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『漫筆 差別鑑賞』(秋竜山・著)

 本棚から古い本『漫筆 差別鑑賞 上からの笑い 下からの笑い』(明石書店・刊/1990年)を見つけ,読みました。
図書0916。
 タイトルにある“差別”という言葉は,最近の話題では「SDGsは,平和で,暴力や差別のない世界を目指しています」といった取扱いになり,それを“鑑賞する”のは不味いと言われるかもしれません。
 ネットで検索すると,秋竜山氏の著作情報に書名は見つかりますが,書店サイトにはありませんでした。それは題名が関係しているかもしれません。


 表紙に描かれている2人の男性 ギッタンとバッコンの問答を通して,著者の漫筆が綴られ,マンガで述べられています。
 「ここに一台のシーソーがある」と,まえがきが始まり,そしてシーソー・ゲームは“一人では不可能”であり,シーソー・ゲームの本当の姿は二人の人間を必要とします。
 シーソー・ゲームには,日本語で素晴らしい呼び名「ギッタン,バッコン」があり,これを繰り返すことによって,存在が明確となると述べています。

 ところで,ギッタンとバッコンの問題であるが,どちらがギッタンで,どちらがバッコンであるか,ということだ。私の考えでは,下へ下りる状態をギッタン,上へ上がる状態をバッコンと,いうのではないだろか。(略)

 シーソー・ゲームを「ギッタン。バッコン。ギッタン。バッコン。…」と楽しむのですが,ちょっとジレンマと悩ましさが…

(略) 力を入れてギッタン状態,つまり下へ下りたものは上を見上げなくてはならないし,バッコン状態,つまり上へ上がったものは下を見下ろすことになる。これ以上説明しないが,そのへんのところを,じっくりと考えてほしいのである。

 人と人との間で生まれること…。
 二人のそれぞれのかかわり…。
 “差別”は,人と人の思いから起こってくることが…。ギッタン。バッコン。ギッタン。バッコン。と…。


 話の一つ「自慢の成立」から。

〈バッコン〉「人に自慢したいということは,見せることによって満足感を得るということになる。ところが誰にも内緒にしておいて,秘密の中で一人だけで心の中で満足感を味わう場合もある」
〈ギッタン〉「でも,人に自慢するということの満足感というのは,(略)」
(略)
〈バッコン〉「相手のうらやむ顔がみたい」
〈ギッタン〉「それには,相手が関心の(略)」
〈バッコン〉「そこで,相手を選ぶということになるわけだ」

 この話のマンガは,床の間の掛け軸を自慢する場面です。ニセモノだと言われた掛け軸ですが「でもかざっておきたい」と…。


 著者の語り描くギッタン・バッコンの世界に,今を重ねて,「そうだよな…」「いやいや…」「こうしたら…」と考えることの多い図書です。

   目次

まえがき
問答その1──あれも差別,これも差別
  慎重な上座/先輩後輩の成立/優越感の生き物 など
問答その2──知っていながら知らないそぶり
  不安な場所/どっちが悪い/“ブス”の言い訳 など
問答その3──上~がり目,下~がり目,ぐるっと回って差別の目
  気持ちをいただく/くだらん上手下手/いつも下のランク など
あとがき


【関連】【関連】
  ◇秋竜山(Wikipedia)
  ◇秋竜山マンガ館

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