大切な「おしごと」
今朝、窓を開けたら風が変わったような気がした。もう一度、目を閉じて風を感じてみる。
ずっと遠くの方で秋の気配が揺らめいていた。
あと一週間で八月が終わる。
月が変わるたびに同じことを思っているわたし。
「時間が経つのが早すぎる。」
ああ、また今月も呟いてしまった。
そして必ずそれとセットでやってくるのが、この言葉だ。
「わたし、この一か月なにしてたんだろ?」
家族と二泊三日の京都旅行をしたくらいで、あとは変わらない日常を淡々と過ごしている。
なにもない。
これはたぶん幸せなこと。
でも…毎回訪れるこの不安感って一体なんなのだろう。
きっと、みんなは毎日忙しくしていて。
充実していて、楽しんでいて。わたしがこうしてぼんやりしている間にも、何か意味のあることをしているのではないか。そう思うと、自分だけが何もせず、ただ生きてるだけのような気がして。わたし「本当にこれでいいの?」と、不安になってしまうのだ。
でもこうしてちょっとだけ客観的に自分を見つめてみると、改めて気づくこともある。
「わたしは私」という自分の軸からちょっとズレてしまっていたり、外側にばかり意識が向いているために、不安に囚われてしまっている。
そもそもわたし達は、ただそこに在るだけで、呼吸をし、生きているだけで、価値のある存在なのに。
ならどうして不安になるのか。どうすれば不安にならないのか。わたしなりに考えを巡らせてみた。
外側に意識が向いている時っていうのは、自分より相手がメインになっている時。わたしの人生の主役は、いつだってわたしであるはずなのに、うっかり他人を主役にしてしまっている状態。本来、他人は脇役さんでなきゃいけないのに。
あの人のようにたくさん仕事をしなければ。とか、あの人みたいに美しく生活を整えなくちゃ。とか、あの人のように立派に人の役に立たなくちゃ。とか、あの人みたいに…あの人みたいに。
完全に、わたしはわたしであることを忘れてしまっている。だから不安なのだ。
「わたし」という土台から離れてしまったら、そりゃ不安になるのは当たり前か。
何かに焦って、何者かになろうとして。
でもわたしは、わたしでしかない。
じゃあ、不安にならないためには?
たぶんこの答えは見つからない。不安にならないなんて、人である以上無理なのかもしれない。それに、そもそも不安になったらいけないと誰が言ったのだろう。そう思い込んでいるのは自分自身で。不安になったっていいのだと思う。不安になってしまった自分を許すこと。そして、不安な自分を認めること。わたし自身が、わたしを受け止めてあげることは、自分を信じるってことだから。そうやって、無条件に自分を信頼することができたら、不安はホッとして、にっこりと安心に変わっていくのではないのかなって思った。
不安の森からどれだけ早く抜け出せるか。
そのためにはまず、自分の中に安心できる居場所をつくっておくこともいい作戦だと思っている。まるでオアシスなような…森の中の泉のような場所を。
たとえばわたしなら。
一日中、読書だけをして過ごす日をつくるとか。これ一度やってみたかった。考えただけで最高。あとは、空を見上げて深呼吸をするとかね。モヤモヤした時って大体、視野が狭くなっている時だから、パッととベランダに出て青い空を見るだけで、キレイさっぱりにとはいかなくても、ふわっと心が軽くなったりする。
そうやって自分なりの小さな安心を自分の中に見つけていく。それはすごく地味な作業かもしれないけれど。
でもきっと、これからもずっと、自分のために続けていく何より大切な「お私事」なのだと思う。
なんてことを思った、下弦の月の夜でした。
さ。明日もわたしらしくぼんやりと大好きな空を眺めながら、わたしを生きていくのだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました♡