幼少の記憶からくる過緊張のはなし
幼少の頃、あまり安心して眠れる環境じゃなかったこと、物心つく前に母とふたり暮らしになったこと、身体に傷があること、他にもいろいろあって、気持ちと身体のリラックスが叶わないことが多かった
過緊張
それに気づいたのは大人になってからだった
ここ2〜3年の気づきだったように感じる
当たり前すぎて、身近すぎて、皆んながそうだと思ってた
瞑想してみたり
身体を動かしてみたり
強い気持ちを持ってみたり
笑い飛ばしてみたり
いろいろと調べては試してみた
どれも効果は薄かった
そして辿りついたのが、幼少期を振り返ることだった
心の安心が育っていないと、何かで読んだ
あぁ、ここから途方もない旅が始まるんだ…と感じた
幼少期の閉じてた蓋を開けて
ちゃんと知ること
ちゃんと感じること
ちゃんと受けとめること
ちゃんと見つめてあげること
ひとつひとつはまたゆっくり書きたいとおもう
そういうひとつひとつを丁寧にやってみた
はいここまで、これで大丈夫、っていうのはないんだろうなと肌感覚でわかる
これは一生やることになるんだとおもう
幼少の記憶からくる過緊張
それはとてもうまく隠せていたとおもう
人並みに友だちもできて、恋人もできて、スポーツもして、仕事もして、楽しく遊んで、良い思い出もいっぱいある
ただ、隠せていたことで、限界が迫っていることに気づくのが遅れてしまったともおもう
三十数年生きてきて、ついに糸が切れた
顔色を見過ぎてしまうこと、と
感情が出過ぎてしまうことの間でいつも揺れた
感情の限界は、たいてい家でひとりの時にぶわっと溢れた
すべてセルフケアでいろいろと試してる
でも、過緊張を治そうとするのはやめようとおもう
幼少の頃の体験や記憶を、ありのままで認めてあげたいとおもう
思い返せば、過緊張になるのも、むりもないなとおもう
すごく自然な流れだったんだよな、とも感じる
そういう土台の上で生きてきたから
そうやってつくられたこの過緊張を、今日もただ生きる
過緊張とただただ一緒に生きる
それが一番のケアだと今は感じる
同時に、あの人は、ほんとうはどんな土台の上に生きてるんだろうと想像する
好きなあの人、嫌いなあの人、尊敬してるあの人、軽蔑してるあの人、皆んな、ほんとうはどんな土台の上に、今生きてるんだろう
いつかまた笑い合いたい
友だち、恋人、仲間
心からそう呼べる人たちと
今度はちゃんと心地の良いバランスで
今日も
ただ安心したい
ただ愛を感じたい
ただ素直でいたい
愛を知りたい、思い出したい
育みたい
まずは、このこころのなかから
すべては、このこころのなかから