっても全体にとっても不利益になるんじゃないですか?」
ということにしておこう。
ある大会で
ここではある大会での話を例にしてみる。
ツクルスクールのメンバーが習い事をしていて、その習い事の少し大きめの大会があった。
その開会式。偉い人がお話をしているときのことだったそうだ。
上記の「集団行動」の話とするならば、人が話しているときは、話す人以外はだまって姿勢よく聞く、ということになるだろうか。
確かにそれができなければ、その子にとっては大切な話を聞き逃してしまうかもしれないし、もしうるさかったとしたら、周りにとっても不利益をもたらしてしまう。
ツクルスクール生は、かなり緩いルールの中で生きている。緩い分自由だ。学校に通っている子どもたちから見れば、かなり自由に過ごしている。お昼ご飯をジャングルジムの上で食べたりw
そんな風に生活しているから、母親も「まぁ人の話をちゃんと聞かないこともあるかもしれないな。」と思っていたらしい。
偉い人が話し始めた。
会場はざわついたまま。後ろを向いている子どもたちもいたようだ。まぁ仕方ないよな~と思ってみていたところ、ピンと背筋を伸ばして、話す人の方をまっすぐみて聞いてる子どもがいる。
「え、うちの子だ・・・」
その姿勢は話が終わるまで続いていた。
結局そのお話はざわざわしたまま終わった様子。
なんでこうなるのか
おそらく散々学校で人の話を聞くときはどうしたらいいのか、ということは言われているはずだ。なのになぜこんな風になるのか。
学校で身につけたことは、あくまで学校内のことだけにとどまってしまっているのかもしれない。外に出たら、その力を使えない。形式から入るということも分かるが、本当に伝えたい中身が伝わっていないから、違った場面で使えない。
ツクルスクールでは一体なにを教えているのだろうと思った。
確かに形を教えるということはしていないが、目の前にいる相手を尊重するということは大切にしている。
それはツクルスクール全体の枠組みもそのようにしているし、普段の関わりの中でもそれが伝わるような生活をしている。
2014年当時は7名程度と少ない人数だったが、そこは大切にしていた。
集団とはいえ、一番小さい共同体はあなたと私。
「みんな」と言う前に、「あなたと私」を大切にすることからなのだと思った。
そこが核としてあるからこそ、それが波紋のように広がって、外にでたときに学んだことが影響できるのだと思った。
今はどうなのか
2021年1月。今はメンバーは日々30名を超え、それぞれが思い思いに自由に過ごしている。2014年に比べれば、一人一人に丁寧に関わることはできないし、自由過ぎるやろ!!と思うことも多々あるw
でもまずは「あなたと私」
この二者関係を大切にしている。
この延長線上に集団(社会)がつながっているから。
集団行動ができるできないは、分からない。
ただ、「あなたと私」という最小の共同体に対して、お互いを尊重し合う感覚を育んでおくことが、彼らが大人になっていろんな人のいる社会に入って幸せにやっていくために、私にできることなのだと思って日々メンバーと関わっている。
ママの学び場一尾塾 (思春期の子育てを中心に、子育てについてのあれこれなどを話しているYouTube動画です。)