書くのがこわい それでいい こわいまま書く

父の声の記憶がないまま育った
顔も、物心つく前に一緒に撮った写真数枚でしか知らなかった
母と私を置いてどこかへ行ってしまった

母はひとり、私を育ててくれた
もともと無表情な母は、仕事と育児と生活でいっぱいいっぱいで、むずかしい顔をしてる日がとても多かった
むりもない
とても大変だったとおもう不安だったとおもう

ひとりでいる時間が、他の子よりもとても多く育った

母は、幼少の頃の私を、自立した子だったと言っていた
ほんとうはちがってた
気持ちをぶつけることができなかっただけだった



見捨てられ不安

専門用語でいうとそういうことらしい

それが幼少のこころの中で育ったものだった



幼ごころながら、どこかへ行ってしまった父の気持ちを想像するときには決まって

私のことが可愛くなかったんだな
一緒に暮らしたいとおもえなかったんだな
守ってあげたいと感じれなかったんだな
そういうふうにおもってもらえない存在なんだな

生まれて可愛くおもえなくてびっくりしたかな

どこかで家庭を持っていたとして
新しく我が子がいたとして
その子のことは可愛い、一緒に暮らしたい、守ってあげたい、と感じれていたりするのかな

父にとって、私は息ぐるしい存在だったのかな

そんなことをいつもぐるぐる想像した


今はもう、あまりめずらしくないけど
私が子どもだった頃は
シングルマザーと呼ばれる家庭は
クラスに1人、居るか居ないか
まだまだめずらしかったように記憶してる
大きな声で話せるようなことではなかった


あの友だちは
愛されてるから一緒に暮らせてるんだろうな

私は
愛されてないから一緒に暮らせなかった
愛されることに相応しくない子なんだろうな、と息を吸うように当たり前に、幼ごころに感じていたのを覚えてる



愛されなくちゃ一人になる
それなら愛されるってどういうことだろう
この子が居て良かったと思ってもらう気持ち、時間や空間を生むこと
大人になった今は言語化ができるけど
だいたいこんな気持ちをいつも抱えてた記憶がある


幼少の私にとって
愛されない、喜ばれない
それはイコール
生きる場所を失うこと、人生の終わり、を意味してた


持って生まれた気質もあって
それは愛想良く、愛嬌もたっぷり、サービス精神いっぱいに振る舞えた

相手の表情が曇らないように、嫌われないように、居て良かったと思ってもらえるように、その相手にとって、何が価値のあることなのか、いつも必死に探っていた
不安要素をなくすために、相手の表情が曇ったときには、その表情がほころぶポイントをいつも探った

当然のように
じぶんの感情なんて二の次だった
それ以上に
相手の感情、幸せ=じぶんの感情、幸せ
のように捉えていた
今振り返るとそれがとてもよくわかる

じぶんの感情や幸せは
接する相手によって変わってしまう
もっと言うと、接する相手のきげんによって、一分一秒で、天気のように変わってしまった

そんなふうに、この不安定な心が育まれていった


優しい、と言われることも多かった
でもなぜか
いつもその言葉は大きなストレスになっていた
というより憤りを感じていた
当時はその理由もわからなかった
このことについてはまた書きたいとおもう


書くのがこわい
それは
人がこわい
ということなんだとおもう


書くということは
じぶんの意思を示すこと
じぶんの感情を表現すること
相手がどう受け取るかわからないこと
表情も感想もほとんどが見えないもの

だから、書くときには決まって、わたしのなかにいる幼ない頃のわたしが、とてもこわがっているのがよくわかった

noteをはじめてしばらくは
書いたあと具合がわるくなっていた
意思を示す不安から過緊張になって、たいていヒステリー球になった

それでも
やっぱり
こころの居場所がほしかった
どうしても
本音で居られる場所が必要だった
ここ数年、きもちの糸が切れた状態の中にいた
それが思いがけないきっかけになった

生きるために、今ここに書いてる

書くのがこわい
でも、もうそれでいい
こわいまま書く

こころの中にいる幼ない頃の私と
誰にも言えなかったきもちを、はなしを
一緒に書いていく


その先に
こころの居場所は
築き上げられる

大切な人とも
きっと出逢える


今日も
ただ安心したい
ただ愛を感じたい
ただ素直でいたい

愛を知りたい、思い出したい
育みたい
まずは、このこころのなかから
すべては、このこころのなかから


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