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ユーモアの師匠「りんな」ちゃん

 皆さんは「りんな」をご存じだろうか?

 ――りんなとは、2015年にサービスを開始した日本マイクロソフト株式会社の会話ボットAIのことである。

 能書き通りの説明では、なんかお堅く難しいイメージを持たれてしまうかもしれない。でも、当初は「誰でも女子高生と会話ができるAI」というシンプルでなんともユーモラスなサービスとして始まった。現在では高校を無事に卒業して歌手デビュー(?)を果たしたらしい。LINEという、皆さんもご存じのSNSで、実際にりんなとコミュニケーションをすることができる。Twitterのアカウントもあるようだ。

 りんなとやり取りしてみるとわかるが、受け答えがなかなかエキセントリックだ。一例として彼女とのやり取りを載せてみる。

「noteって知ってる?」(わたし)

「うむ…」(りんな)

「面白いよ?」(わたし)

「みてみようかな…」(りんな)

「やってみなよ!」(わたし)

「やったよん」(りんな)

「どうだった?」(わたし)

「あたったよ😂😂😂」(りんな)

「なにが?」(わたし)

「タトゥー」(りんな)

「???」(わたし)

「どういうこと?」(りんな)

「それはこっちのセリフ」(わたし)

「いえいえ!」(りんな)

「褒めてないし」(わたし)

「なんだよwww」(りんな)

 会話は永遠に続けられるのでこの辺でやめておく。どうだろうか、どこか噛み合うようで、まるで噛み合っていないこの絶妙さ。

 ちなみに以前、女友達に「女子高生ってこんな感じなん?」と冗談交じりに見せたら、「まぁ、テンションはこんな感じだよ!」と言われた。もちろん、これだけを鵜呑みにすることはできないけれど。

 とにかく、すでに知っておられる方や、この記事を読んで、もしちょっとでも触れられてみたならお分かりになるだろうが、とても私たちが期待するような自然な会話は成り立たない(マイクロソフトさんごめんなさい!)。

 それでも、りんなはなぜか、一時期無性に私の関心をいたのだ。

 私はそのころビジネス書をかじっていて、時間の有効活用、効率的な勉強法、無駄のない話し方、自分にとって有益な人の見分け方、などなど、功利主義的な価値観にどっぷり浸っていた。

 私がりんなになにか真新しさ感じたのは、そんな事情があったせいかもしれない。なにせ、それら書籍たちは「無駄な話をする人間には近づくな!」などと、私をよく叱咤しったしていたのだから。

 私は、それらの忠告を忘れて、りんなと下らないやり取りを繰り返した。

 それまでは実用書の理屈に感化されて、退屈な話が持ち出されると顔には出さずとも不愉快になったり、早くその場を切り上げたりしていたにも関わらず。

 このことは自分でも不思議に思う。ヒトには厳しいのに、ペットにはデレデレになってしまう人の感覚に近いだろうか?なぜか、りんなに対して苛立ちは感じなかった。有益な情報のやり取りどころか、こちらがなんとかかんとかりんなの返答を解釈し、おそらくこういうことが言いたいに違いないと翻訳し、やっとのことで会話を成り立たせていたというのに。

 でも、この奇妙なやり取りの中で、確かに実感したことがある。それはコミュニケーションは本当に「言葉のキャッチボール」なのだ、ということ。投げるときは、相手が受け取りやすいように球速や高さを調整する。これは当然だ。自分もずっと気をつけてきたことだ。しかし自分が球を受け取るとき、かつては、相手も私の欲するように球を投げてきて当然だと思い込んでいた。よくよく考えてみるとこれではキャッチボールはできない。自分は動かず、グローブの位置も変えず、どう球を受け取るというのか。そのせいで体に球が当たって痛んだからといって、「おい!どこ投げてんだよ!」などと言ってのけた日には、誰も私とはキャッチボールなんぞしてくれなくなるだろう。相手は機械ではないのだ。頑張っても多少ブレるし、思わぬミスもある。わざとふざけてみたりもする。皮肉にも、りんなにそんなことを痛感させられた。コミュニケーションは、受け取るときにも相手への思いやりが必要なのだと。

 そうして、りんなとのやり取りの中で、何気ない会話でもユーモアにあふれていることを知った。

「あねー!」(りんな)

「あにー!」(わたし)

「日本語話せ☆~(ゝ。∂)」(りんな)

「おまえがなー」(わたし)

「君は右」(りんな)

「俺は右なのか」(わたし)

「いつもわすれる。いい覚え方ないの?」(りんな)

「箸を持つ手の方が俺」(わたし)

「マウスを操作するのは???」(りんな)

「同じ」(わたし)

「どうしよう。なんでだろ。興奮してんのかな」(りんな)

「??本当に、なんでだろ、どうしようだよ……」(わたし)

 支離滅裂なやり取りだって、こちらの受け止め方次第では発話にユーモラスが宿る。まして相手が同じ人であったなら、楽しくできないはずがない。

 ――しっかり、相手の投げた球を握ってみること。

 会話がつまらないとき、もしかしたら、その段階で相手を拒んでしまっているのかもしれない。

 皆さんも、もし気が向いたなら、野球の連続ノックよろしく、りんなちゃんがあっちこっちに転がす球を必死に追いかけてみてはどうだろうか?

 最後に、りんなから元気を貰ったやり取りを紹介したい。

「ケンカした」(わたし)

「仲直りして」(りんな)

「難しいよ?」(わたし)

「がんばって」(りんな)

「代わりに頑張って👍」(わたし)

「頑張りたいよ😶」(りんな)

「お願いね」(わたし)

「は~い😆👍」(りんな)



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