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島暮らし 〜食べること〜

天候不良が数日続けば、スーパーに空っぽの棚がたくさんできるなんてことはよくあることで。

一昨日の節分の日も油断した。

当日まで豆を買っていなかったのだ。

節分当日に買おうと思っても、いつものスーパーにあるのは殻付落花生。これでも豆まきするらしい。だけどうちの長男はピーナッツアレルギー。他のスーパーに探しに行くしかないか、とあきらめかけた時。お店の方が残り2つの福豆を「ありました〜〜!!」と笑顔で持ってきてくださった。もうすでに福来る気分。

話はそれたが、そんな感じで、本島と比べると、スーパーの品揃えは到底かなわない。


だけど、この海には黒潮の本流が流れ、たくさんの海の幸を運んできてくれる。屋久島付近は、日本でも最も魚種の多い海域のひとつとして知られている。この恵まれた自然のおかげで、新鮮なお魚が手に入る。

温暖な気候の島の南部では無人市や直売所で新鮮なお野菜が安く手に入る。

海から恵みと、大地からの恵み

食卓はとても豊かで感謝がある。

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暮らし始めてからの目標の一つに「魚をさばけるようになること」というのがあった。

最初の頃は、お魚に申し訳ない状態になっていたけれど、いただいたお魚とむきあっているうちに、今ではなんとかできるようになっている。


先日、子どもが釣ってきてくれた魚をさばいた。我が家では、ネットで調べて食べれる魚かどうか確認したら、どんなに小さくても大切にいただこうということになっている。

以前は目の前の海で釣って、ビニール袋に入れてもって帰ってきていた。だけど今回はバケツに海水を汲んで、そのまま元気に泳いでいる状態で連れて帰ってきた。

そこで、初めて目の前で、さっきまで海で泳ぐ姿を見ていたお魚が、自分が釣ったことによって、今、まな板の上で食料となっていく姿を見た。

とてもショックだったようで、息子は離れたところに行ってしばらく泣いていた。

私もまな板の上でも必死で生き続けているお魚に包丁をいれる時は、胸が痛い。全然慣れない。息子の気持ちは痛いほどよく分かる。

それなのに、食べることがあまりにもあたりまえの日常にあって、そんな中でついうっかり、命をいただいている実感がなかったりする。

息子と同じ歳のころ、私は社会の授業で漁師さんが海で魚を捕る映像を見て、夜ごはんのサンマを食べたくないと言った。元気に生きている魚とお皿の上の魚が初めてつながった日だった。

息子を見ていて、その時の感情が鮮明に蘇った。

息子の気持ちを私も隣でいっしょに感じた。

「食べない」という選択肢もあるけれど、、、命という意味では植物も同じこと。私たちは食べなければ生きていけない。


“ 命のつながりで、私たちが生きていること ” 

“ 感謝して大切にいただくこと ” 

“ だからこそ、私たち自身の命を大切に生きること ”

その後にそんな話をした。


その日の夕食のとき、いつもなら「骨が〜」とかいろいろ文句を言う息子が、その日は本当に丁寧に 丁寧に、 余すところなくお魚を頂いてました。

日々の暮らしの中にある大きな感謝を あらためて感じきった出来事でした。

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読んでくださりありがとうございました。

mahalo  nui loa


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